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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論130 Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、2001年)

Circle K Cycles



ここに挙げたカレン・テイ・ヤマシタの著作は邦訳されておらず、管見の限り、都甲幸治の『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)において、『サークルKサイクルズ』として紹介されているだけだと思われる。しかしここではそのタイトルにあるCyclesに関して、日系ブラジル人サークルK に象徴される「一連の物語集成」と見なしたいので、『サークルK・サイクルズ』 と表記しておくことにする。
21世紀の世界文学30冊を読む

カレン・テイ・ヤマシタは一九五一年にカリフォルニア州オークランドに生まれ、ロサンゼルスで育ち、ミネソタ州のカールトン大学に在籍していた七〇年代初頭に早稲田大学に留学している。彼女の父方の祖父は岐阜県中津川近くの小さな村、母方の祖父母は長野県松本の出身で、いずれもが前世紀の変わり目に、アメリカ西海岸のサンフランシスコやオークランドに移民した明治生まれの日本人だった。つまりカレン・テイ・ヤマシタは日系三世ということになる。

そして一九七五年に彼女は公費留学生としてブラジルに渡り、海外では最大の一五〇万人に及ぶ日系移民についての研究に取り組んだ。その間に彼女はブラジル人建築家兼芸術家と結婚し、サン・パウロで子供を産み、ブラジルでほぼ九年間を過ごした。それから九七年三月から八月にかけて、彼女と家族は名古屋近郊の瀬戸に住んだ。それは日本奨学資金財団と中部大学国際研究科教授の今福龍太の支援によるものだった。

これらはほとんど『サークルK・サイクルズ』 に記されていることだが、ヤマシタは九〇年に同じ出版社から長編小説『熱帯雨林の彼方へ』 (風間賢二訳、白水社、九四年)を上梓していて、この邦訳はずっと品切だったが、最近になって幸いなことに新潮社から再刊されるに至っている。このブラジルを舞台とした日系人やフリークスたちが入り乱れる作品は、ガルシア・マルケス的なマジックリアリズム小説と称せられている。しかし彼女自身の言によれば、これはブラジル人たちの想像力と国民精神を表象する「ソープ・オペラ」であり、その物語要素は、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳、中公文庫)で明らかにした「感動的な無垢な牧歌と渺茫たる郷愁、そして忌まわしくも無情な運命」なのだ。
熱帯雨林の彼方へ 悲しき熱帯

だが『サークルK・サイクルズ』『熱帯雨林の彼方へ』 と異なり、フィクションとエッセイと日記、写真と日本のポップカルチャーや広告などのコラージュからなり、しかも英語と日本語とポルトガル語が混住する一冊である。それらはまさにアメリカやブラジルを経由して日本へと誘われたカレン・テイ・ヤマシタという日系三世の位相を物語っている。これらの混住するファクターは、同書の造本やデザイン、レイアウトにも投影され、A5判を一回り大きくし、洋書ゆえの横にした造本で、ソフトカバーの表紙は日本の名所と町の写真、広告や植田まさしのコミックの登場人物、日系人らしき女性のイラストなどが乱雑な感じでレイアウトされ、意図されたキッチュな印象をもたらしている。それは本文も同様であり、英文の中に写真と並んで日本語も配置され、また後述するように、ある章は日本語で提出されている。

また巻頭には『サークルK・サイクルズ』 に必須のタームとして「DEKASEGI STARTER DICTIONARY」が掲げられている。これらはいってみれば、「出稼ぎ初心者用語集」というべきものであり、同時に日本での日系ブラジル人が置かれた状況と心的現象を物語っていよう。それゆえに、ポルトガル語と英語の説明の混住は明らかなので、あえて邦訳せず、これらをそのまま転載しておくことにする。

dekasegi : verb meaning to work away from home ; however, Brazilians and other migrant workers of Japanese descent have turned this word into a noun meaning : migrant laborer in Japan(spelled dekassegui in Portuguese)

empreiteira : contract employment company ; middleman temp agency that hires laborers for factory work

gaijin : foreigner , outsider ; more specifically , and sometimes negatively, non-Japanese

Nikkei : of Japanese ancestry or lineage ; belonging to the Japanese tribe ; however , some dictionaries translate this word to mean Japanese emigrant , or even Japanese American

nisei : second generation descendant of Japanese emigrant

mestiça : of mixed racial ancestry

san k : three k’s ; kitanai(dirty), kitsui(difficult), kig(ママ)en(dangerous) ; used to describe work migrant laborers are forced to accept

sansei : third generation descendant of Japanese emigrants

saudade : longing, homesickness, nostalgia

このような構成からなる『サークルK・サイクルズ』 の中から何を紹介すべきなのか、少しばかり迷ってしまったのだが、フィクションとしての「もしミス日系が神(女)としたら?」や「トンネル」ではなく、やはりタイトルに示されたサークルKに関する事柄を取り上げてみたい。それは先述したように、日系人にとってサークルK 自体がひとつの物語に他ならないと判断できるからだ。それに本扉の左ページにもサークルK を前にして、日系人と思しき若い男女が並んでいる口絵写真が収録されてれ、この写真が本文のコラージュとしても採用されていることにも表われていよう。「三月−腰痛」から、その部分を抽出し、試訳してみる。

ヤマシタ一家は瀬戸に落ち着き、銀色のスバルの中古車を借り、それに緑と黄色の矢のような初心者マークを貼った。車に同じマークを貼っている別のブラジル人家族にもめぐり合ったが、彼らはそれを三年間もつけたままで、緑と黄色はブラジルの旗の色でもあったからだ。日本の車の初心者マークが、彼らにしてみれば、ブラジル人のアイデンティティへと転化していることになる。これが後に述べる「ルール」の違いへとつながっていくことを示唆している。ただ左側通行にはなかなか慣れずにいた。そしてサークルK への言及を見る。

 友人の龍太は彼の家から私たちの家に至るロードを案内してくれる。どの角にもコンビニエンスストアサークルK があり、それは四店を数える。龍太の家にいくのにサークルK のところを必ず左折するし、私たちが戻る時には右折するので、まさにロゴのⓀのように、Kという店をぐるぐる回っていることにもなる。それに私の名前のカレン=KarenのK、コンビ二=Kon-binis のKも同じだという冗談も発せられる。(訳注―カレンの措かれた文化社会状況、及び先に挙げたブラジル人のthree k’sのメタファーであろう)二十四時間オープンで、年中無休。私たちが必要とするものは何か? 卵、ヨーグルト、おむすび、海苔、それとも菜っ葉だろうか? 歯みがきか洗濯バサミか? 原稿のコピーか? ポルノ漫画か? 急な物入りのための現金引き出しか? 私たちはここで電話、ガス、電気料金のすべてを支払うことができる。この狭いトポスであるコンビニは私たちの仮住いの延長空間とも見なせる。すなわちそこは私的な冷蔵庫、浴室の戸棚、事務所、図書館、さらに銀行の役目も果たしている。私たちの日常生活はK という店をぐるぐる回ることで営まれている。それは時間を問わないし、ありふれた住宅地のロードサイドに位置しているのである。

ここにサークルK というコンビニに対する違和感の表出を見ることができよう。それは確かにブラジル人にとっても身近な存在、年中無休の二十四時間営業、日常生活のすべてに便利な空間である。だが車の初心者マークの緑と黄色とは異なり、中部の大手スーパーのユニーの系列にあるサークルK のオレンジなどの三色は、ブラジル人のアイデンティティと合致しないニュアンスが含まれている。またそれは否応なく同化を強いる日本特有の装置として捉えられているのではないだろうか。

コンビニは拙著『〈郊外〉の誕生と死』本連載5051110などでふれてきたように、一九七〇年代前半に都市の内側で生まれ、次第に郊外化し、八〇年代にはロードサイドビジネスとして郊外消費社会のコアを占めるに至った。それらの主たる企業はセブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルK などで、二〇一四年には上位八社だけで五万店を超え、年間売上高も十兆円に達しようとしている。これらのどのコンビニもフランチャイズシステムによって全国展開されているので、店舗、看板、店内レイアウト、商品だけでなく、制服も接客スタイルもすべてがマニュアルで統一されているために、日本の全国各地で同様に買物とサービスを可能にするシステムが構築されたことになる。しかし一方ではコンビニの全国的な普及とその制覇は均一的な店舗の風景を召喚すると同時に、これも画一的な日常生活を広く散種していったことを意味している。
〈郊外〉の誕生と死

ヤマシタの最初の来日はまだコンビニが出現したばかりの七〇年代初頭であり、彼女にしてもそれらの風景やシステムを目撃したり、体験したりしていなかった。だが『サークルK・サイクルズ』 はコンビニの全国的制覇がなされた九七年の日本を背景としていること、さらに今回彼女はブラジルを経て、ブラジル人と結婚し、一家で日本にやってきたことからすれば、コンビニに表象される日本の消費社会システムへの違和感はかなり強かったのではないかと推測される。またそれゆえに『サークルK・サイクルズ』 というタイトルのアマルガムな構成の一冊を上梓するにいたったのではないだろうか。そしてそのような日本の郊外会消費社会のシステムの中に、先に挙げたブラジル人の「DEKASEGI STARTER DICTIONARY」が置かれているというべきだろう。

そうしたこだわりは引用した部分の他に、とりわけ「七月−サークルK・ルール集」に表われ、この章だけは日本文と英文の双方が収録されている。そこではまず「日本のルール」として、日常生活において守るべき13項目が挙げられ、続いて豐田市保見団地における、やはり13項目に及ぶ「ルール看板」の明細が示される。この団地の住民は八千人で、そのうちの二千人がブラジル人なのだ。そして「ルール看板」の他にも、ポルトガル語での説明もなされているというチラシの説明も引用されている。その1には「当公団住宅にはさまざまな人間が住んでいて、みなそれぞれ生活のリズムがちがいます。それに日本の文化と習慣は、他の国のそれとはちがいます。全員が公共生活の規則を守り、ご近所の方とのあいだに問題が生じるのを避けるようお願いします」と記されている。

それに対し、ヤマシタはブラジル人にとって、これらのルールのすべてに従うことは難しいにしても、この団地において、「ブラジル人としては可能なかぎりのしずけさ」、「最高にルールを守っている状態」だと推測し、「ブラジルのルール」11項目を挙げる。それらは「ルールというものはない」から始まり、「何をやってもうまくゆかないのだから、何もしないことが最善策かも」で終わるものだ。つまり「日本のルール」と「ブラジルのルール」は基本的に相反するものでありながら、団地では双方の歩み寄りによって、曲がりなりにも混住生活が現実化していることを示そうとしている。

そこにさらに重ねるように、ヤマシタは「英語を話しなさい」を筆頭に掲げた「アメリカのルール」9項目を付け加える。アメリカの日系三世で、ブラジル人の夫を持ち、ブラジルでの生活も経てきた彼女にとっては必然的に三つのルールが現前するのである。それは言語、文化、生活を異にする儀礼や習慣の差異に他ならないといえるが、彼女は最後にもうひとつのルールを付け加えるのだ。それは「サークルKのルール」で、これは次の三項目であり、日本語と英語の双方を示す。

 1.自分の祖国に移住せよ。/Immigrate into own country.
 2.好きな料理は自分で作れるようにする。/Learn to cook your favorite meals.
 3.つねに、その次の問い、を問うこと。/Ask the next question.

これを私なりに解釈すると、ヤマシタが提出したサークルK からの自立の勧め、つまり三つのルール以上に日本人、ブラジル人、アメリカ人を囲い込み、日常生活を包囲してしまうコンビニシステムに対する意志表示のようにも思えてくる。それは彼女ならではの日常の郊外消費社会に関する新たな複合的視点とも見なせよう。

また最近になって日本で生まれ育った日系ブラジル人五人の若者たちを追った『孤独なツバメたち』 (津村公博、中村真夕監督、ティー・オー・エンタテイメント、二〇一三年)を観た。そこでも新しいドラマとルールの発生を見ることになったことを付け加えておこう。
孤独なツバメたち

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1