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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論134 古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)

ヒミズ


前回の『団地ともお』とほぼ同時代の二一世紀初頭に、それとまったく対極的な家庭と社会状況に置かれた中学生を主人公とするコミックが提出されていた。それは古谷実『ヒミズ』という作品である。
団地ともお

この奇妙なタイトルの「ヒミズ」とは『日本国語大辞典』小学館)によれば、「ひみずもぐら」と同じで、その説明として、『日葡辞書』岩波書店)の「Fimizu(ヒミズ)〈訳〉太陽を見るとすぐ死んでしまう、鼠に似た小さな動物」が引かれていた。この「ひみずもぐら」そのものは『ヒミズ』に姿を現わさないけれど、主人公の「オレはモグラのようにひっそりと暮らすんだ……」という言葉に重なって表出している。また同じく主人公が土手の上に出てきて蟻に襲われているミミズを見つけ、これも自らを重ねるように、「お前にチャンスをやろう……もうミスるなよ」といって、土に戻してやるシーンがあり、それも「ひみずもぐら」のメタファーとなっているのだろう。それらに加えて、まさに『ヒミズ』の主人公の中学生の住田も、そのような存在として設定されているし、登場人物たちにしても、ほとんどがその近傍にあると見なしていい。

『ヒミズ』は中学からの帰り道で、住田が夜野に語りかけているシーンから始まっている。それは次のような住田のモノローグに近いものでもある。「ほとんどの人間は超極端な幸不幸にあう事なく一生を終える」、これが「普通の人間」に他ならない。それに対して、幸不幸に出会ったり、幸運や才能に恵まれているのは「特別な人間」であり、こちらは「この世を司る何かによって選ばれた者」だ。だが「そんな奴はめったにいない」し、要するに「普通ナメんな! 普通最高 !! 」というものだ。いってみれば、つまり「特別な人間」思想ではなく、「普通の人間」哲学が語られていることになろう。

そうした物語のイントロダクションの進行につれて、やはり中学生の登場人物たちが住田の前に顔を揃えていく。いじめられっ子で、才能があるように見えないが、マンガ家をめざしている赤田、そのイトコでマンガの師匠格のきいち、それに夜野も「マンガ家=金持ち」になりたくて、きいちの家に赤田と同行する。きいちは「ただ金持ちになりたいだけ」でマンガを学ぶつもりの夜野を拒否する。そこで夜野は叫ぶ。「世の中金だろうがぁ――!!!(中略)金こそすべてだぁ――!!! 金は幸せを買える紙 !! この世に唯一存在する魔法 !!! 」だと。きいちも反論する。「……人の魂だけは……絶っ対に買えない」と。

するといつの間にか、そこにきていた住田が「買えるね、絶対に買えるね。金さえあれば、お前の魂なんてよゆーで買えるね。もちろんお前の両親のだってたやすく買える」と発言するのだ。それに対して、きいちの姉も賛同し、後に赤田も夜野と「二人して超ビッグなお金持ち」になることを誓う。しかし住田ときいちは「買える」「買えない」で、さらに言い争い、殴り合いの喧嘩になってしまう。先に住田による「普通の人間」と「特別な人間」の二元論を見たが、ここでもそれは同様で、この「買える」「買えない」は高度資本主義消費社会における最大の問いであるのかもしれない。「愛は買えない」という言葉は過去の歌の中のものだし、若いベンチャー経営者が公然と「金で買えないものはない」とうそぶく時代を迎えようとしていた。それはもはや精神も物質と同じく金と交換可能だと広く信じられる時代の到来でもあった。

そして住田の考えからいえば、きいちも自分や赤田や夜野も含め、多くは「普通の人間」=魂を買える人間であり、夢を叶えることのできる「特別な人間」ではないのだから、魂を買えないと主張することは許せないのである。「普通の人間」と「特別な人間」というシリアスなモノローグ的定義から始まった『ヒミズ』は、このような高度資本主義消費社会の大問題をめぐるダイアローグへと引き継がれ、同時代と物語のベースを形成することになる。

その一方で、主人公の住田が暮らすトポスとその環境が描かれていく。それはまだ明確にされていないが、郊外の河口に近いところに位置し、そこで住居も兼ね、釣り舟やボートを貸す仕事を営んでいるらしく、そこには彼の母親もいて、屋外には応接セットが置かれている。だがその河原には何か異形の者が佇んでいるようなのだ。ところが次第に「たまに見える」得体の知れない異形の者が一目小僧のようにクローズアップされ、住田を凝視めていることがわかってくる。「お前は何だ !! 」と発するが、「ちがう! ちがうぞ !! ……あれは目の錯覚だ !!! 」とも自問自答する。住田は「この世を司る何かによって選ばれた者」としての「特別な人間」ではないわけだから、その異形の者が「この世を司る何か」ではないはずだが、それが住田と『ヒミズ』の物語を支配するドッペルゲンガーのように姿を見せるようになる。

そこに夜野が赤田ときいちを連れてやってくる。もちろん住田の言い分を認めたわけではないけれど、きいちが殴ったことをあやまりたかったからだ。彼らの訪問によって、住田のところの家業がボート屋で、住んでいる家が「コンテナ」であることが明らかになる。そしてきいちとの会話から、ボート屋を継ぎ、「中学出たらすぐに働くんだ。(中略)お花見やらカップルやら釣り人やら……こんなボロでも一年中いろいろな客がくる……何とか食っていけるんだ」という住田は「普通の人間」として生きていく決意を表明する。「お前からしたらクソのような人生か?」と思うかもしれないが、「オレはここでのんびりボートを貸す。たぶん一生……ここには大きな幸福はないだろう。オレはそれで満足だ」と。

しかし「普通の人間」をめざす住田の周囲にも、すでに異形の者が出現し始めているし、それにオーバーラップするかのように、住田の「元とーちゃん」が訪れてくる。住田はいう。「オレの中で『死んだら笑える人』NO.1の男だ。世の中にはよ……いるんだよ。本当に死んだ方がいい人間が。生きていると人に迷惑ばかりかけるどーしようもないクズが」。

それでも住田のもとには『ヒミズ』の奇妙なヒロインともいうべき同級生の茶沢景子さんもやってくる。彼女もまた夜野や赤田と同様にエキセントリックな存在で、兄が殺人犯だという「ウソ」話をし、その一方で「住田君 超好き」と告白したりする。そうしているうちに夏がきて、住田は母親が数万円の現金と手紙を残し、釣り好きの客の「オッサンと愛の逃避行」に走ったことを知る。住田は「マジかよ」と呟くしかなく、夜野も同じ言葉を繰り返す。するとまたしても異形の者が姿を現わし、住田は「笑ってんじゃね――よ、バケモノ!」と叫ぶのだ。

そのために住田は自らボートやを営み、新聞配達をするようになり、学校を休み始める。それを知った茶沢さんはいう。「親に捨てられて学校行けなくなって、一日中働いている中学生なんて……もう普通じゃないよ」。それでも「がんばれよ」とも。それは夜野も同様で、常習であるスリを重ね、「親友」の住田のために金を稼ごうとしているし、「もう普通じゃない」住田を支えようとする。また立場は異なるにしても、住田の理想の投影たるきいちはマンガで賞を獲り、夢を叶えつつあった。だが「コンテナ」に一人で暮らす住田が現代の孤児と化したことは紛れもない事実だった。
ヒミズ(新装版)

ところがそのような状況の中で、さらに「普通じゃない」ことが押し寄せてくる。ベンツで高利貸が用心棒を連れてやってきたのだ。「君のオトーサン」が「家族のタメにって」600万円借り、返していないという。住田は用心棒に殴られ、切りつけられ、血を流す。それでも住田は挫けず、「……たまたまだ……だがオレはクズじゃない。オレの未来は誰にも変えられない」「オレは必ず立派な大人になる !! 」と夜野にいうのである。その夜野は600万円を得るために、スリ仲間が提案した二千万円泥棒に加わり、強盗殺人、死体遺棄をも体験するはめになり、分け前の一千万円で住田の代わりに高利貸に金は返したものの、住田の「百倍フツーじゃなく」なってしまった。同じ頃、顔に傷を負い、眠っている住田のそばに、「痛いか? ほっぺ」と囁く「バケモノ」が現われ、暗闇の中で「死ね。みんな死ね」と呟いたようだった。

雨が降り続いている。ボート屋に客はこないので、住田は「くだらない事ばかり考えてしまう。考えたくないのに考えてしまう……すると決まって頭痛が始まる……」。雨に打たれる河とボート、杙が並ぶ桟橋が描かれ、住田はその一本に墓標のようにブロックがかまされているのを見つけ、それを取り、地面に投げつける。あの「バケモノ」が置いていったのではないだろうか。

住田の頭痛がひどくなってくる。「全部あいつだ! 全部あいつのせいだ !! 」というモノローグに合わせ、父親の顔が浮かび上がり、それに「お前はオレの悪の権化だ !! 死ねっ!! 死んで責任をとれ !! 」との言葉が書きこまれる。 そして住田は「コンテナ」の中に倒れこむように入り、「もうだめだ!」と繰り返し、布団をかぶり、苦悶の声を挙げる。それを外で聞いた茶沢さんはなすすべもなく、雨の中を帰っていった

ずっと雨が『ヒミズ』という物語の涙のように降り続いている。この雨の日が住田の臨界点、「普通の人間」が殺人に至る環境とその瞬間へと追いやられた魔の刻だったのだ。彼自身も少し前に「だいたい人殺しする奴としない奴の差なんて大した事ねぇよ。要は環境だろ」と語っていたではないか。

その日の夜になって雨が止み、「コンテナ」に父親が金を無心に訪れてくるが、母ちゃんの「愛の逃避行」と住田の一人暮らしを聞き、そのまま帰っていく。住田は靴下のまま外に出て、昼間放り投げたブロックを手にし、父親を追いかけ、振り向いたその顔にブロックを叩きつける。その瞬間は見開き二ページでクローズアップされ、俯瞰ショットも含め、五ページにわたって繰り返し叩きつける「ゴッ」という擬音も合せ、続いていくのである。父親の今わの際の言葉は「オレがお前に」というものだった。そうして夥しく血を流している父親の死体、その血にまみれている息子の姿、それらのシーンに住田のモノローグが重なっていく。

 冷静だ……実に冷静だ……罪悪感はない……ただ何より残念だ……よりよい未来のタメに今までがんばってきた日々や守りとおしてきたモノを……今日すべてなくしてしまった……オレが普通じゃないからこんな事になるのか?……ちがうだろ?……オレじゃなくたって…………

「普通の人間」を至上としてめざしていたにもかかわらず、思いがけない母親の「愛の逃避行」と父親の借金という「環境」のドラスチックな変化は、住田をして「普通じゃない」人間へと追いやっていく。そして「この世を司る何か」のようでもある「バケモノ」の出没も重なり、「特別な人間」へと変身したかのように、父親殺しの瞬間へと追いやられていったのである。

そして住田は死体を埋め、自首もせず、その後を一年限りの「オマケ人生」として、「きいちのように社会のタメに」生きようとするのだが、結局のところ、何をしても何を求めてもその姿は茶沢さんがいうように、「ゾンビみたいに街を徘徊して」いるだけなのだ。それでもあの一目小僧のような「バケモノ」は姿を現わし続けている。

そんな時に住田はあの高利貸の用心棒と街で偶然に出会い、送ってもらうが、「お前は今“病気”だ」、「暗闇の中をはいずりまわり、パニックを起こして死にかけている」と指摘される。そしてさらに人を殺すのであれば、これを使えと拳銃を与えるのだった。

相変わらず「バケモノ」はつきまとい、住田は茶沢さんに父親殺しを告白するに至る。彼女は「君が死んだら……この先悲しくてやってられません」といい、警察に通報したうえで、明日の出頭を促し、二人でその最後の夜を「コンテナ」で過ごす。しかしその夜にも「バケモノ」はやってくる。住田はいう。「やっぱり……ダメなのか?……どうしても……無理か?」。

初めてクローズアップされた一目の「バケモノ」は応える。「決まってるんだ」。住田も応じる。「そうか……きまっているのか」。そして坂のところでうつむき座っている住田の姿が描かれ、次に河原の夜景の中で、「パン」という音が発せられる。それを耳にし、茶沢さんは目覚め、住田がいないことに気づき、外を見る。最後のページは老朽化し、放置されたボートがある草むらの中にうつ伏せで倒れている住田の姿が描かれ、それを照らしている雲がかかった月を最後の一コマとし、『ヒミズ』は終わっている。

『ヒミズ』という物語の前半の部分とそのクロージングを抽出し、トレースしてきたが、その登場人物たちにしても、その全体や展開にしても、完璧な整合性は求められていないし、とりわけ住田の父親殺しの後の「オマケ」の物語は齟齬が生じている印象を与えるし、前半から後半への展開はギャップを感じてしまう。

しかしそれでもこの『ヒミズ』というコミックは、現代の様々な不可視の問題へと突き刺さるという読後感を残す。そしてさらに「普通の人間」が父親殺しに至ってしまうこと、絶えずまとわりつく「バケモノ」のメタファーは何であるのかということ、その世界の静かな終末のようなクロージングなども含め、現在の日常に起きている惨劇、犯罪や事件とリンクするツールのようにも思えてくる。

『ヒミズ』ではもはや近代家族は解体されてしまっている。それは住む家が様々に解釈できる「コンテナ」であることにも象徴されているし、前回江藤淳『成熟と喪失』の中に記された家族を支えるイメージとしての「母親のエプロンのすえたような洗濯くさい匂い、父がとにかく父としてどこかにいるという安心感」も、当然のことながら失われてしまっている。それらを代行するのは「金こそすべてだぁ――!!! 金は幸せを買える紙 !! この世に唯一存在する魔法 !!! 」ということになり、そこには高度資本主義消費社会の鏡像が示されている。だが江藤が続けているように、「そういうものがなければ実は人は生きられない」し、『ヒミズ』はそのように終わる。
成熟と喪失

またその「バケモノ」とは柳田国男『一目小僧その他』(角川文庫)で述べているように、「古い信仰が新しい信仰に圧迫せられて敗退する節には、その神はみな零落して妖怪となるものである。妖怪はいわば公認せられざる神である」のかもしれない。すなわちこの「古い信仰」とは近代家族であり、「新しい信仰」とは高度資本主義消費社会の謂であるのかもしれないと思えてくる。
一目小僧その他(新装版)

これはふれられなかったが、二〇一一年に園子温監督・脚本で映画化されていることも付記しておく。
ヒミズ(DVD)

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1