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混住社会論135 山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)

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続けてコミックの『団地ともお』『ヒミズ』を取り上げてきたので、三回連続となってしまうが、ここでもう一編を追加しておきたい。それは山上たつひこ原作、いがらしみきお作画『羊の木』全五巻である。この作品もまた古谷実『ヒミズ』と通底する「不幸のDNA」と「幸福のDNA」をめぐるせめぎ合いのようなドラマとして展開され、その奥行きは『ヒミズ』と異なる意味で、限りなく深い。なお本連載49でいがらしの『Sink』も論じているが、こちらは共作として言及する。

団地ともお ヒミズSink 1

『羊の木』は魚深市を舞台とするもので、冒頭にその港と建物風景、シャッターが降りたままの商店街が描かれ、そこに次のようなキャプションが付されている。「魚深市―かつては海上交易で栄えた港町、人口13万人/住民の高齢化、人口流出、企業の撤退/中心部または周辺地区の過疎化/日本の地方都市が抱える問題をこの町もまた背負っていた―。」

もちろん「魚深市」は架空の地方小都市だが、そこに挙げられている衰退の諸要因は全国の中小都市に共通するものだ。それゆえに、郊外消費社会は捨象されているけれど、この『羊の木』はどこにでも起き得る物語として提出されていることを示唆していよう。
市長の鳥原は法務省矯正局社会復帰促進専門官の三田村がオファーしてきた、元受刑者を地方都市に移住させる「国、地方自治体、そして民間による実験的な更生促進事業」を受け入れることにした。これは「市民が犯罪を犯した者と先入観なく接する」「最良の方法」だが、市民にはまったく知らせずに施行される「極秘プロジェクト」なのだ。それを「我が町のビジネス」と考え、市長は語る。「公共事業が減る中で出所者の社会復帰にかかわる事業は成長が見込める」し、「町の過疎対策」にもなるし、特別補助金も交付され、財政へのメリットもあると。

なぜ魚深市が選ばれたのか。それは市長の先祖で、大回船問屋だった鳥原源左衛門に由来している。一八三〇年、天保元年の嵐の日、魚深沖で流刑地に罪人を護送する流人船が座礁した。源左衛門は漁師たちに船の救助を命じ、20余名の役人と流罪人たちは助けられた。すると源左衛門は代官に「生まれながらに地獄を背負った者」に他ならない流罪人たちを預けてほしい、魚深の地で労働に従事させ、その生涯を通じて償いをさせたいと申し出た。源左衛門の願いは幕府にも通じ、それは聞き届けられたのである。かくして流罪人たちは魚深に住みつくことになった。つまり市長の先祖は「更生保護活動の先駆者」だったことから、魚深市がこのプロジェクトの始まりの地として選ばれたのだ。最後になって明かされるのだが、その始まりのドラマの内実が『羊の木』の物語の重層的構造のベースを形成しているのである。

三田村たちもいう。再犯の懸念は拭えないけれど、「フツーの市民がフツーに接し、フツーに働く。そしてフツーの隣人がフツーに接してくれたら」、出所者たちは矯正施設で特別な教育と訓練を受けているので、必ずこの町に溶け込むはずだし、そのために「ほんの少しだけ愛を多く賜りたい」と。

市長はこの極秘プロジェクトを二人の友人に打ち明け、協力を依頼する。その月末は市長の同級生で仏壇屋を営む商店街振興組合理事長、大塚は古い町屋を買い取り、転入者に貸し出している町の名士である。「受刑者地方都市移住更生プロジェクト」は警察も知らず、受刑者同士も互いに知らず、三人だけが受刑者情報を知る存在となる。しかも何があっても、国や市長がそうであるように、誰も責任はとらないし、とれない。だが二〇〇八年でいっても、31700人が出所する。市長はいう。「刑務所を出た人間はどこかで生きていかねばならない。それを考えると、このプロジェクトも当たり前のように思えるが……今の私には人の再生を信じるとしか言えない」と。ここで市長は先祖の姿と重なっていることになり、三人は元受刑者たちとの混住に向けて、分散させるよりも松波町へと一箇所にまとめるという具体的な手続きと世話を進めていく。しかしもしそれが市民や市会議員やマスコミにバレてしまえば、「市長としての政治生命」も二人の「市民生命」も終わってしまうだろう。すでに頭陀袋というタウン誌発行人が彼らの周辺を探り始めている。

そうして徐々に一人ずつ、十一人の元受刑者たちが魚深市松波町へと移住してくる。それらの人々、年齢、犯した罪を紹介してみよう。

  *浜田保 /45歳、殺人。いじめられた恨みを晴らすために勤め先の上司を包丁で刺殺。
  *大野克美 /33歳、強盗殺人。宅配業者を装い主婦を絞殺し、盗みを働く。
  *武満義人 /58幸、強姦。疑われず他人の家に上がり込む能力を持つ強姦常習犯。
  *村野孝 /45歳、詐欺。自分の店の客に投資を持ちかけ、集めた金を持って逃走。
  *杉山勝志 /52歳、殺人・放火。女子大生を大型ハンマーで撲殺、部屋に放火。
  *宮腰一郎 /26歳、恐喝・傷害。妻やその家族に暴行を繰り返し、金を要求。
  *福井宏喜 /29歳、強盗致死。金欲しさに老人宅に侵入し、揉み合ううちに老人がテーブルの角に頭をぶつけて死亡。
  *入江行雄 /29歳、覚醒剤所持。覚醒剤中毒による症状は治療済み。
  *寺田一義 /19歳、窃盗・傷害。幼少の頃から車泥棒、車上狙い、万引の常習犯。
  *太田理江子 /28歳、誘拐・致傷。愛人の女児を誘拐、ナイフで切りつける。
  *栗本清美 /35歳、殺人、死体遺棄。暴力を振るう恋人を一升瓶で撲殺。殴りつけられた死体はグニャグニャだったという。

このように分類、仕分けされた元受刑者たちをそのまま単純に犯罪者類型と見なすことはができないだろう。彼らは様々なメタファーに充ち、ただちに病人、障害者、難民、異人などをも想起させる。またミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(田村俶訳、新潮社)ではないけれど、ここには犯罪そのものの復元というよりも、犯罪を生み出す社会と歴史の構造的な眼差しも含まれていると見なせよう。
狂気の歴史

そうした元受刑者たちの魚深市への移住と合わせたかのように、「のろろ祭り」の準備が始まっていく。それは「各家が包丁の刃を埋め込んだ神木を玄関に飾り、往来を巨大なオオカミウオのような姿をした怪魚『のろろ』が練り歩くという奇祭中の奇祭」だった。先頭に立つのは「深海から這い出てきた怪物そのもの」のような「のろろ」で、それに続く連中も、「魚が変形したようなおぞましい姿」をしている。この一団が家の門口に立ち、何か食い物を寄こせとばかり、「もらおう」と声をかける。そこで家の者が「刃がある」と返事をする。するとまた怪物たちが「もらおうもらおう」と二度いう。それを受け、「刃がある」「従いますように」と家の者が帰すと、怪物たちは恐れ入ったような仕草をして立ち去る。そして祭りが終わるまで、誰も怪物の姿を見てはならない。「のろろ祭り」とは「海上安全と豊漁を祈願した奇祭」とされる。

「のろろ」とは海からやってくる怪物ではあるけれど、ある時代に出現した異神に他ならず、それが漁村共同体の祭礼の表象へと転化したのだ。その行列は深夜から始まり、明け方へと至る。家の前にはタブノキを立て、それに包丁の刃を埋めるのは霊のこもった神聖なる木の御幣の代わりで、それが異神から家の者を守る役目を果たすと同時に、結界となっているのだろう。そうして異神は暗闇の中にあり、それを見てはならないとは、彼らが海の彼方からやってきた災厄をもたらすとされる神であることを伝えている。それはかつて漁村だった魚深市の古代からの祭りであることを浮かび上がらせて、ひとつの神話の形成を物語っている。原作者の山上は柳田国男の『日本の祭』(『柳国男全集』13所収、ちくま文庫)なども参照し、この「のろろ祭り」を構想したのかもしれない。
『柳国男全集』

それにもうひとつのタイトルとなっている『羊の木』のエピソードが重ねられる。それは鳥原市長の家に代々伝わっている絵で、それはヨーロッパ人がまだ見ぬ綿の木を「羊のなる木」だと想像して描いたものだった。その絵には一本の木が描かれ、枝の先に羊が「なっている」。市長は今の世の中では通用しない「まったくうらやましくなるぐらい単純な発想」だと思う。その市長に対して、三田村はいう。「それに比べたら現代はとても複雑だ。誰かがよかれと思ってやったことが―巡りめぐって―誰かを不幸にしてしまう。ならば―誰かの悪意から始まったことが人を幸せにすることもあるかもしれませんな」と。

この「羊の木」のエピソードと絵の原型は『世界不思議物語』(蒲田耕二他訳、日本リーダーズダイジェスト社、一九七九年)を出典としていると思われるので、その「ヒツジを生む木」の由来を引いてみる。
世界不思議物語

 中世ヨーロッパには、植物と動物の合いの子で、羊を生む木がダッタンに生えているという伝説があった。木の名はプランタ・タルタリカ・バロメッツといった。バロメッツは、子ヒツジを意味するダッタンの言葉である。
 この木になるのは、じつは木綿だったが、当時のヨーロッパ人は木綿をまったく知らなかった。それをウールとま(ママ)違えたのである。
 ウールは、羊の毛で作る。そこで、「ダッタンのヒツジがなる木」の伝説が生まれた。木綿は子ヒツジの毛であり、その子ヒツジは木から生まれて、ヘソで木とつながっていると考えられた。
 子ヒツジに草を食べさせるために木は幹をたわめ、あたり一帯の草を食べつくされると、ヒツジも木も死ぬとされていた。

「ヒツジを生む木」もまたフーコーのいうところの中世のエピステーメーを想起させるし、それとの断層がこの『羊の木』の物語であることも伝わってくる。その絵が市長の家に代々伝わるもので、しかもこの物語のタイトルになっていることからすれば、「子ヒツジに草を食べさせるために」から始まる最後の一文が物語に投影されていると考えていいだろう。すなわち、「子ヒツジ」は元受刑者たちとそれにまつわる様々なメタファー、木や幹は魚深市や市長たち、「あたり一帯の草」とはそれぞれの町や市民、つまり共同体とそれを構成する人々とも考えられるからだ。

この伝説や寓話を象徴的な背景として、元受刑者たちが移住者として混住するようになり、それに中世以前に起源を有するであろう「のろろ祭り」が重なり、それに元受刑者たちも市民となるための通過儀礼のように参加していく。そしてどのような出来事や事件が起きていくのか。そうした物語こそが『羊の木』に他ならない。ただその背後は様々なメタファーで充ちているし、「のろろ祭り」のイメージもまた中世以前からのひとつの共同体の成立の謎を秘めていることをも暗示している。それは同時に人間や社会の謎ともつながっていくようにも思われる。物語の展開につれて、それらの謎の一端は解明されていくのだが、「どこからどこまでが現実だったのか」わからないクロージングとなっている。またしても「のろろ祭り」が近づいていることを伝え、見開き二ページに及ぶ魚深市の眺望図を示し、「我々は生きて行くだけだ。それ以外に何の望みがあろう。栄あれ、我が町うおぶか」とのコピーが付され、この『羊の木』という物語はとりあえず終わっている。おそらくこの物語、この問題はまだ続いていくことを暗示するようにして。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1