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古本夜話541 水守亀之助と人文会出版部

さてここでようやく人文会出版部に関して語ることができる。

私が所持している人文会出版部の刊行書は、前々回のバアク『美と崇高』の他に、田中貢太郎編『桂月随筆集』、相馬御風著『一茶随筆選集』の二冊である。前者は大正十四年に『明治大正随筆選集』第十五編として出され、後者は昭和二年の刊行で、それらの巻末広告を見ると、『明治大正随筆選集』が正岡子規島村抱月国木田独歩島崎藤村などから始まり、第二十篇として厨川蝶子編『白村随筆集』までが刊行、近刊として『内藤鳴雪随筆集』が挙げられている。だがこの刊行は順不同のようで、飛び飛びに出されたらしく、『桂月随筆集』も広告では第十六篇となっている。そのような事情もあってか、書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』にも掲載されていない。
『白村随筆集』

それは『明治大正随筆選集』だけでなく、人文会出版部の『美と崇高』も収録の『泰西随筆選集』、ポグダノフ、麻生義訳『無産階級芸術論』などの「社会思想文芸叢書」、ルソオ、平林初之輔訳『民約論』などの「世界名著叢書」も同様で、その他の単行本も含めて、人文会出版部の全貌は明らかになっていない。これも実物は未見だが、本連載117でふれたヴァイニンガーの片山孤村訳『性と性格』も刊行されているのである。

管見の限り、まとめて人文会出版部に言及しているのは紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』(雄松堂出版)で、これも私は未見だが、彼はそこで「日本エッセイ叢書」を取り上げている。これは大正十五年から昭和三年にかけて出された沢田謙の『弗でない男』を始めとし、水守亀之助の『候虫時鳥』までの十冊である。そこには高畠素之の『自己を語る』も含まれ、同書はマルキストや国家社会主義者としてではない高畠の姿があるのかもしれない。田中真人の『高畠素之』所収の「同関係資料目録」によれば、やはり「同叢書」で『論・想・談』も刊行されているという。それこそエッセイストとしての高畠も読んでみたいと思うが、それらに出会えるであろうか。
大正期の文芸叢書

紅野はこの「日本エッセイ叢書」紹介に終始し、ほとんど人文会出版部の内実にふれていないけれど、水守亀之助を編集人として雑誌『随筆』を発行していた出版社だとも書いている。そこで『日本近代文学大事典』を繰ってみると、二つのその時代の『随筆』が立項されていた。ひとつは大正十二年から翌年にかけて、随筆発行所や随筆社から牧野信一を編集人、中戸川吉二などを発行人として出されたもので、その編集同人には水守亀之助、久米正雄、中村武羅夫たちの名前が挙げられていた。もうひとつは大正十五年から昭和二年までの『随筆』で、こちらは編集人を水守亀之助、発行所を人文会出版部とするものだった。つまり後者が紅野のいうところの『随筆』であった。

同じく水守を引くと、その立項に明治十九年兵庫県生まれで、大阪の医学校を中退して上京し、春陽堂や新潮社の編集者となり、大正九年に短編集『帰れる父』を上梓し、文学活動を始める一方で、人文会出版部を主宰し、出版活動に携わったと記されていた。また水守に関しては、私家版の桑本幸信の『水守亀之助伝』があったことを思い出し、それも読んでみると、水守の上京後の出版者と編集者暮らしがたどられていた。彼は大正二年に女子文壇社に入り、女性向け投書雑誌『女子文壇』の編集者となり、その投書家だった新免栄子と結婚する。人文会出版部の書籍の奥付に発行人としてある水守栄とは彼女をさしているのだろうし、まさに夫人の名前で発行されていたことになる。それはまだ後のことだが、水守は大正六年に春陽堂に入り、『中央文学』の編集を経て、八年に中村武羅夫の勧めで新潮社に入社し、『新潮』の記者を務めている。その五年間の在職中に島田清次郎の『地上』を見出しベストセラーならしめたという。

さてここからは『随筆』、随筆社、人文会出版部のことにしぼる。大正十二年に第一次『随筆』が創刊されるが、中心人物の中戸川が降りてしまったために、十三年に水守が新潮社を辞めて参画し、随筆社として第二次『随筆』を刊行する。それと合わせて、『世界随筆大系』や『モオリス・ルブラン全集』が予告され、『蒼ざめたる馬』『黒馬を見たり』が刊行されていく。おそらく『世界随筆大系』が人文会出版部の『泰西随筆選集』となったのであろう。そして第三次『随筆』時代に入り、人文会出版部として、水守が夫人とともに独力経営に至り、これまで紹介してきた様々な叢書やシリーズ、単行本を刊行していったのである。先の「日本エッセイ叢書」は会費制で配布されたという。
[f:id:OdaMitsuo:20160216165545j:image:h110]『蒼ざめたる馬』

このような水守の出版活動は同時代における多くの文学者たちの出版事業への参入、とりわけ菊池寛の『文藝春秋』の成功に感化されたものだと思われる。その流れに直木三十五と鷲尾雨工の冬夏社もあったはずだが、冬夏社は軌道に乗らず、『蒼ざめたる馬』などは随筆社へと譲受され、そしてまた人文会出版部へとも引き継がれていったのであろう。

それならば人文会出版部はどうなったのか。昭和初期出版状況は円本時代を迎え、出版もまた大量生産大量消費の道を歩み出していた。そのような中にあって、文学者上がりの出版社が成功する確率は低く、人文会出版部もそれからほどなく退場するしかなかったと考えられる。それは私の所持する三冊の奥付の部分に、いずれも「特売品」「特価品」の判が打たれていることに示されている。これはゾッキ本として流通販売されたことを語っているからだ。

なお本連載326「『随筆』と『続随筆文学選集』」で、その後の行方をたどっているので、こちらも参照されたい。

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