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混住社会論136 トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)

冷血 冷血 冷血 (毎日新聞社版) ピエール・リヴィエールの犯罪――狂気と理性



しかしこれらの話法(ディスクール―引用者注)はそれだけで、それぞれの異質性によって、一つの作品や一つのテキストを形づくっているのではなく、
様々な話法を通して、話法どうしの、独特の闘争、対決、力関係、戦闘を形成しているのである。 
ミシェル・フーコー編『ピエール・リヴィエールの犯罪――狂気と理性』(岸田秀、久米博訳、河出書房新社

本連載120の矢作俊彦『ロング・グッドバイ』がレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』の本歌取りとして刊行されたことにふれたが、それに続くかのように二〇一二年にやはり同様の作品が発表された。それは高村薫の『冷血』であり、これもいうまでもなく、トルーマン・カポーティの原作タイトルをIn Cold Bood” とする同名のノンフィクションノベルの本歌取りに相当している。

THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ 長いお別れ In Cold Blood

カポーティ『冷血』(滝口直太郎訳、新潮文庫)もまたアメリカの「フィフティーズ」の最後の年、すなわち一九五九年に発生した殺人事件をテーマとしている。それはその年の十一月にアメリカ中西部カンザス州のホルカムという農村で起きたのである。ホルカムは日本人も含んだ多様な混住社会で、大半が牧畜農業に従事していた。そのうちのドイツからの移民である一家四人、夫婦、息子、娘の家族全員がロープで縛られ、ガムテープで口をふさがれ、至近距離から猟銃で射殺されていたのだ。残虐な殺人事件そのものだったが、家族の誰もが他人から恨みを買うような人たちではなく、また何も盗まれておらず、動機が不明だった。

カポーティは『遠い声遠い部屋』(河野一郎訳、新潮文庫)や『ティファニーで朝食を』(滝口直太郎訳、同前)とは異なる、現実に起きた事件に基づく小説を書いてみたいと考えていたので、ただちにこの殺人事件の取材に赴いた。そしてありとあらゆる関係者たちに会って話を聞き、さらにベリーとディックの二人の犯人が逮捕されると、た。その犯行前後の足跡をもたどり、彼らの内面と心的現象の細部にまで迫り、この犯罪の本質を浮かび上がらせようとしたのである。それらの取材と資料は六千ページに及んだとされ、六年後の六五年に『冷血』』は上梓に至り、ノンフィクションノベルという新しい分野を確立しただけでなく、ドキュメントやルポルタージュにも大いなる波紋と影響をもたらした。日本の作品に例をとれば、ただちに佐木隆三の『復讐するは我にあり』(講談社、一九七五年)が挙げられるだろう。
遠い声遠い部屋 ティファニーで朝食を 復讐するは我にあり

ちなみにカポーティの詳細な取材と記述は、『冷血』本連載119120とも無縁でないことを伝えているので、それらをふたつほど示しておこう。二人の犯人の愛唱歌はアメリカの女流詩人ジュリア・ウォード・ハウの「共和国の戦いの歌」で、その一節は「わが目は見たり、主の来ます栄光を/主は踏みにじりたもう酒蔵を、怒りの葡萄蓄えし」である。ここからスタインベックの『怒りの葡萄』のタイトルがとられている。またペリーは朝鮮戦争にアメリカ陸軍の一兵卒として加わり、横浜でひと夏を過ごしてもいるのである。
怒りの葡萄

これらの『冷血』に関する取材のディテールは、ジョージ・プリンストンの伝記『トルーマン・カポーティ』(野中邦子訳、新潮文庫)、及びフィリップ・シーモア・ホフマン主演、ベネット・ミラー監督の映画『カポーティ』でも描かれている。前者には現場の家と殺害された一家四と犯人二人の写真も収録され、とりわけ後者はそれに焦点を当て、ホフマンはそのカポーティと見紛うばかりの迫真の演技で、二〇〇五年のアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、今年になって麻薬中毒による事故で死亡している。また〇六年には笹田雅子氏による新訳(新潮文庫)も出されている。
トルーマン・カポーティ カポーティ(DVD) 冷血

このような近年のカポーティと『冷血』の再評価や再発見の流れの中で、高村の『冷血』も構想されたと見なしていいだろう。実際にポリフォニックな構成、四人の被害者家族、二人の犯人のキャラクター造型などはカポーティに範を得ているし、それらをベースにして、高村は『レディ・ジョーカー』(新潮文庫)や『太陽を曳く馬』(新潮社)の警視庁捜査一課の会田雄一郎を召喚する。そして郊外消費社会と、それに寄り添うヴァーチャルな空間としてのネットの出現と存在がクロスしたところで起きた殺人事件を書いている。それゆえにこれはカポーティの『冷血』から半世紀後に書かれた高村の、二一世紀版『冷血』として読むことができる。

レディ・ジョーカー 太陽を曳く馬

「2002年2月17日火曜日」の日付が示された第一章の「事件」は、クリスマスイブに被害者となる少女の長いモノローグから始まり、犯人たちの同じくモノローグへとつながっていく。その一人の戸田吉生は求人サイトに書き込まれた《スタッフ募集。一気ニ稼ゲマス。素人歓迎》を見て、池袋での落ち合う場所へと向かっている。一方でそれを書き込んだ井上克実は愛車GT−Rの中にいて、国道16号線沿いのガストの駐車場で朝を迎えていた。これは『ロング・グッドバイ』で、横須賀基地の前の道路が合流する国道である。昨夜彼の車はやくざに襲われ、叩き壊されてしまった。

井上にとって、それは「朝がここで一時停止し、ここが世界の意味の消失点になる」という思いをもたらした。そして外の風景が描写される。

 白濁したガラスの外は、横浜の旭区あたりの、保土ヶ谷バイパスではない国道16号線だった。ざらざらごろごろする継ぎ接(は)ぎだらけの荒れた路面の音と、間断がないというほどではない通行車両の微妙な間合いで、眼をつむっていてもそうと分かる16号線は、横浜の西区から千葉の富津岬まで、東京を遠巻きにするようにして走っており、畑と工業団地と新興住宅地の広がる沿線は、どこも自動車メーカーの販売店にパチスロ店、ファミリーレストランにコンビニエンスストアが吹き溜まりをつくる。少し市街地を離れると、空き店舗のシャッターが朽ち、不法投棄の資材や鉛管が野ざらしになった空地があり、暴力的なほど平坦な風景が続く。首都圏の運送会社で働いたことのある人間なら眼や耳以前の皮膚で分かる、地方都市の臭いだ。

ロードサイドビジネスが林立し、畑と工業団地や新興住宅地が混住する典型的な郊外の風景だ。少しばかり古いデータになってしまうが、西村晃の『日本が読める国道16号』(双葉社、一九九四年)は横須賀から八王子、川越、春日部、柏、千葉、君津まで「東京を遠巻きにして走って」いるその地図を示しながら、次のような数字を挙げている。この国道16号は東京都心からおよそ30キロ圏を一周する環状道路で、沿線人口は東京23区の800万人を超える1000万人であり、団塊の世代の人々が多く移り住んできたことで、団塊ジュニアも加わり、人口はほぼ倍増したことになる。
日本が読める国道16号

そのために国道16号の沿線市町村は日本の最大の消費者層にして、戦後の消費社会のコアに他ならない団塊の世代とその子供たちが集中的に住んでいる地域だと。つまり国道16号線は拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、図表で示しておいた東京50キロ圏の「1975から1980年にかけて新しく登場した急成長の都市」のすべてを横断するロードなのだ。
〈郊外〉の誕生と死

板橋で新聞配達をしている戸田と元トラック運転手の井上は池袋で出会い、ロッテリアでハンバーガーを食べながら、初対面だが、二人とも刑務所に入っていたことを確認し合い、歯痛に悩む戸田は現在からの「脱出」を願い、井上のほうはさしたる根拠もなくATM強奪を提案する。ネットへの書き込みも同様に、あのガストでなされたのだ。

そうして二人の道行は始まるのだが、その主たる舞台は必然的に国道16号線ということになる。町田インターから国道16号線に入り、多摩ニュタータウンから相模原に入り、そこの健康ランドで日付が変わるのを待ち、トラックを盗み、町田郊外の郵便局のATMを襲うが、失敗に終わる。それから二人は次にハイエースを盗み、明け方にデニーズに入り、ハンバーグライスとビーフカレーを食べる。そして戸田がスーパー銭湯に入っている間に、井上は朝から行列ができているまっ赤な外壁の巨大なパチスロ店で大当たりをとったりしていた。それでも二人の破滅へと向かう道行は続く。

 イノウエが運転するハイエースは沿道の量販店やガソリンスタンドやファミリーレストランへの車の出入りが引きも切らない町田街道から、やがて多摩境駅にでて東京方向へUターンした。そのとたん、眼に飛び込んできたのは、何もない造成地の闇の真っ只中を、数珠つなぎのヘッドライトが光の川になって延々と続いている光景だった。(中略)
 吉生は突然アメリカだと思った。ドがつく田舎のショッピングセンターにガキどもが車を連ねて集まってくる風景は、ほとんどアメリカの中西部だ、と。二十歳のころ(中略)観たうっとおしい映画―『パリ、テキサス』という変な題だった――そこに出てきた土地。(中略)そういえば、朝見た薬師台あたりの分譲地も、笑ってしまうほどアメリカ東部の住宅地っぽいつくりだったから、この多摩境が中西部でもおかしくはないだろう。そうか、町田は多摩だったのか。

『パリ、テキサス』はこの後も様々に言及されるので、少しばかり注釈を加えておこう。これは一九八四年公開のサム・シェパード脚本、ヴィム・ヴェンダース監督のロードムービーである。主人公のトラヴィスはテキサス砂漠に実在するとされるパリという地を求めて放浪しているうちに、妻は失踪し、息子だけが残され、弟夫婦に引き取られていた。そこでトラヴィスは息子を連れ、妻(母)を捜す旅に出るのだが、その道行はこの映画が砂漠のシーンから始まるように、荒野の中を彷徨うイメージが強く、戸田のモノローグでもそれと自分たちの道行、及び郊外の新興住宅地と消費社会の風景をオーバーラップさせているのだろう。

パリ、テキサス

ここでは言及されていないが、カポーティの『冷血』の舞台はアメリカ中西部の片田舎にほかならず、まさに井上と戸田はペリーとディックに重ねられているのである。それから二人はコンビニを襲い始める。「コンビニエンスストアが二十四時間営業なら、そこに押し込む強盗も二十四時間営業だ」。しかし二店で奪ったのは十四万円ほどで、「いったいこれは現実だろうか――? 大の男が二人がかりでコンビニ強盗だ。体力も気力もある三十代でここまで堕ちたら、あとはもう無銭飲食ぐらいしか堕ちるところがない。いや、こんな現実のほうが狂ってやがるのだ」という思いに捉われる。国道16号線から始まった二人の道行は、ロードサイドビジネスの表層の明るさの奥に潜むアモルフな暗部を浮かび上がらせ、郊外消費社会の闇の部分、そこにうずまっているもうひとつの「現実」を照らし出しているかのようだ。

二人は再び別の車のシルビアを盗み、逃げるかのように国道16号線を走り続け、夜中に赤羽駅近くの二十四時間サウナに入る。そうして二人の道行と犯罪の臨界点ともいうべき一家四人殺しの現場へと近づいていったのだ。戸田の宿痾とでもいうべき歯痛と故郷の思い出、井上の歯医者に関する過去の記憶は連鎖して、二人を赤羽に近い西が丘の歯科医院へと向かわせる。そしてその自宅に押し入り、犯行へと至るのである。彼らはキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出し、犯行後六十八時間で十六ヵ所のATMから千二百万円の現金を引き出していた。それらはすべて16号線のコンビニで、川越、狭山、入間、横浜、横須賀、鎌倉、藤沢、東川崎、木更津、千葉のセブン‐イレブン、ファミリーマート、ローソンの名前が逃亡の痕跡を示すかのようにリストアップされる。

そのような痕跡から二人は逮捕される。だが二転三転する二人の供述と様々に絡み合う事実から、「携帯電話の求人サイトで出会っただけの見ず知らずの人間同士が、会って四日後に一か四人殺しをやっている」ことの真の動機が問題となり、それが『冷血』の大きな謎を形成してくる。そして合田は思うのだ。

 この一家四人殺しに、いったい言葉で語られるに足る内実はあるのか、と。自分たちが目の当たりにしているのは、たまたまどこからか現れた男二人が、ほとんど何も考えず、目的すらはっきりしないままに、なにがしかの気分に任せて動いた結果の一家四人殺しであり、まさしくそれ以上のどんな深みも真相もない、事実という名の空洞があいているだけではないのか。
 仮にそうだとすれば、自分たち警察が捜査と呼び、事件の解明と呼んでいるものは、ただ社会秩序のためにその空洞を言葉で埋める行為ということになるが、空洞とそれを埋める言葉は別ものだ。(中略)いったい自分たち警察も社会も、この被疑者たちに何を求めているのだろう。欲しいのは、彼らをともかく刑場に吊るすための理由ではないだろうか。

ここに表出しているのは、高村の『冷血』がカポーティのみならず、ドストエフスキーの『罪と罰』からカミュの『異邦人』 を継承し、今世紀に入って起きた様々な犯罪や未解決事件をふまえ、成立していることの証左であろう。
罪と罰 異邦人

そのような視座の下に、デラシネ的な郊外消費社会としての国道16号線が描かれたこと、及び合田が拘置所の井上に長塚節の『土』などを送り、井上の返事も書かれていることは、高村のクライムノベルにこめられた思想の一端を伝えているのではないだろうか。
土

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1