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古本夜話547 生田蝶介『歩み』

本連載544「三上於菟吉『随筆わが漂泊』と元泉社」で、三上が博文館の『講談雑誌』編集長の生田蝶介に見出されたこと、また生田に関しては425426でも言及していることを既述しておいた。

それでも生田には『日本近代文学大事典』に立項があるので、ま先ずはそれも引いておく。

 生田蝶介 いくたちょうすけ 明治二二・五・二六〜昭和五一・五・三(1889〜1976)歌人、小説家。山口県長府生れ。本名調介。早大英文科中退。博文館入社。一三歳「中学文壇」への投稿にはじまり、小説を「スバル」に書く。短歌は独学で、大正五年一一月歌集『長旅』(須原啓興社)、一三年歌誌「吾妹」を発行。また「主婦之友」にキリシタンもの『聖火燃ゆ』を連載するなど、編集者生活のかたわら短歌と大衆小説を書いたが、後半は短歌に専心し、歌集、歌書多数を出した。歌風は万葉調と抒情である。

これを補足すれば、平成に入って、『長旅』を含む『生田蝶介全歌集』(短歌新聞社、平成二年)、『聖火燃ゆ』に続く『妖説天草丸』『原城天帝旗』からなる『島原大秘録』三部作(未知谷、同八年)が刊行され、それまで定かでなかった生田の「短歌と大衆小説」の世界の輪郭が提出されるに至っている。

聖火燃ゆ 妖説天草丸 原城天帝旗

しかし『生田蝶介全歌集』所収の白澤節人編(荒川欽雄補筆)の「略年譜」、さらにそれを補筆訂正した『原城天帝旗』所収の山蔦恒編の同じく「略年譜」をたどってみると、「短歌と大衆小説」の他にも、多くの創作、少年少女読物、雑誌や小説や演劇に関する評論を発表しているとわかる。また創作は『廓模様』(文永堂、大正二年)、『〈解剖刀下〉女百態』(須原啓興社、同五年)、『歩み』(博文館、同十年)として単行本化され、また長編現代小説として『断崖』(北海タイムス社、昭和三年)も刊行されているようだ。なおこれは蛇足だが、『原城天帝旗』の解説は私が書いている。

最近になって、これらのうちの『歩み』を入手したので、この創作集を紹介してみたい。先の山蔦編「略年譜」に引かれている『女学世界』の広告には「過去一〇余年の創作より秀作一〇余編を選出したもの。残り一〇〇余編は火中に投じ現世より葬り去ったとされる」とのキャッチコピーが付されていたという。

「生田蝶介創作集」と銘打たれた『歩み』は四六判上製函入で、十一編からなる短編集だが、私が入手したのは大正十年一月発行、三月再版の一冊である。口絵として伊東深水による同九年十一月の「著者の画像」が掲載され、それに続いて、「『歩み』の序」として、「私はこれまでたつた一人で歩みつゞけて来た、これからもたつた一人で歩みつゞけることであらう」と始まる一文が置かれ、それがこのタイトルの由来を伝えていることになろう。

この創作集に収録された十一編のうちで、私の好みからいえば、深川育ちで男出入りが激しい子持ちの芸妓と書生上がりの男との関係を描いた「畳屋の二階」、東京で十年近く暮らしてきた男が亡母の七周忌のために海辺の故郷に帰り、伯父が亡くなったために養女に出されていた二十歳ばかりの従妹と出会う「旧道」などを挙げてみたい。

だがそれは慎み、ここではあえてこの一編だけ末尾に「処女作」と謳われている「今戸の家」を取り上げるしかないだろう。実際に生田はこの時代に浅草の今戸に家をかまえていたし、その小説作法から考えても、自らの体験と生活を投影させていると思えるからだ。まして「処女作」であることからすれば、それは必然的と見なすしかないだろう。

「今戸の家」は大学生の「私」が語る二人の女をめぐる短編であり、「私」は養父の妾の琴さんが住む今戸の家に出入りしていた。そこには政ちゃんという女学生の娘がいて、「私」を兄さんと呼び、親しんでいた。ところが彼女が病気で寝たきり状態になり、「お嫁に行きたい」などといい出したという。「政ちゃんは処女で、何も知らずに死んで行くんだ」と「私」は思ったりして、胸が重くなった。

そのうちに政ちゃんが少しはよくなったこと、それから避暑の時期を迎えたので、「私」は友人の小田原の別荘に出かけた。そこには政ちゃんからの手紙もきて、病気はよくなっているなどと書かれていて、それが「最上の慰め」になった。だが政ちゃんが死んでしまうような気になり、東京に帰ろうと思った。するとそこに友人の姉で、一度は某子爵夫人となったが、実家に戻ってきた二つ年上の加代子が登場し、心に魔術をかけるように「私」を引き止め、それは二ヵ月に及ぶ。政ちゃんからはずっとさみしいとの手紙が届き、「私」は帰ろうとするが、加代子は国府津の停車場で待ち受けていた。そして「何処までも離しやしませんよ」といい、汽車の中では何と『サロメ』を読んでいるし、彼女は「クリンゲルのヂレエネ」(これは特定できないのだが、ドイツの象徴主義の画家マックス・クリンガーが描いたセイレーンをさしていると思われる―引用者注)に似ているのだ。
サロメ

秋から冬に入ろうとする頃、政ちゃんは激しく喀血し、それがきっかけとなり、「私」は暗い拝殿の中で、蝋燭を失い、明晩から燈明をつけることができないという夢を見る。死が迫りつつある政ちゃんを残し、「私」は「K市あたりに出かけて少し頭を洗つて来よう」とするが、その「古い匂いのする街」にも加代子が追いかけてくるのだった。おそらく生田の周辺に二人の女性のモデルが存在したにちがいなく、それぞれにヨーロッパ世紀末文学や芸術から召喚されたとおぼしきファム・ファタル像が重なり合うことで、この「今戸の家」は成立したと思われる。

そうした女性をめぐるイメージは処女歌集『長旅』にも揺曳するもので、「今戸の家」とリンクしているのではないだろうか。

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