前回のニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』が範としたのは、一九八九年に刊行されたトマス・H・クックの『熱い街で死んだ少女』ではないかと述べておいた。さらにそれに関して補足すれば、デイヴィッド・グターソンの『殺人容疑』(高儀進訳)も同様だと思われるので、この作品も取り上げておきたい。


ただその前に指摘しておかなければならないのは、この邦題『殺人容疑』も『ある日系人の肖像』と同じように、原タイトルは “Snow Falling on Cedars”すなわち『ヒマラヤ杉に降る雪』で、二〇〇四年のイーサン・ホーク、工藤夕貴主演、スコット・フックス監督による映画化の場合も同様である。それはこの原タイトルそのものが物語の表象とメタファーになっているからだ。邦題は講談社文庫のミステリーシリーズに収録するための便宜的なものと見なすべきだろう。だがそうはいっても、ここでは原書を参照する手間をかけられないので、邦題を挙げるしかない。
(『Snow Falling on Cedars』)
(DVD、『ヒマラヤ杉に降る雪』)
それはともかく、この『殺人容疑』は太平洋戦争をはさむ日系人の物語をコアとし、これに『熱い街で死んだ少女』における一九六〇年代のアメリカの公民権運動を重ねれば、『ある日系人の肖像』のミステリー構図が浮かび上がることになる。いってみれば、ニーナという日系人作者が先行する二つの物語ファクターをリンクさせ、自作へと流しこんだようにも思えるし、そのように考えてみると、これらの作品はまさに三位一体の関係と物語を形成している。
グターソンの『殺人容疑』は次のように始まっている。
被告人カズオ・ミヤモトは、両のてのひらを被告人席のテーブルにそっと起き、毅然として誇らかに背筋をぴんと伸ばしたまま、椅子に坐っていた―自分自身の裁判で、考えうる限り超然とした態度をとっている姿勢だ。
漁師の日系アメリカ人のカズオ・ミヤモトは、同じく漁師のドイツ系アメリカ人のカール・ハインの殺人容疑で逮捕され、その裁判が始まろうとしていた。
時代は第二次世界大戦から十年近く経つ一九五四年、場所はワシントン州のピュージェット湾の北に位置するサン・ピエドロ島においてだった。この島には五千人ほどが住み、唯一の町は裁判所もあるアミティー港だが、本通りにも零細な商店などが並んでいるだけで、町とはいっても貧しい漁村に他ならなかった。それでも島はヒマラヤ杉の丘に囲まれ、その美しい緑はよく知られていたが、裁判が始まる十二月には大雪に見舞われ、それが樹木の梢に積もり出していた。
そのかたわらで、法廷に判事、弁護士、検事が登場し、陪審員や傍聴者たちの姿も描かれていくけれど、物語の進行によって主要な登場人物が明確になっていく。それはカズオとカールの他に、カズオの妻ハツエ、地元の新聞記者スコットランド系アメリカ人イシュマエルであり、またこれらの人々の来歴と関係も語られ、サン・ピエドロ島へとたどり着いた経緯、島の高校の同窓生だったことも記されていく。
この島に日系アメリカ人の両親や祖父母がやってきたのは一八八三年で、最初は二人だった。彼らは岬の小屋に住み着き、製材所で働くようになり、二十世紀に入ると三百人を超え、「ジャップ・タウン」が形成された。それは風呂屋、床屋、仏教の寺とバプテスト派の伝道所、ホテル、食品雑貨店、豆腐屋などの、泥だらけの道に面した五十余りのみすぼらしい建物からなっていた。しかし島の樹木はすべて鋸で挽かれ、切り株だらけの孤島になってしまったので、一九二一年に製材所は取り壊され、そのオーナーは土地を売り、島を去った。そこで日本人は土地を借り、苺栽培に乗り出した。その島の気候が合っていたし、ほとんど資金がいらなかったからだ。また白人の所有する畑で働く小作人にもなった。そして六月には苺の収穫が始まり、カナダ系インディアンもやってきて、日本人と一緒に白人のために働いた。
七月初旬に苺の収穫が終わると、苺祭りがあり、それは島の誰もが参加する「どんちゃん騒ぎ」「部族のポトラッチ」「ニューイングランドの夕食会の名残」のようでもあった。その祭りの呼び物は苺のプリンセスの戴冠式で、プリンセスはいつも白粉を入念に顔にぬった日本人の女だった。彼女は、赤い飾り帯に笏を持った町長から冠を授かるのだが、そのセレモニーは苺を介したアメリカとイギリスの二つの社会の結びつきを称揚するもので、その乙女は気づいていなかったが、そのための「人身御供」、つまり祭りと彼女の存在は供儀を象徴していたのである。
ここに出自を異にする多様な人々がひとつの共同体を形成していくプロセスが垣間見えるし、そのようにして島の暮らしも営まれ、真珠湾攻撃の日までには八百人以上の日系アメリカ人が住んでいた。だがアメリカ合衆国戦時収容局は島のすべての日系アメリカ人を十五隻の輸送船に乗せ、アミティー港のフェリー発着所まで連れていった。ほとんどの島民が「日本人をそうやって追い出すのは理に適っていると感じ、(中略)日本人は当然の理由で出ていかなければならないのだと確信した。いまは戦争中なのだ、戦争ですべてが変わってしまったのだ」。
そして島の日系アメリカ人はマンザナー強制収容所へと送られ、それにはカズオとハツエたちの家族も含まれ、そこで二人は結婚したのだった。そのような中でも、彼らが望んでいたのは、戦争が終わったら島に戻り、苺畑を手に入れることだった。「それ以上の何物でもない。二人は、自分たちの畑を持つこと、自分たちの愛する人たちのすぐそばにいること、自分たちの家の窓の外から苺のにおいが流れ込んでくることを望んでいた」のである。それはカズオの父の望みでもあり、実際に苺栽培農園主のカールの父から七エーカーの土地を買っていた。
その一方で、カズオは強制収容所から軍隊に入り、四四二部隊の一員としてヨーロッパ戦線に向かい、ドイツ軍と戦った。それはカールやイシュマエルも同様で、この二人も南太平洋や沖縄で日本軍と戦い、イシュマエルは片腕を失っていた。そうして三者三様に戦争の残虐のトラウマの中で、サン・ピエドロ島での戦後を迎えていたのである。しかもイシュマエルが片腕をなくしたように、カズオやカールにとっても、戦争は自らのものと目されていた土地を失うことを意味していた。カールの父の死をきっかけに、母親が戦争中に勝手にカズオの父が購入していた土地を含め、すべてを売却してしまったからだ。それゆえに二人とも漁師になるしかなかったし、その土地をカールが買い戻したことも絡んで、カズオとカールの間には二代に及ぶ、土地をめぐる問題が生じたことになる。
そのような半世紀以上に及ぶ、サン・ピエドロ島にやってきた出自を異にする移民状況、戦前戦後を通じての日本人移民が描かれたポジション、移民たちの土地をめぐる問題と根づくことの意味などが錯綜し、裁判は展開され、物語の進行につれて、真相が明らかになっていく。しかしそれらのアメリカのおける日本人を始めとする移民史、及びその中で生じる様々な人種や民族葛藤、それが必然的にカズオによるカールの殺人容疑という裁判の光景に表出しているのだが、それ以上にこの作品に異彩を添えているのはハツエの存在であろう。
それはオリエンタリズム的女性像を免れていないけれど、彼女が苺祭りのプリンセスに選ばれているように、ヒロインにして供儀に殉ずる女性という両義的存在として描かれている。それは彼女のイシュマエルとの恋愛、カズオとの結婚にも表出しているし、ハツエは移民たちの島における、海からやってきた神女のようでもある。ハツエと一緒にいると、すでに十四歳の時にイシュマエルは思う。「この海岸、この海水、この石、後ろの森も含まれる。それはすべて自分たちのものであり、これからもずっとそうだろう。そしてハツエは、この場所の霊なのだ」と。そして彼は彼女にキスしてしまう。するとハツエは駆け出し、森の中へと消えていった。
それからイシュマエルは森の中からハツエの家をうかがい、「覗き魔」のようにハツエの姿を見ていた。また苺取りの季節になると、彼は彼女と一緒に賃金の高い畑仕事に出かけ、帰りには彼女の跡をつけるようになった。
ハツエはヒマラヤ杉の森の中に入った。イシュマエルは、羊歯の小さな谷間を通ってあとを追った。森の地面には、朝顔がそこここに咲いていた。蔦の絡まった一本の倒れた丸太が、小さな谷間に橋のように掛かっていた。(……)ハツエは丸太の上を歩いて入江を渡り、ヒマラヤ杉の生えている丘の斜面を中ほどまで登り、一本の木の洞(ほら)にもぐり込んだ。二人が。たった九つのときに一緒に中で遊んだ洞だ。
イシュマエルは雨に打たれながら木蔭にしゃがみ、三十秒ほど、洞の入口を見つめていた。髪が濡れて目に入った。イシュマエルは、なぜハツエがここに来たのか、その理由を理解しようとした。(……)
するとハツエがヒマラヤ杉の洞の入口から自分を見ていることに気づいた。そして「こっちに来たら」というハツエの言葉に応じ、イシュマエルも洞に入るのだった。ここは「考えるための場所」だとハツエはいった。「洞の中は隔絶した世界」で、「この世の誰も、二人を捜しに、この木の洞に来はしない」。そして洞の中で何もしていないけれど、二人で並んで横になり、どちらの両親も二人が木の中で一緒にいることを知ったら怒るだろうと話すのだった。
「それでもよ」とハツエは言った。「あなたは日本人じゃない。そうして、あたしは、あなたと二人っきり」
「そんなことは問題じゃないさ」とイシュマエルは答えた。(……)
そして、またキスをした。(……)イシュマエルは目を閉じ、ハツエの匂いを鼻孔から思う存分吸い込んだ。こんな幸せな気分を味わったことはない、とイシュマエルは思った。そして、いま起こっていることはどんなにこれから生きたとしても、まったく同じようには二度と起こらないことに、心の痛みを覚えた。
イシュマエルはこれが「二度と起こらない」神話的時間と体験であることを自覚し、それを告白しているのだ。このシーンはアメリカのサン・ピエドロ島における人種や民族を異にする少年と少女の物語の至高点であるにもかかわらず、これも日本の神話的な『宇津保物語』や『竹取物語』、もしくは『伊勢物語』などをも想起してしまう。そうしてあらためて考えさせられるのは、これらの日本の物語にしても、出自を異にする人々が出会い、遭遇し、邂逅することによって紡ぎ出されたものなのではないかという問いでもある。またそれを触媒として、神話や伝説が生み出され、祭りも伴い、伝播、伝承されていく。混住社会からひとつの共同体へと至る回路もそのようなメカニズムをベースとして形成されていったのではないかとも思えてくる。
それゆえに、ここでは最後に邦題ではなく、もう一度原タイトルの『ヒマラヤ杉に降る雪』を挙げ、そこに秘められた少年と少女の物語と混住社会の神話の揺曳、ひとつの共同幻想の誕生を伝えておきたい。