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混住社会論139 デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)

殺人容疑



前回のニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』が範としたのは、一九八九年に刊行されたトマス・H・クック『熱い街で死んだ少女』ではないかと述べておいた。さらにそれに関して補足すれば、デイヴィッド・グターソンの『殺人容疑』(高儀進訳)も同様だと思われるので、この作品も取り上げておきたい。
ある日系人の肖像 熱い街で死んだ少女

ただその前に指摘しておかなければならないのは、この邦題『殺人容疑』『ある日系人の肖像』と同じように、原タイトルは Snow Falling on Cedarsすなわち『ヒマラヤ杉に降る雪』で、二〇〇四年のイーサン・ホーク工藤夕貴主演、スコット・フックス監督による映画化の場合も同様である。それはこの原タイトルそのものが物語の表象とメタファーになっているからだ。邦題は講談社文庫のミステリーシリーズに収録するための便宜的なものと見なすべきだろう。だがそうはいっても、ここでは原書を参照する手間をかけられないので、邦題を挙げるしかない。

Snow Falling on Cedars  (『Snow Falling on Cedars』)Snow Falling on Cedars (DVD、『ヒマラヤ杉に降る雪』)

それはともかく、この『殺人容疑』は太平洋戦争をはさむ日系人の物語をコアとし、これに『熱い街で死んだ少女』における一九六〇年代のアメリカの公民権運動を重ねれば、『ある日系人の肖像』のミステリー構図が浮かび上がることになる。いってみれば、ニーナという日系人作者が先行する二つの物語ファクターをリンクさせ、自作へと流しこんだようにも思えるし、そのように考えてみると、これらの作品はまさに三位一体の関係と物語を形成している。

グターソンの『殺人容疑』は次のように始まっている。

 被告人カズオ・ミヤモトは、両のてのひらを被告人席のテーブルにそっと起き、毅然として誇らかに背筋をぴんと伸ばしたまま、椅子に坐っていた―自分自身の裁判で、考えうる限り超然とした態度をとっている姿勢だ。

漁師の日系アメリカ人のカズオ・ミヤモトは、同じく漁師のドイツ系アメリカ人のカール・ハインの殺人容疑で逮捕され、その裁判が始まろうとしていた。
時代は第二次世界大戦から十年近く経つ一九五四年、場所はワシントン州のピュージェット湾の北に位置するサン・ピエドロ島においてだった。この島には五千人ほどが住み、唯一の町は裁判所もあるアミティー港だが、本通りにも零細な商店などが並んでいるだけで、町とはいっても貧しい漁村に他ならなかった。それでも島はヒマラヤ杉の丘に囲まれ、その美しい緑はよく知られていたが、裁判が始まる十二月には大雪に見舞われ、それが樹木の梢に積もり出していた。

そのかたわらで、法廷に判事、弁護士、検事が登場し、陪審員や傍聴者たちの姿も描かれていくけれど、物語の進行によって主要な登場人物が明確になっていく。それはカズオとカールの他に、カズオの妻ハツエ、地元の新聞記者スコットランド系アメリカ人イシュマエルであり、またこれらの人々の来歴と関係も語られ、サン・ピエドロ島へとたどり着いた経緯、島の高校の同窓生だったことも記されていく。

この島に日系アメリカ人の両親や祖父母がやってきたのは一八八三年で、最初は二人だった。彼らは岬の小屋に住み着き、製材所で働くようになり、二十世紀に入ると三百人を超え、「ジャップ・タウン」が形成された。それは風呂屋、床屋、仏教の寺とバプテスト派の伝道所、ホテル、食品雑貨店、豆腐屋などの、泥だらけの道に面した五十余りのみすぼらしい建物からなっていた。しかし島の樹木はすべて鋸で挽かれ、切り株だらけの孤島になってしまったので、一九二一年に製材所は取り壊され、そのオーナーは土地を売り、島を去った。そこで日本人は土地を借り、苺栽培に乗り出した。その島の気候が合っていたし、ほとんど資金がいらなかったからだ。また白人の所有する畑で働く小作人にもなった。そして六月には苺の収穫が始まり、カナダ系インディアンもやってきて、日本人と一緒に白人のために働いた。

七月初旬に苺の収穫が終わると、苺祭りがあり、それは島の誰もが参加する「どんちゃん騒ぎ」「部族のポトラッチ」「ニューイングランドの夕食会の名残」のようでもあった。その祭りの呼び物は苺のプリンセスの戴冠式で、プリンセスはいつも白粉を入念に顔にぬった日本人の女だった。彼女は、赤い飾り帯に笏を持った町長から冠を授かるのだが、そのセレモニーは苺を介したアメリカとイギリスの二つの社会の結びつきを称揚するもので、その乙女は気づいていなかったが、そのための「人身御供」、つまり祭りと彼女の存在は供儀を象徴していたのである。

ここに出自を異にする多様な人々がひとつの共同体を形成していくプロセスが垣間見えるし、そのようにして島の暮らしも営まれ、真珠湾攻撃の日までには八百人以上の日系アメリカ人が住んでいた。だがアメリカ合衆国戦時収容局は島のすべての日系アメリカ人を十五隻の輸送船に乗せ、アミティー港のフェリー発着所まで連れていった。ほとんどの島民が「日本人をそうやって追い出すのは理に適っていると感じ、(中略)日本人は当然の理由で出ていかなければならないのだと確信した。いまは戦争中なのだ、戦争ですべてが変わってしまったのだ」。

そして島の日系アメリカ人はマンザナー強制収容所へと送られ、それにはカズオとハツエたちの家族も含まれ、そこで二人は結婚したのだった。そのような中でも、彼らが望んでいたのは、戦争が終わったら島に戻り、苺畑を手に入れることだった。「それ以上の何物でもない。二人は、自分たちの畑を持つこと、自分たちの愛する人たちのすぐそばにいること、自分たちの家の窓の外から苺のにおいが流れ込んでくることを望んでいた」のである。それはカズオの父の望みでもあり、実際に苺栽培農園主のカールの父から七エーカーの土地を買っていた。

その一方で、カズオは強制収容所から軍隊に入り、四四二部隊の一員としてヨーロッパ戦線に向かい、ドイツ軍と戦った。それはカールやイシュマエルも同様で、この二人も南太平洋や沖縄で日本軍と戦い、イシュマエルは片腕を失っていた。そうして三者三様に戦争の残虐のトラウマの中で、サン・ピエドロ島での戦後を迎えていたのである。しかもイシュマエルが片腕をなくしたように、カズオやカールにとっても、戦争は自らのものと目されていた土地を失うことを意味していた。カールの父の死をきっかけに、母親が戦争中に勝手にカズオの父が購入していた土地を含め、すべてを売却してしまったからだ。それゆえに二人とも漁師になるしかなかったし、その土地をカールが買い戻したことも絡んで、カズオとカールの間には二代に及ぶ、土地をめぐる問題が生じたことになる。

そのような半世紀以上に及ぶ、サン・ピエドロ島にやってきた出自を異にする移民状況、戦前戦後を通じての日本人移民が描かれたポジション、移民たちの土地をめぐる問題と根づくことの意味などが錯綜し、裁判は展開され、物語の進行につれて、真相が明らかになっていく。しかしそれらのアメリカのおける日本人を始めとする移民史、及びその中で生じる様々な人種や民族葛藤、それが必然的にカズオによるカールの殺人容疑という裁判の光景に表出しているのだが、それ以上にこの作品に異彩を添えているのはハツエの存在であろう。

それはオリエンタリズム的女性像を免れていないけれど、彼女が苺祭りのプリンセスに選ばれているように、ヒロインにして供儀に殉ずる女性という両義的存在として描かれている。それは彼女のイシュマエルとの恋愛、カズオとの結婚にも表出しているし、ハツエは移民たちの島における、海からやってきた神女のようでもある。ハツエと一緒にいると、すでに十四歳の時にイシュマエルは思う。「この海岸、この海水、この石、後ろの森も含まれる。それはすべて自分たちのものであり、これからもずっとそうだろう。そしてハツエは、この場所の霊なのだ」と。そして彼は彼女にキスしてしまう。するとハツエは駆け出し、森の中へと消えていった。

それからイシュマエルは森の中からハツエの家をうかがい、「覗き魔」のようにハツエの姿を見ていた。また苺取りの季節になると、彼は彼女と一緒に賃金の高い畑仕事に出かけ、帰りには彼女の跡をつけるようになった。

 ハツエはヒマラヤ杉の森の中に入った。イシュマエルは、羊歯の小さな谷間を通ってあとを追った。森の地面には、朝顔がそこここに咲いていた。蔦の絡まった一本の倒れた丸太が、小さな谷間に橋のように掛かっていた。(……)ハツエは丸太の上を歩いて入江を渡り、ヒマラヤ杉の生えている丘の斜面を中ほどまで登り、一本の木の洞(ほら)にもぐり込んだ。二人が。たった九つのときに一緒に中で遊んだ洞だ。
 イシュマエルは雨に打たれながら木蔭にしゃがみ、三十秒ほど、洞の入口を見つめていた。髪が濡れて目に入った。イシュマエルは、なぜハツエがここに来たのか、その理由を理解しようとした。(……)

するとハツエがヒマラヤ杉の洞の入口から自分を見ていることに気づいた。そして「こっちに来たら」というハツエの言葉に応じ、イシュマエルも洞に入るのだった。ここは「考えるための場所」だとハツエはいった。「洞の中は隔絶した世界」で、「この世の誰も、二人を捜しに、この木の洞に来はしない」。そして洞の中で何もしていないけれど、二人で並んで横になり、どちらの両親も二人が木の中で一緒にいることを知ったら怒るだろうと話すのだった。

 「それでもよ」とハツエは言った。「あなたは日本人じゃない。そうして、あたしは、あなたと二人っきり」
 「そんなことは問題じゃないさ」とイシュマエルは答えた。(……)
 そして、またキスをした。(……)イシュマエルは目を閉じ、ハツエの匂いを鼻孔から思う存分吸い込んだ。こんな幸せな気分を味わったことはない、とイシュマエルは思った。そして、いま起こっていることはどんなにこれから生きたとしても、まったく同じようには二度と起こらないことに、心の痛みを覚えた。

イシュマエルはこれが「二度と起こらない」神話的時間と体験であることを自覚し、それを告白しているのだ。このシーンはアメリカのサン・ピエドロ島における人種や民族を異にする少年と少女の物語の至高点であるにもかかわらず、これも日本の神話的な『宇津保物語』『竹取物語』、もしくは『伊勢物語』などをも想起してしまう。そうしてあらためて考えさせられるのは、これらの日本の物語にしても、出自を異にする人々が出会い、遭遇し、邂逅することによって紡ぎ出されたものなのではないかという問いでもある。またそれを触媒として、神話や伝説が生み出され、祭りも伴い、伝播、伝承されていく。混住社会からひとつの共同体へと至る回路もそのようなメカニズムをベースとして形成されていったのではないかとも思えてくる。

それゆえに、ここでは最後に邦題ではなく、もう一度原タイトルの『ヒマラヤ杉に降る雪』を挙げ、そこに秘められた少年と少女の物語と混住社会の神話の揺曳、ひとつの共同幻想の誕生を伝えておきたい。
宇津保物語 竹取物語 伊勢物語

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1