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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論143 森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)

永遠の出口



二一世紀に入り、新しい作家や新たな物語が出現し、それまでと異なる郊外や混住社会が描かれていくようになる。だがそれらはまったくかけ離れているわけではなく、地続きであり、二〇世紀の風景をベースにして組み立てられた二一世紀の光景のようでもある。これまでの本連載でそれらのいくつかを取り上げてきたが、続けて言及してみたい。

森絵都『永遠の出口』は二〇〇三年に出されているが、一九九九年から二〇〇二年にかけて『小説すばる』に連載されたこともあって、その時代背景は一九七〇年代後半から九〇年代半ばの設定となっている。それは同時にヒロインというよりも、シンプルに主人公と呼んだほうがふさわしい紀子の、十歳の小学三年から十八歳の高校三年までの九年間の少女の物語を織り成している。その時代の流れはサンリオのファンシーの流行、二日前に解散したピンクレディ、人気爆発中のたのきんトリオ『エースをねらえ!』『ガラスの仮面』、映画『台風クラブ』ユーミンの「ダンデライオン」、バブルの到来などが物語に挿入されることによ伝えられる。
エースをねらえ!   ガラスの仮面 台風クラブ

本連載の視座からすれば、『永遠の出口』の一九七〇年代後半から九〇年代半ばにかけての時代は、郊外と混住社会が出現し、それらがスプロール化して拡散、膨張していく中で、ロードサイドビジネスによる郊外消費社会が形成され、その一方でバブル経済の始まりとその崩壊に至る過程であった。

そのために第一章の小学生時代において、「田畑が地面の大方を占め、空には農薬散布のヘリコプターが年中舞っていた私たちの町」と記述されている。そして第三章の十二歳の春休みで、数日後に中学生となる紀子たちは「ちょっとした卒業旅行」として、千葉へと出かけることになり、それは彼女たちにとって遠征にも似ていたし、次のように説明されている。

 そう、ほんの十年前までは村と呼ばれていた町にすむ私たちにとって、大型デパートの連なる千葉は津田沼船橋と肩を並べる大都会だった。そこへの行程はまさに長旅。なにしろ最寄りの国鉄(現JR)駅に出るのでさえ、家から自転車で四十分もかかる。バスもあるにはあるけれど、本数は一時間に一本にすぎず、節約も兼ねて私たちはこの日、朝九時からあくせくと自転車を走らせてきた。

ここに問わず語りに彼女たちが郊外と混住社会の中で暮らしていることが示されているし、「ほんの十年前までは村と呼ばれていた町」とはその紛れもない表象なのだ。しかし八〇年代を迎えているにもかかわらず、『永遠の出口』には郊外や混住社会と三位一体の関係にあるはずのロードサイドビジネスは登場してこない。主人公たちは千葉のデパートに「長旅」することがあっても、日常的に接しているのは駅前の商店街や駅ビルの店であり、紀子たちが万引してつかまるのも、デパートと呼ばれているけれど、そこにある雑居ビルに他ならない。住宅街や公団住宅への言及はなされているが、その周辺にロードサイドビジネスの集積である郊外消費社会の存在の気配はない。また紀子がアルバイトをするレストランにしても、駅の近くにあり、店名は「ラ・ルーシュ」、それはフランス語の「蜜蜂の巣」を意味している。その名前のようにシックな佇まいと上質な料理を売り物としていて、決してチェーン店のファミレスではない。

そのことと同様に、紀子の両親に関しても、父は会社の「仕事ニンゲン」、母はそもそも美容師志望だったが、普通のOLとなり、現在は専業主婦とされている。だが「村と呼ばれた町」に住んでいるにもかかわらず、「村」の出身のようではない。おそらくどこからかその「町」へと移ってきて、マイホームを構えることになったはずだが、それも語られることはない。

それらの事柄はこの『永遠の出口』がとりあえず郊外というトポスを物語の背景としているけれど、どこで生まれ、どこで暮らし、年を経るにしても、「この世が取返しのつかないものやこぼれおちたものばかりであふれていること」、またほとんど「永遠にそれを見ることができない」ことを物語のコアにすえていることによっているのだろう。そして成長することがそれらを自覚することであり、そうしてようやく「永遠の出口」、すなわち「大人への入口」へと近づいていくことになる。それが紀子の十歳から十八歳にかけての家族、学校、社会との関係を通じ、心的現象やその揺らめきとして表出し、物語が形成されていく。それの意味において、『永遠の出口』はまさに少女のビルドングスロマンとよんでかまわないだろう。

それらは次のような物語コードを伴って表出し、進行していく。小学生時代の誕生会、及び少女たちの家庭の内奥、担任教師の監視的教育と権力伝説、前述した小学生と中学生の狭間における冒険のような千葉への「長旅」、中学時代の校則の包囲の中での髪型と服装、社会のルールやその体現としての母親との対立、部活と不良たち、夜遊びと外泊、疑似恋愛、万引とその発覚。

そしてさらに、物語と家族のクライマックスとしての大分県別府温泉二泊三日という家族旅行も加わる。これは大学受験を控えた姉によって企画されたもので、やはり中三の受験生だった紀子も同行することになる。紀子にはこれが「非行に走った娘の心を溶かそう」とする「悪趣味な罰ゲーム」のように思われたが、両親の雰囲気はよそよそしく、異変が察せられ、「家族愛」のための旅行ではないことを確信するに至った。姉の告白によれば、父が浮気をして、それが母に見つかり、それから母は父に口をきいておらず、一時は本気で別れるつもりになっていたという。姉は妹のためではなく、両親の関係の修復と和解のために、この旅行を提案したのである。別府温泉は父と母が二十一年前に新婚旅行できたところだったからだ。

それを聞いて、紀子はこれまでとまったく異なる思いに捉われた。家族などいらないし、両親はうざったいだけで、一人になれたらどんなにすっきりするだろうかとずっと思っていたのに、両親の離婚という一語を目の前にして、「まるで暗幕に未来を塞がれたような息苦しさ」「底知れぬ畏れと、底なしの不安感」を覚え、「一家離散後のシチュエーションをあれこれと想定」してしまうのだった。

それでもずっと父を無視していた母はうっかりミスをし、耶馬渓という景勝地で、昼食に郷土料理のだんご汁をすすっていた時に、景色はずいぶん変わったけれど、この味は変わらないと独りごちてしまった。それを受けて父も同じ言葉で応じた。両親が二十一年前の記憶の共有を告白したことになる。しかしそれで夫婦の危機が修復されたわけでなく、ホテルでの晩餐は息苦しくて寒々しく、深刻な寒波がつきまとっていた。離婚後のことも、「現実的な……家族それぞれの能力の問題」として浮かび上がってきた。

しかしそれはホテルの火事の非常ベルの耳をつんざく音がもたらした「大騒動」によって、実質的に回避されることになる。ここにも時代が刻印され、それがホテル・ニュージャパン火災の翌年だったとあるので、その三十三人ものの死者を出した大惨事は一九八二年に起きていたことからすれば、八三年だったことを伝えている。それはさておき、そのベルで紀子と姉と母は、すでに開けられていた非常ドアから非常階段へと逃げ出し、三階まで降りた時、母は夫を忘れたことに気づいた。そこで三人で引き返し、部屋までたどり着くと、父は掛布団を頭からかぶり、大きな鼾をかいていたが、母は叫んだ。「火事よ、火事ですよ。あなた! 起きて、ねえ、生きて逃げなきゃ。あなた、早く生きてちょうだいっ」。興奮のあまり、「起きて」と「生きて」がごっちゃになっていた。だがそこで非常ベルの大音響がぴたりと止み、警報が誤作動だったとのアナウンスが入ったのである。このアクシデントに乗じて、父は母にビールを飲むかと誘い、母は夫を忘れて逃げた後ろめたさと生死をさまよった心のうねりのせいか、拒むことができず、それに応じることになった。

そして翌朝を迎え、母は健やかな笑顔で、朝風呂で一緒になった人から教えられた別府の北にある国東半島のもみじの見事なお寺行きを提案する。その「しぐれもみじ」の光景は次のようなものだ。

 巨大な、まるで小さな森のようなもみじ、とても一樹の生命力だけで息づいているとは思えない。東へ、西へ、南へ、北へ、天衣無縫に枝葉を広げるその先はもうあまりに高く、遠くて目が眩みそうだ。その遠いところから地面へと降りそそぐ紅葉は、光の角度や梢によって微妙に色を移ろわせ、巨木に色彩の波を起こす。深紅。茜。緋。橙。鬱金。黄。萌葱―。
 しぐれもみじと、朱書された板を掲げた巨木の前で、私たち親子は呆けたように立ちつくした。(……)。

ここで紀子たちは「永遠」、もしくは「永遠の出口」ならぬ「永遠の入口」に出会ったといえるのではないだろうか。森がこのシーンを描いた時に思い浮かべていたのは、ランボーの「海」につながる「また見つかった。何が。永遠が。」という『地獄の季節』小林秀雄岩波文庫)のフレーズであり、それにもみじの色彩描写も「Aは黒、E白、I赤、U緑、O藍色」と始まる「母音」(鈴木信太郎『詩集』所収、『ランボー全集』1人文書院)の一節に喚起されたのではないだろうか。
地獄の季節『ランボー全集』1

だが「永遠」は続くことがなく、母はいち早く「ベランダの洗濯物でも思いだしたかのような顔をして、しゃきっと現実に立ち返る」し、父もしぐれもみじに重ねて、「通り雨が降ることをしぐれる」と語り、「我が家もここ数年はずいぶんとしぐれたなあ」という。そして紀子がぐれたこと、姉の恋と相手の心変わりのこと、この旅行は姉が父と母のために企画したが、実は父が姉のために実現させたものだったことも、父の口から語られていく。そのかたわらで、「日常を司る母は強い」姿を回復し、まだ、もみじしぐれを眺めている姉に呼びかけていた。そこで紀子は思うのだった。

 私が深酒したり、万引をしたりとろくでもない日々を送っていた頃、姉もまたろくでもない恋の結末を迎えていた。父は父で浮気などして母を泣かし、母は父に泣かされ、みんながそれぞれろくでもない日々を送りながら、そのろくでもなさを凌いで今まできた。そうしてこれからも……と、私は母の呼び声に駆けてくる姉を見やりながら思った。これからもまだしばらくはこのまま、互いのろくでもなさにうんざりしたりされたりしながら、四人で暮らしていくのだろう。

ここに表出しているのが『永遠の出口』の物語の基調低音といえよう。それは本連載9394の小島信夫の『抱擁家族』や山田太一の『岸辺のアルバム』と共通する家族の営みの原型を伝えるものであり、それが本連載の基底に置かれていることはいうまでもあるまい。また家族の営みということで連想されるのは、『永遠の出口』における主人公の紀子という命名であり、それは小津安二郎の『東京物語』などで原節子が演じた紀子を思い浮かべてしまう。それらもまた戦後家族の物語であることからすれば、森の『永遠の出口』は、郊外を背景とする家族の物語とよぶこともできよう。1

抱擁家族 岸辺のアルバム 東京物語

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1