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古本夜話570 嶋野三郎と『露和辞典』

本連載564「大川周明、井筒俊彦、東亜経済調査局」の最後のところで、やはり大川と同様に東亜経済調査局に在籍し、ロシア語辞典を編纂し、代々木上原に回教寺院を建立した嶋野三郎の名前を挙げておいた。

かつて竹林滋他編『世界の辞書』(研究社)を読んでいたら、磯谷孝の「ロシア語の辞書」のところに、「日本人の手による初めての本格的露和辞典は島(ママ)野三郎を中心とする南満州鉄道株式会社東亜経済調査局編『露和辞典』(1928年、同人社)である。この辞典は収録数15万語の大型辞典で、まず大川周明の序に驚かされる」と記されていた。
世界の辞書

そのうちにこの『露和辞典』や嶋野の著作に出会えるだろうと思っていたのだが、それらを入手できないままに十年以上が経ってしまった。ただその代わりというべきか、満鉄会・嶋野三郎伝記刊行会編『嶋野三郎』(原書房、昭和五十九年)は購入しているので、この機会に嶋野についてもふれてみる。それは各種人物事典などにも、嶋野の立項が見出されないからでもある。
 嶋野三郎

「満鉄ソ連情報活動家の生涯」というサブタイトルを付した『嶋野三郎』は冒頭に一色達夫「嶋野三郎翁・硬骨の生涯」を置き、第一部「ロシア革命論編」は『この目で見たロシア革命』などの嶋野の著作からなり、第二部「講演編」は昭和四十九年の満鉄懇話会での講演三編を収録し、この第一、二部で同書の大半が占められている。そのことからすれば、同書は嶋野三郎遺稿集といっても差しつかえないだろう。

まず一色の伝記をたどってみる。嶋野は明治二十六年に金沢の豪商の家系に生まれたが、父が財を傾けるとともに、彼が十七歳の時に亡くなり、旧制中学は出たものの、父の遺志であるロシアで学ぶことを実現するためには、石川県のロシア留学生試験に挑むしかなかった。それは石川県青少年育英事業に基づく露国留学生制度によるもので、第一回は嶋野を始めとする三名が選ばれた。そして大正三年に嶋野はペトログラード大学に入学し、在学中に満鉄留学生となり、ロシア革命に遭遇し、その惨劇を目撃して帰国する。その惨劇レポートが後に書かれた『この目で見たロシア革命』であろう。大正六年から満鉄本社に勤務し、東亜経済調査局に入局する。昭和に入ると、満鉄からフランスやドイツに留学し、昭和九年からは調査部北方調査室に入る。この北方調査室は対ソ資料に関して完璧を誇り、満鉄調査部の中枢部門で、最盛期には一二〇名を有したという。

しかし嶋野は昭和十一年の二・二六事件に連座し、東條英機によって、二ヵ年の国外追放を受け、満鉄欧州事務所から東京の華北交通参与として敗戦を迎えたので、ソ連に逮捕、抑留されることから逃れたのである。伝記は二・二六事件連座の詳細を伝えていないが、嶋野の名前も挙がっている『国家主義運動(一)』(『現代史資料』4、みすず書房)から推測すると、嶋野もメンバーであった猶存社や行地社、大川周明や北一輝との関係から生じたもののように思われる。それらはともかく、嶋野は満鉄創業から敗戦まで最長在職者の一人、生え抜きのソ連調査の第一人者であり、昭和五十七年に八十九歳で亡くなっている。
国家主義運動(一)』

その著者や訳書も多く、それらは東亜経済調査局時代に同局から刊行されているが、まったく未見である。だがその中でも特筆すべきは先に挙げた『露和辞典』で、『嶋野三郎』の口絵写真にも昭和八年刊行の白水社の『露和大辞典』の書影が掲載されている。これは東亜経済調査局編纂として、本連載233234でふれた同人社から昭和三年に『露和辞典』、そして次に白水社から、『露和大辞典』として刊行に至っている。

『嶋野三郎』には満鉄東亜経済調査局大川周明の「序」の全文が引用掲載されているので、その最初の部分を引いてみる。

 茲に東亜経済調査局の名に於て刊行する露和辞典は、局員嶋野三郎君が精進十有余年の結晶なり。嶋野君が露和辞典の編纂に志し、初めて其稿を起こせるは実に大正三年君が尚笈を露西亜に負ひてペトログラード大学たりし時に在り。大正六年業を卒へて帰朝するや、職を南満州鉄道株式会社に奉じ、執務の全力を傾倒して稿を続けたりしたが、大正七年陸軍通訳官として西比利亜出征軍に従ひたるを以て、暫し其業を中止したり。征戦終りて後再び満鉄に復帰し、大正八年東亜経済調査局に勤務するに至り、調査局は該辞典の編纂を以て局の一事業となし、嶋野君をして専ら其事に当らしめたり。

そして大正十三年春に完成を見るのだが、関東大震災後でもあり、印刷に障害が生じ、容易に刊行に至らなかった。それでも関係者たちの奔走によって、おそらく満鉄の出版助成金を得て、同人社がその刊行を引き受けることになったと思われる。その同人社版を白水社が引き継ぎ、再版する際に、『露和大辞典』というタイトルに改称されたのである。

ここでは嶋野のプロフィル、満鉄と『露和辞典』にしか言及できなかったが、イスラムについては『嶋野三郎』の中に、嶋野自身による「日本と回教との関係」という講演が収録されている。そこに代々木上原の回教寺院建立もふれられ、彼のマホメット工作者という別の一面も語られていることを付記しておく。

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