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古本夜話574 地平社、『民俗芸術』、早川孝太郎『花祭』

前回の鈴木剛『メッカ巡礼記』の版元である地平社についても、ふれておきたい。その奥付住所は東京市神田錦町、発行者は田中秀雄となっている。巻末広告の出版リストを示す。

* アラビアのロレンス著、柏倉俊三・小林元共訳『沙漠の叛乱』上下
* ハロルド・ブリースト著、大澤貞蔵訳『濠州踏破記』
* フオン・ヘンテイヒ著、高坂義之訳『内陸アジア踏破記』
* エミール・レンギル著、伊藤敏夫訳『ダニューブ』
* S・パツサルゲ著、高山洋吉訳『大東亜地理民族学』
* A・A・マクドネル著、大澤貞蔵訳『インド文化史』
* スヴエン・ヘデイン著、黒川武敏訳『熱河』
* 小林元著『西亜記』

これらはすべて未見であるけれど、そのラインナップと書目はパツサルゲの『大東亜地理民族学』に表象されているように、大東亜戦争下におけるイスラム教をめぐる地政学を反映していると見なせよう。訳者については本連載150「刀江書院『シュトラッツ選集』と高山洋吉」を参照されたい。また「民族学」というタームはエスノロジー研究を志していた岡正雄と柳田国男の出会いによって、大正十四年に創刊された『民族』を想起させる。

二人の他に編集同人は岡の友人、先輩である、モリソン文庫(現東洋文庫)にあった東洋史学の石田幹之助、フランス社会学の田辺寿利、政治地理学の奥平武彦、農村社会学の有賀喜左衛門の四人だった。このうちの田辺に関しては、拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究3』所収)で既述している。発行所は民族発行所となっているが、発行者は岡茂雄とあるので、実質的には岡書院発行で、編輯者は岡村千秋、資料提供者は澁澤敬三、また岡茂雄は正雄の兄だった。
古本探究3

この『民族』については執筆者、寄稿者も含め、本連載でさらに言及するつもりでいるが、柳田国男の側から見られた『民族』に関しては、柳田国男研究会編著『柳田国男伝』(三一書房)所収の「雑誌『民族』とその時代」が包括的に論じていて、まとまった紹介になっている。また岡書院については岡茂雄『本屋風情』(中公文庫)や拙稿「人類学専門書店・岡書院」(『書店の近代』所収、平凡社新書)を参照されたい。
本屋風情 書店の近代

実はかつて必要が生じ、『民族』全冊に目を通したことがあった。もちろん原本ではなく、昭和六十年に岩崎美術社が復刻した全六巻だが、昭和三年の第三巻第二号の巻末の一ページとして、月刊学術雑誌『民俗芸術』の創刊号とその略目次が掲載されていた。それは巻頭論文を折口信夫「翁の発生」、柳田国男「人形舞はし雑考」とするもので、神田区南神保町の地平社書房を発行所としていた。これは住所が多少異なっているけれど、先の地平社と同じだと見ていいだろう。

その後ほどなくして、『民族』は休刊となってしまうので、『民俗芸術』の広告を見たのは数回であり、また『民族』と異なり、復刻もされていないことから、何冊出されたのか、また全内容を知ることはできないでいた。しかしそれでも『演劇百科大事典』(平凡社)にその立項を見出したので、それを引いてみる。

 みんぞくげいじゅつ 民俗芸術 雑誌名 昭和二年七月に、折口信夫・柳田国男・小寺融吉らによって創立された。創刊号の序文にいっているように、「目の前の豊富なる事実を確実に記録して、それを成るべく多くの者の共有の知識に」供するのが目的であるところから、各地方に残存する古劇・古舞踏・民謡や、特殊な神事・年中行事その他の民俗芸ずつを調査研究し、その成果を逐事発表していった。執筆陣は右の三氏に加えて北野博美・早川孝太郎・今和次郎・西角井正慶・岩橋小弥太らの多彩ぶりである。諸国盆踊(一ノ七・八、五ノ四)、琉球芸術(一ノ四・六)、壬生狂言(一ノ五)、人形芝居(二ノ四)、花祭(三ノ三)、歌舞伎の民俗学研究(三ノ八)、六斎念仏(三ノ一〇)、延年舞記録(五ノ三)などの特集号、及び世界民俗芸術会議との資料交換、映画やレコードによる記録保存などきわめて有意義な業種を残している。

これを補足する意味で、ここでは創刊号にも「地狂言雑記」を寄せていた早川孝太郎と花祭に関してだけ書いておきたい。早川は明治二十二年に愛知県南設楽郡に生まれ、三十九年に画家を志して松岡映丘の門に入ったが、兄の柳田国男との関わりが生じ、民俗学の道に入り、昭和五年に岡書院から三河地方の祭りをトータルに論じた大著『花祭』を上梓するに及んでいる。残念ながら『民族』はその前年に休刊となっているので、その限定三百部という出版広告を見ることはできないし、岡書院版も未見である。だが早川の民俗学との関わりは、『民族』や『民俗芸術』などへの寄稿がきっかけとなり、『花祭』へと結実していったのではないだろうか。それは後者の立項に示された花祭特集号が証明しているようにも思われる。

岡書院に基づく未来社の『早川孝太郎全集』第一、二巻所収の『花祭』は、柳田が「序」、折口が「跋―一つの解説」を寄せていて、『花祭』が両者、及び民俗学と祭の研究に大きな影響をもたらしたことをうかがわせている。とりわけ第二巻所収の「跋―一つの解説」は四十ページ近くのもので、「奥三河の神事芸能」「山の神楽」「神遊び」に魅せられた折口の精神のヴァイブレーションが伝わってくるかのようだ。またそこで行われる「白山(シラヤマ)」と称される神楽は「伊勢の神楽の真床襲衾」、すなわち大嘗祭の儀式との共通性までもが指摘されている。これも『民俗芸術』に発表されたものであり、「山の霜月舞―花祭り解説」として、『折口信夫全集』第十七巻(中公文庫)に収録されている。
早川孝太郎全集(第二巻)『折口信夫全集』第十七巻

その花祭も三遠信地方の山村の過疎化によって、開かれる地域の縮小が伝えられている。だが先頃古本屋で「愛知県北設楽郡東栄町古戸の花祭りより」とのキャプションが付された味岡伸太郎を著者とし、山本宏務の写真からなる『神々の里の形』(グラフィック社、二〇〇〇年)を入手し、まだ地域によっては花祭が健在であることを知らされた。そこには「古戸に伝えられた花御神楽の白山の行事次第」も述べられている。かつてやはり花祭の一端を示す須藤功の『西浦のまつり』(未来社、昭和四十五年)から想像していた以上に、まさに花祭はカラフルで、そこに写された「青少年の舞い」はジャニーズ事務所の少年グループやAKBの少女グループの踊りのようでもあり、ひょっとすると、折口のいう花祭の「神事芸能」とはそのようなところへと継承されているのではないかとも思われた。そしてかつて二度ほど訪れたことのある三遠信の水窪の風景をも想起することになったのである。
神々の里の形

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