今世紀に入って、それも団地を背景とするミステリーがイギリスでも刊行されているので、やはり続けて挙げておきたい。本連載62や69などで、フランスの団地における叛乱や暴動に言及してきたし、ちょうど森千香子の「フランス〈移民〉集住地域の形成と変容」というサブタイトルの『排除と抵抗の郊外』(東大出版会)も出されたばかりである。だが今回はイギリスということになるけれど、トポス構造はまさにリンクしているし、ミステリーの様式に則っているゆえに、明快な問題提起と起承転結を伴っているからだ。
そのミステリーはミネット・ウォルターズの『遮断地区』(成川裕子訳、創元推理文庫)で、まず団地での暴動のシノプシスが新聞報道によって示される。それは飲酒で暴徒と化した二千人の若者たちがバリケードを築き、火焔瓶を投げ、五時間にわたる暴動を引き起こし、死者三名、負傷者百八十九名を生じさせ、その中には性倒錯者の虐殺も含まれていたというものだった。だが今回の暴動によって、様々な問題もまた浮かび上がらせることになったのである。
その団地は次のように説明されている。
“掃きだめ”というのは、バシンデール団地のために造られた言葉かもしれない。一九五〇年代から六〇年代に低所得者向け住宅として緑地帯を切り開いて造られた住宅団地は当時の社会工学のぶざまな記念碑である。バシンデール団地のケースでは、バシンデール農場と接する広葉樹の林がなぎ倒され、コンクリートに取って代わられた。
本当なら、牧歌的な住宅地になるはずだった。平等と機会均等をめざした戦後の一大プロジェクト。生活向上のチャンス。広々とした田園に囲まれた良質の住宅。新鮮な空気と空間。
だが、農地と隣り合う敷地内の道路はすべて袋小路になっている。(……)これらの道路は団地全体をアクセス不能にしてしまう砦のようなものだった。この団地はコンクリートで固められた圧力爆弾なのだ。(……)
戦後のべビーブームで高まった住宅需要は、おそまつな設計とずさんな工事を引き起こし、その結果、必然的に維持費がかさんで、もっとも目立つ問題箇所だけが手当てされることになった。(……)
地獄への道と同様、バシンデール団地への道も初めは善意によって敷かれたが、いまやそこは、社会から拒絶された人々の収容所と大差ないものになっていた。(……)住民の多くにとっては、牢獄だった。弱いおびえた老人たちは家に閉じこもり、シングルマザーと父親のいない子どもたちは、鍵をかけた室内で過ごすことで、なんとかトラブルを避けようとする。がらんとした風景がたまににぎわいを見せるのは、疎外された怒れる若者たちがドラッグの売買や売春の斡旋で通りを歩きまわるときだけだ(……)。
かなり省略を施したにもかかわらず、長い引用になってしまったのは、このバシンデール団地というトポスの実態がそのまま『遮断地区』の物語に他ならないからだ。引用部分は主として団地と住民への言及だが、両者に対する外からの視点も付け加えておくべきだろう。
国家からは垂れ流し的な予算と維持費を要する住宅団地、納税者にとっては怨嗟の的、警察のいらだちの種、そこで働くことになった教師や医療従事者やソーシャルワーカーにしてみれば、果てしない徒労感の源であった。「牧歌的な住宅地」にして「平等と機会均等をめざした戦後の一大プロジェクト」だったバシンデール団地は、まさに住民だけでなく、国家や社会にとっても呪われた地と化していたのである。とりわけ一九九〇年代以後はそれが顕著で、五〇年代にはWELCOME TO BASSINDALE という看板がかかっていたが、その文字のいくつかが消え、さらに落書きが加えられ、WELCOME TO ASSID ROW となり、住民もそれがふさわしいと思い、そのままになっていた。すなわち「アシッド・ロウ(LSD・街)。教育程度が低く、ドラッグが蔓延し、争いが日常茶飯事の場所」を象徴するように。なお『遮断地区』の原タイトルはACID ROW で、ここから取られている。
このディスピアに他ならないバシンデール団地はどのような回路を経て、暴動へと至ったのか。それが『遮断地区』のテーマであり、ミネット・ウォルターズはこのディストピアにおける暴動メカニズムを明らかにしようとしている。団地の「シングルマザー」であるメラニーはまだ二十歳になっていないが、四歳と二歳の子どもがいて、現在三人目を身ごもっている。その父親のジミーは黒人で、四ヵ月の刑務所暮らしから帰ってきたばかりである。メラニーの母親のゲイナも同じブロンドで五人の子持ちだった。この母娘は仲がよく、代々女の役割は子どもを産むことにあると考え、どちらの人生でも、男は変わっていっても、二人の忠誠心は変わることがなく、何についても意見は一致していた。
メラニーの部屋は汚れていたけれど、子どもたちは無条件に愛されていて、いつでも迎え入れてくれる場所があることが大切だと彼女たちは考えていた。そのようなメラニーとゲイナの拡大家族的生活は、ジミーにとっても掛け替えのないものだった。このメラニーに対して、「医療従事者」の一人である巡回保健師のフェイは、メラニーがあばずれだと決めつけ、子どもも虐待していると思いこんでいた。それは彼女が欲求不満のオールドミスゆえの偏見に他ならなかった。しかしメラニーの担当を外されることに加えて、そのやりとりから切れてしまい、フェイは彼女に、同じ公営団地のポーティスフィールドから小児性愛者が近くに移転してきたことを話してしまう。もちろんこれは社会福祉事業部の「部外秘」とされる通知であった。そのポーティスフィールド団地では十歳の少女が失踪していて、半月前に小児性愛者が強制退去になっていたのだ。
それを聞いたメラニーは役所に抗議する。「子育て」のことで、私たちにお説教していながら、小児性愛者という「ヘンタイ野郎」を近くに住まわせることは間違っていると。しかしそういう話は「ソーシャルワーカー」にしてくれと受け付けてもらえない。それからの動きは同じ公営住宅団地でありながらも、ポーティスフィールドとバシンデールでは明白に異なっていた。「一方は上昇志向のある人たちのモダンな団地。もう一方は底辺でくすぶる人たちの老朽化したゲットー。上昇志向組は苦情を訴え、底辺組はデモをする」という事態を現出させることになる。
その中心となったのはメラニーとゲイナで、土曜日の午後にデモ行進をして警察を突き上げ、子どもたちの安全を守るために、変質者を立ち退かせようとするものだった。だが二人には想像力が欠けていた。一年で最も暑い時期の昼日中に、警察も知っていないデモを敢行すれば、「底辺にくすぶる人たちの老朽化したゲットー」の「アシッド・ロウ」で何が起きるかということに関してである。
その一方で、行方不明になった女の子をバシンデール団地で見かけたという噂も飛び交い、アシッド中毒の少年たちの引ったくり事件も起き、パトカーが団地を走り回っていた。メラニーはデモについて、「ここは自由の国なのよ。抗議は認められているのよ」という。それに対して、「それはどんな抗議かによるんだよ。ヤクで頭がイカレた連中がおとなしく言われたとおりにすると思ってるんなら、大間違いだ。暴動に発展するかもしれないんだぞ」とジミーは警告する。実際に集合場所の学校の前庭では若者たちが缶ビールをあおり、火焔瓶を用意し、生協を襲撃し、「ヘンタイども」を串刺しにしようとしている興奮状態の中にあった。その中にいたメラニーの弟は不良少年の友人を見ていう。「見てよ、こいつの目。まるでゾンビだ」と。それはデモがゾンビの行進のようなものになることを予兆させている。
家に閉じこもっていた「弱いおびえた老人たち」の姿も描かれていく。テレビの連続ドラマの登場人物だけが現実との唯一の接点であるような認知症の老人、双眼鏡で騒動を見て、ドアや窓をロックし、チンピラどもが殺し合い、団地が少しでも平和になることを願っている老女たちである。もはや団地への侵入ルートはバリケードで封鎖されたようなのだ。
そのような中に、これも「医療従事者」である医師のソフィーが召喚されるのだが、彼女の訪問は喘息発作に襲われたポーランド人の老人と息子が住む部屋だった。この息子のミーローシュが小児性愛者だとわかってくる。しかもフラネクという父親はソフィーを襲い、盾にするつもりで迫ってくる。しかしそこは「ヘンタイ」などの声とともに投石に見舞われ、ソフィーは出ていくことができなかった。彼女は行方不明の女の子と間違われたのだ。警察ではなく、群衆が小児性愛者からシングルマザーや子どもたちを守らなければならないのだ。そうして閉じ込められたソフィーはフラネクと駆け引きするうちに、フラネクがサディストで、妻は家出し、息子を虐待し、そのためにミーローシュは小児性愛者になっていったのではないかと推測していく。さらにフラネクが妻を殺し、ミーローシュもそれを知っていたのではないかとも。フラネクはポーランドのジプシーで、戦争中はナチのジプシー迫害を逃れるためにスペインに潜み、それから一九五〇年代初頭にイギリスへ渡り、居住権を得るためにイギリス人の売春婦と結婚し、ミーローシュが生まれたのである。ミーローシュは母親が不在なままで音楽大学に進んだが、逃れられない関係から、父親とずっと一緒にいて、それが彼を小児性愛者ならしめていた。
このようにして、「コンクリートで固められた圧力爆弾」のようなバシンデール団地は、「シングルマザーと父親のいない子どもたち」、「弱いおびえた老人たち」、「疎外されて怒れる若者たち」が一堂に会し、それに「医療従事者」たちと警察が絡み、「小児性愛者」とサディストの父子が加わり、二千人に膨らんだ暴動は臨界点へと向かって沸騰していく。それはすべて負の連鎖のようでも、ミネット・ウォルターズはそのクロージングにそれをプラスに転換するようなエピソードを提出し、この『遮断地区』という物語を閉じている。それは繰り返し記してきたこの物語の混住がもたらした救いであるように思える。