二〇〇六年に三崎亜紀の『失われた町』が刊行された。この物語はガルシア・マルケスの『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)の消えてしまうマコンドという村、及びその住人であるブエンディア一族の記憶をベースとする変奏曲のように提出されている。

それだけでなく、『失われた町』は二〇一一年に起きた東日本大震災と福島原発事故によって起きた実質的な町や村の消滅の予兆的メタファーのようにも読める作品として出現していたことになる。しかも3・11の二万人に及ぶ死者たちにしても、その五分前には自らの死のみならず、町や村の消滅をまったく予測していなかったのである。本連載81 の大岡昇平の『武蔵野夫人』の中に、「事故によらなければ悲劇が起こらない。それが二十世紀である」というアフォリズムめいた言葉が見えていたが、それは二一世紀になっても起き、しかも「大きな悲劇」をもたらし始めているように思える。
ただそうはいっても、三崎の『失われた町』においては長きにわたる静かな悲劇のように語られ、その町の消滅は、冒頭で次のように説明される。
眼下に町の光が広がっていた。
すでに住民の撤退が完了した町には、人の営みを示す暖かな明かりは灯らず、街灯の白々とした光が規則正しい配列で光っていた。無人の町にすら秩序を強いるかのように、信号が一定時間ごとに色の変化を繰り返す。音も無く輝くその光からは、「町」の意識を感じ取ることはできなかった。
町の消滅には、一切の衝撃も振動も、音も光も伴われない。ただ人だけが消滅するのだ。
これは序章と終章を相乗させた「プロローグ、そしてエピローグ」に示された町の消滅のかたちである。そこに登場しているは消滅管理局員の由佳、彼女の心の中で生きている潤、調査員ひびきとのぞみ、ペンション経営者らしい茜、そのアトリエに住む和宏などで、これらの全員が三十年前に失われた月ヶ瀬町の関係者だったとわかる。そしてここに示されている町の消滅は現在のものであり、三十年前はそうではなかった。町と人がともに消滅していて、月ヶ瀬町はその典型ともいえる例だった。近未来小説の体裁からなる『失われた町』の物語とは、そこで生じたトラウマを確認するように進行し、また同時にその「消滅の連鎖を断ち切る」ように動いていくことが次第に明らかになっていく。月ヶ瀬町は成和三十三年四月三日午後十一時頃、瞬時のうちに数万人の人々とともに消滅してしまった。この時代にあって、町の消滅は何百年も前から起きていることとされるが、本当の理由はわからず、新聞やテレビは管理局によって規制され、その町に関する記述のある書物も回収されていた。
それらを前提として、7つのエピソードから形成される『失われた町』が始まり、「エピソード1 風待ちの丘」へとリンクしていく。その最初のシーンは三十年前に消滅した月ヶ瀬町の回収で、茜はその「国選回収員」に任命されていたのである。半年間の「国選回収員」の仕事は国民の義務行為と見なされ、基本的に拒否できず、選抜者の職場なども、その終了後には復帰に最大限の協力をすることが求められていた。
その選抜条件は消滅化から五百キロ以上離れた場所に住んでいて、そこに一度も行っていないこと、失われた町に親戚、友人、知人が一人もいないことだった。これらの条件は町に「汚染」されないこと、言葉を代えれば、「汚染」とは町の消滅を悲しむことに他ならなかった。また一方で、失われた町に関わることは一種の「穢れ」として認識され、それは国民の中に広く浸透していたのである。
回収員たちは二人一組で人が消滅した家に入り、生活の痕跡を示す物を回収し、この町のすべての地名と住民の生活の痕跡を消去させようとする。そうした任務を終え、回収員たちは送迎用トラックで隣の市へと運ばれ、十七分十五秒後に降ろされる。しかしその場所は一定していなかったが、次のように描写される。
(文庫版)
都川市は、消滅した月ヶ瀬町の隣に位置する、どこにでもある地方都市だった。市内の北よりの私鉄駅を基点として、南に向いてこぢんまりした繁華街が広がっていた。駅前大通りから一本外れた道はアーケードに覆われ、「都川駅前商店街すずらん通り」という、没個性化を目的にしたようなありふれた名前がつけられていた。
買い物の中年女性が、この時間夢の主役だとばかりに、華やかさとは無縁の服装で闊歩する。スカート丈の短い女子高生が雑貨店やファストフード店にたむろし、仕事を早仕舞いした会社員が連れ立って裏通りの飲み屋へ繰り出そうとしている。どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ。
現時点における郊外ショッピングセンターに包囲された地方都市の状況からすれば、後半の部分は今から十年前のものであるから、「どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ」という一節は割り引いて考えるべきだろう。だがそれは図らずも消滅した月ヶ瀬町が「どこにでもある地方都市」の近傍に存在し、同じことが「どこにでも」起きていたことを伝えている。
そして茜は管理局が用意した半年間の回収員受任期間中の仮住いである駅裏の六畳一間のアパートを見て、思うのだった。数万の人々が一瞬で失われたというのに、自分はその隣の、一人の知り合いすらいない都市に住み、自分もまたもしいなくなったとしても、何も痕跡も残すことなく、消えていくのだと。この述懐は茜が何の関係もない「国選回収員」の立場にあっても、ほとんど月ヶ瀬町の人々と変らない社会状況にあることを暗示させている。
都川市と月ヶ瀬町を流れている都川沿いには「消滅緩衝地帯」があった。消滅は町という行政単位で起きるようだが、消滅直後の町は非常に不安的で、町は人々の悲しみを吸収し、消滅を広げようとするので、その結果、町の範囲外でも「余滅」が起きるとされる。それゆえに、消滅した町の周囲一キロ以内は消滅緩衝地帯に指定され、住民は退去を命じられるのである。
そこで茜は中西という都川の丘陵でペンションを営む六十代の男と知り合う。彼は月ヶ瀬町で妻と妹夫婦と孫娘を失っていた。その風待ち亭というペンションを茜は訪ねていく。そこから見る月ヶ瀬町は「残光」現象を示し、明かりが灯り始めたが、それは「見えているのに、そこに存在しない光」だった。失われた人々の想いはしばらく町に漂い続け、その間「残光」が光り続けるのだ。
風待ち亭には茜の他にも、由佳という少女が訪ねてくる。彼女も月ヶ瀬で潤という幼なじみの友人を失っていて、「残光」を見るために訪れてきたのである。彼女はいう。町の消滅は不可解な部分が多すぎるし、過去の消滅について調べてみようとしたけれど、すべてが管理局に回収、規制されているのでわからない。それを知るために管理局に入り、その意味を調べてみたいと。そのために『失われた町』の冒頭において、管理局員として由佳が登場しているのだとわかる。
そしてこの風待ち亭を称して、中西が「終の棲家」というように、失われた町のかたわらにメタファーとしての失われないトポスが存在している。風待ち亭とは、それぞれの人生に新しい風が吹いてくるまでしばしくつろげる場所として、月ヶ瀬で消滅してしまった中西の妻が命名したものだったのだ。その新装オープンの最初の客が茜であり、由佳だった。そしてさらに新しい客たちも現われ、『失われた町』という物語も続いていくのだが、それらへの言及はここで打ち切るしかない。私たちもまた、現実の状況に戻らなければならないからだ。
三崎の『失われた町』の中での町の消滅の原因は不明とされているけれど、現実に消えていくかもしれない郊外の変容に関してはそれを説明できる。拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、戦後の日本の郊外の誕生、それに伴う混住社会と郊外消費社会の出現に至る回路を既述しておいた。それらは高度成長期を通じての第一次産業から第二次、三次産業への急速な産業構造の転換、八千万人から一億二千万人近くに及んだ戦後の人口増加と大都市への人口移動、消費社会の幕開けとロードサイドビジネスの簇生などを通じて現実化していったのある。
このような郊外の歴史を包括的にたどり、パラレルに発生した郊外文学も参照しながら、一九九〇年代半ばまでを検証してきた。すると浮かび上がってくるのは日本の敗戦とアメリカの影に他ならず、日本の八〇年代の産業構造が、日本占領時のアメリカのそれとまったく相似することに気づかされた。その八〇年代とは郊外消費社会が隆盛を迎え、東京ディズニーランドが開園した時代であり、それらのアメリカ的風景は占領下の再現を彷彿させ、第二の敗戦をも示唆するものだった。
それゆえに否応なく、このような郊外の風景の行方を問わざるをえなかった。そうして二一世紀以降を幻視すれば、郊外を誕生させ、膨張を推進する基本的な要因であった戦後の人口増加は、当時の厚生省と国立社会保障人口問題研究所の「将来推計人口」によると、日本の総人口は二〇〇七年に一億二千七〇〇万人をピークとして減少し始め、二〇五一年には一億人を割るとされていた。それは同時に高齢化社会と少子化社会が想像以上に加速し、出現することを意味していたし、とりあえず「郊外の行方」として、核家族によって形成された郊外社会へとダイレクトに反映されていくであろうとの予測を提出しておいた。
二一世紀に入って、それは現実化し、予想よりも数年早く、二〇〇四年の一億二千七百九〇万人をピークとして、人口は減少し始めた。やはり〇五年には一人の女性が産む子供の数を示す合計特殊出生率は1.25と過去最低となり、また65歳以上の老年人口割合は20.1%に達し、世界でも突出した高齢化社会を迎えることになった。
これらの事実をふまえて、二〇一三年から、『〈郊外〉の誕生と死』の続編というべき本連載「混住社会論」を書き始めるに至った。それは前著でふれられなかった日本近代の歴史、イギリスにおけるハワードの田園都市計画、アメリカの五〇年代とショッピングセンター、フランスの郊外の団地と移民、台湾の先住民族と戦後、再びアメリカのプライベートピアやゲーテッド・コミュニティなどを、文学や映画をアリアドネの糸として模索したもので、この郊外の果てへの旅は四年の長きに及んでしまった。もちろん郊外と混住という広範なテーマであるゆえに言及できなかった事柄も多く残されているけれど、ここでひとまず連載を終えなければならない。それはこれ以上長くなってしまうと、単行本として刊行することも困難になるからだ。
ここでは連載中に見聞してきたことも含め、とりあえず前述した日本の人口減少、高齢化、少子化社会の影響を受け始めている郊外状況を記してみる。一九七〇年代以後に形成された所謂郊外の団地、ニュータウンが近隣に三ヵ所あるのだが、この数年売り家や空き家、空地が目立って増えてきた。それは団塊の世代のサラリーマンが退職したことを主たる要因とするもののようだ。仄聞するところによれば、経済的な事情は別にして、故郷への帰還、一戸建よりもメンテナンスがわずらわしくないマンションへの移行、別の県に住む子どもとの同居のための引越しなどがその理由とされている。
これらの現象を裏づけているのは二〇一三年の総務省の「住宅・土地統計調査」で、総住宅数に占める空き家率は13.5%、820万戸に及び、そのうちの400万戸は賃貸住宅である。また野村総合研究所の予測データによれば、その空き家率は二三年には20%、三三年には30%、2167万戸に達するとされる。これは三軒のうちの一軒が空き家という状況を示すもので、まさに「向う三軒両隣」において、そうした現象が日常的に生じることを意味している。
それの意味するところは、私が郊外論を構想するにあたって拳々服膺してきた佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』というタイトルにちなんでいえば、「衰退する郊外」が全国各地に発生することになる。それは郊外消費社会にも反映されていくはずで、ロードサイドビジネスの衰退やビジネスモデルの変容へともつながっていくだろう。それは業種によってすでに表出し始めていると判断できるし、総合スーパー、百貨店のみならず、様々な業種が大閉店時代を迎えていることはその予兆と見なせるであろう。
これは本連載13 などでふれてきたが、ロードサイドビジネスはオーダーリース方式=借地借家方式で出店していて、定住ではなく、ノマド的形態によるビジネスで、この本質からすれば、ニュータウンのマイホームよりもはるかに撤退は早く、マイホームとロードサイドビジネスの相次ぐ退場は、地域によってはバニシングポイント的な風景をもたらすかもしれない。
最後に三崎の『失われた町』を取り上げたのも、これがこのような郊外の現実のメタファーとなっているからでもある。日本の郊外は、アメリカのようなプライベートピアやゲーテッド・コミュニティ、フランスにおける移民のためのあからさまなゲットーとしての団地は生み出さなかったけれど、人口の減少と少子高齢化社会が急速に進行し、「失われた郊外」を出現させていくことは確実だと思われる。郊外の果てへの旅を続け、混住社会をたどってきたが、日本の郊外はどうなるのか、ここにもう少しその旅を続けていくことを記し、ひとまず連載を終えることにしよう。