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古本夜話585 太平洋協会編「太平洋図書館」と六興出版部

前回ふれた川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』の中で、川村は太平洋協会が「太平洋図書館」というシリーズも刊行していたと述べ、鶴見祐輔によるその刊行の辞の一部も示しているが、出版社名を記していないことからすれば、おそらく未見のままでの再引用だと考えられる。
「大東亜民俗学」の虚実

この「太平洋図書館」を一冊だけ入手しているので、全点なのかは確認できていないけれど、まずはそのラインナップを挙げてみる。

 1 清野謙次  『南方民族の生態』
 2 田辺尚雄他 『南方の音楽・舞踊』
 3 中山英司  『日本人の熱帯適応性』
 4 笠間杲雄  『大東亜の回教徒』
 5 澤田謙   『宝庫ミンダナオ』
 6 太平洋協会編 『旧蘭領印度の税制』
 7 海老名一  『カリフォルニアと日本人』
 8 佐藤荘一郎 ハウスホーファーの太平洋地政学解説』
 9 上野巳世次 『濠洲』

南方民族の生態 大東亜の回教徒 

入手しているのは8で、繰り返し既述してきたように、ハウスホーファー『太平洋地政学』本連載119で言及している。同書は太平洋協会編訳となっているが、中扉裏には「訳者 佐藤荘一郎」とあるので、8は実質的な訳者による「解説」的な一書ということなる。奥付の著者紹介も引いておけば、「帝大卒。二高教授、企画院嘱託を歴任。現在著述業」とある。また4を目にすると、前回その名前を挙げておいたように、本連載576 の笠間がどうして太平洋協会をよく訪れていたのかが了承される。

ハウスホーファーの地政学にはこれまで何度も言及してきたし、さらに贅言をはさむまでもないだろう。その代わりに太平洋協会事務理事として、鶴見祐輔が「太平洋図書館刊行の辞」を述べ、それが巻末に収録されているので、その全文を紹介してみよう。

 真珠湾の一戦をもつて、世界歴史は転回した。世界の海権は永久に西洋民族の手を距れて、日本民族の手中に帰したのである。そして太平洋時代はいま日本を中心として展開せんとしてゐるのである。ゆえに太平洋地域の世界文化に対し占むべき地位と、而してその推進力としての日本民族の地歩とは日一日と前進しつつある。
 この秋に当り、太平洋全地域の自然と文化とをすべての角度より検討し、以つて荘厳なる新時代のために備へることは、我れ等日本国民の肩上にある最大の義務である。本叢書出版の主旨は蓋しこのところにある。幸にして天下同憂の士によつて如上の目的に利用せらるるならば、ひとり編纂者たる本協会の仕合のみではない。

敗戦を受けての鶴見による太平洋協会の解散判断は、彼がここに寄せた言にも要因が求められているにちがいない。そのことを考えると、「太平洋図書館」はリストアップした九冊の他にも、まだ続けて出されていたのではないだろうか。

昭和十年二月、五〇〇〇部発行、版元は六興出版部で、発行者は小田部諦とある。鈴木徹造の『出版人物事典』において、六興出版部は昭和十五年設立で、小田部が創業者となっているが、その立項はない。代わりに吉川晋が立項されているので、それも引いてみる。
出版人物事典

 [吉川晋 よしかわ・すすむ]一九〇七〜一九六八(明治四〇〜昭和四三)六興出版部社長。横浜市生れ。吉川英治の実弟。中野無線受信講習所卒。一九三三年(昭和八)雑誌『衆文』を創刊。翌年、日本青年文化協会総務部長に就任、機関誌『青年太陽』の主幹となる。三八年(昭和一三)文芸春秋社に入社、『オール読物』などの編集を担当するが、四一年退社して六興出版部に入社、五〇年(昭和二五)創刊の『小説公園』編集長などをつとめ、六二年(昭和三七)社長に就任。五〇年、六興出版社と改称。吉川英治の『太閤記』を始め、『宮本武蔵』『三国志』また、『吉川英治短篇集』など多くの吉川作品を出版したことで知られた。

手元に『小説公園』の昭和三十七年九月号が一冊だけあって、奥付を見ると、まだ六興出版部のままで、六興出版社と改称されていないことからすれば、立項にある昭和二十五年「改称」は間違いだとわかる。ただ確かに編集者は吉川晋と記されている。発行人は石井英之助だが、彼は吉川の文芸春秋社時代の同僚で、当時の六興出版部の経営が石井と吉川によって担われていたことを示していよう。それもあってか、『日本近代文学大事典』の立項で、『小説公園』は『オール読物』に近い編集だと指摘されているが、表紙やグラビア写真、座談会、松本清張の小説、コラムや特集、編集後記なども、確かに文芸春秋的なセンスとエディターシップを感じさせてくれる。
日本近代文学大事典

そして目次裏の自社広告『宮本武蔵』の他に、ハメットの『探偵コンティネンタル・オプ』(砧一郎訳)を始めとする「六興推理小説選書」を見ると、戦後の六興出版部が『小説公園』、時代小説、翻訳推理小説などを刊行していたことを示している。私たちが知る六興出版社となってからは、吉川英治の時代小説の出版社としての印象が強いのであるが。
宮本武蔵(『宮本武蔵』) 探偵コンティネンタル・オプ(『探偵コンティネンタル・オプ』)

だが吉川晋の立項にしても、戦後の六興出版部のことだし、それらの出版物にしても、戦後になっての企画であろうし、戦前と戦後で六興出版部は切断されていると考えられる。どのようにして鶴見や太平洋協会とつながり、「太平洋図書館」を刊行するようになったのかは不明だし、戦前の小田部の時代の六興出版部の刊行物は詳らかでない。

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