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古本夜話595 伊藤書店「青年群書」、赤木健介『読書案内』、古在由重『戦中日記』

伊藤書店に関して、もう一編続けてみる。それは表紙には記載がなく、背表紙も薄れていて出版社名がわからなかったのであるが、開いてみると、それが伊藤書店の刊行だと判明したからだ。その書名は『読書案内』、それは「青年群書」というシリーズの一冊で、著者は赤木健介だった。四六判並製、二一三ページ、奥付には昭和十七年七月刊行、初版三千部、定価一円二十銭とある。おそらく「青年群書」はこれと同じようなフォーマットで出されたと思われる。どれだけ刊行されたのかは不明であるけれど、前回の社会科学書とは異なる伊藤書店の出版なので、そのラインナップを挙げてみる。ナンバーは便宜的につけたもので、タイトルもそのとおり出されたか不明だが、「以下続刊」とある。

1  鶴田三千夫  『技術の歴史』
2  戸塚正二   『製鉄製鋼の歴史』
3  小山弘健   『兵器と戦争の歴史』
4  堀 関夫   『自然観察』
5  大行慶雄   『病気の知識』
6  中村正二郎  『人間のからだ』
7  坂田徳男  『人間のこゝろ』
8  山室 静 『世界文学』
9  榊原美文   『日本の文学』
10 田中保隆  『明治の文学』
11  永原幸男  『映画と演劇』
12 堀 真琴  『政治と人生』
13 式場隆三郎 『これからの結婚』

3 の小山弘健は前回ふれたように、唯物論研究会のメンバーだったが、赤木にしても、1の鶴田、12の堀、13の式場も同様であるので、この「青年群書」の企画も唯物論研究会をバックヤードとして成立したものだろう。

赤木は『日本近代文学大事典』『近代日本社会運動史人物大事典』の双方に立項されているが、ここでは前者を引いてみる。
日本近代文学大事典

赤木健介 あかぎけんすけ 明治四〇・三・二〜(1907〜)詩人、歌人。本名赤羽寿、別名伊豆公夫。九州大法文学部中退。少年時代から短歌をつくり、姫路高校時代は「アララギ」に投稿、その後短歌をはなれ、昭和三年の三・一五事件以後、社会運動、文化運動に参加した。八年に検挙投獄され、一〇年出獄後渡辺順三らの「短歌評論」に加わり、歌集『意慾』(昭一・七・三 文化再出発の会)を刊行した。また唯物論研究会に参加し、『日本史学史』(昭一一・五 白揚社)その他多数の歴史論、人生論の著述をおこなった。一三年の唯研いっせい検挙以来、留置場、未決、保釈をくりかえし、戦後連合軍の手で解放された。『在りし日の東洋詩人たち』(昭一五・五 白揚社)はこの間に書かれた世界的視野に立つ異色の評論である。(後略)

なおこれは余談だが、現在の春秋社社長の澤畑吉和から聞いたところによれば、戦後の赤木は春秋社に勤めていて、澤畑が入社した昭和四十年代前半にはまだ在籍していたという。また立項や『読書案内』掲載の赤木の著作目録から見て、戦前の赤木は白揚社との関係が深かったと思われる。

このような赤木によって書かれた『読書案内』は「読者としては現代勤労青年を対象」とするもので、「生活の中の読書を第一義」とし、「いかに読むべきか、何を読むべきか」を論じ、巻末に「書名索引」を付している。。そのためにリーダブルで、コンパクトな、まさに   『読書案内』に仕上がっているといえよう。その「序」には「本書の刊行まで鞭撻を惜まれなかつた伊藤書店の伊藤長夫氏」に対する謝辞も記され、伊藤が同書の刊行に力を入れていたとわかる。それは伊藤の個人的心情だけでなく、同時代の大政翼賛会の青少年読書運動の推進と関連する広範な採用も意図されていたのではないだろうか。

ただそれにしても考えてしまうのは、大東亜戦争下における伊藤書店と唯物論研究会のメンバーたちとの関係である。その一人だった古在由重の昭和十九年の『戦中日記』(『古在由重著作集』第六巻所収、勁草書房)を読むと、赤羽=赤木の名前もよく出てくるし、神田の伊藤書店をよく訪ね、戸坂潤たちと会ったりしている。その一方で、古在は本連載112の四王天延孝が会長の大日本回教協会への就職運動を行ない、嘱託として勤め始め、「『東亜共栄圏』における回教徒大衆への政策についての調査立案という仕事」についている。また野原四郎のいる回教圏研究所にも顔を出し、こちらに移る試みも続けている。大日本回教協会や回教圏研究所については本連載577でふれているので、ぜひ参照されたい。そればかりか、上智大学にも通い、『カトリック大辞典』の校正などの仕事も引き受けている。そのような動向は赤木も同じで、本連載584で挙げておいたが、赤木=赤羽も太平洋研究会に属していた。

戦中日記

また本連載566568のイブラムヒへの言及もある。古在は五月に大日本回教協会主催、大山町の回教寺院での長寿祝賀会に出席し、九月一日にはその死をも書きつけている。

 ゆうべ九十四歳の老翁イブラヒムが死んだという。この老翁こそ大日本回教協会の「うりもの」だったのに。協会は彼についてのいろいろな潤色や仮構をおこない、そしてこれによって自己の回転をつづけてきた。私もまたこのような「聖人」の「製造行程」に参加した者の一人でもある。イブラヒムの死はひとつの短編の材料となることができよう。

そした葬式にも出て、柩の側にいて、参謀本部からの注文で、「自分ながら実に奇妙な仕事」である「イブラヒムの逝去」という放送用短文を書いたという。

そうした中で、新聞のヨーロッパ戦線状況や日本のサイパン陥落などの記事が切り抜き挿入され、日本の敗戦が迫りつつあることを暗示させてもいる。しかし古在自らいうように、昭和十九年における伊藤書店、大日本回教協会、回教圏研究所、上智大学の『カトリック大辞典』をめぐる関係や環境がもたらしたのは、「自分ながら実に奇妙な仕事」の連鎖である。

それはおそらく古在だけが体験したものではなく、赤木のことも挙げておいたように、唯物論研究会のメンバー、さらには著者や作者を含む出版業界の全体を見舞っていた事柄に他ならないであろう。

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