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古本夜話597 健文社とロレンス『恋愛論』『チャタレイ夫人の恋人』

前々回、伊藤書店の伊藤長夫のプロフィルは定かでないけれど、健文社の役員を務めた後、伊藤書店を興したことを既述しておいた。そこで続けて健文社にもふれておこう。

幸いにして健文社の鮎川秀三郎に関しては、出版タイムス社編『日本出版大観』(昭和五年、金沢文圃閣復刻)に立項があるので、それを引いてみる。明治二十三年生まれとされる。

 君は水戸の産、歳十三で東京に出で、目黒書店を振り出しに六盟館、明治図書三省堂等に勤務し、次いで辞書出版社では十年間支配人の職にあり、内外の興望を担つてゐたが、大正八年神田神保町一に健文社を創立した。爾来受験参考書、中学自習書に全力を傾倒し、多大なる業績を挙げた、就中、英語に関するもの、または中等教科書の詳解書は群書中の白眉とされ好評嘖々、学生界に其の声価を高らしめてゐる。
 君は目黒、三省堂等の大世帯に修練を積んだだけあつて、出版に於ける構想は斬新雄大で一書を出す毎に成功し、創業未だ十年を出でずして既に確固たる業礎を築き、書肆の風格を佩してゐる。生来の任侠児で、痛快淋漓たるものがある。

これが学参出版社としての健文社の立ち上がりとその実像であるといっていい。しかし私が知っている健文社とは、伊藤整訳でロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を最初に刊行した版元に他ならないし、その他にも昭和十年代初めにロレンスの小説、評論、手紙などをも集中的に出している。それらを挙げて見る。『島を愛した男』(宮西豊逸訳)、『処女とジプシー』(木下常太郎訳)、『恋愛論』(伊藤整訳)、『愛と芸術の手紙』(松永定訳)、またロレンス夫人のフリーダの『ロレンスの生涯』(足立重訳)も刊行されている。これらのロレンスの広範な紹介は、日本における最初のロレンス文学浸透の役割を果たしたにちがいない。

これらの健文社のロレンス本を一冊だけ持っている。それは『恋愛論』で、四六判別型上製本であるけれど、所持するのは裸本ゆえにそのカバー装丁などはわからない。それでも内容がそのようなものであるから、どのような表紙なのかが少しばかり気にかかる。ただそうはいっても、この『恋愛論』は伊藤が「訳者序」で述べているように、タイトルよりももっと間口が広く、「痛烈な現代社会批判」「現代人間批評」と見なすべきであろう。そしてこうした視座から『チャタレイ夫人の恋人』も書かれたことが生々しく伝わってくる。おそらく伊藤は『チャタレイ夫人の恋人』の補注として、この『恋愛論』と題する一冊を訳し、編んだと思われるし、ここにはフランスのモラリストたちと異なる力強いアフォリズムを感じてしまう。それは『現代人は愛しうるか―アポカリプス論』福田恒存訳、筑摩叢書、中公文庫)とも通底するものでもある。

現代人は愛しうるか―アポカリプス論(中公文庫版)

例えば、ロレンスは次のように述べている。

 女性が本当に困ってゐる事は、今でも昔どほりに、男性が女について作つた理論に、自分を適応させて行かねばならない点である。女性が完全に自分を保つてゐる時は、彼女にふさはしい男が彼女に成つてほしいと思ふ処の状態にあるのである。女がヒステリカルになるのは、自分でどういふ状態になつてゐたらいいか解らない時、どういふ手本に従つていいのか、どういふ男の描いてゐる女性の型を演じていいか解らない時である。言ふまでない事ではあるが、世界には無数の男がゐるやうに、女にかく在つて欲しいといふ男性の作つた理論も亦無数にある。然し男はタイプに執着するものである。そして理論、即ち《理想の女性》を産み出すのは個人ではなくつてこのタイプなのだ。

そうしてこのしばらく後で、ロレンスはいう。「ただ一つ男性が女を受け入れようとしないのは、一個の人間として、女性のセックスを持つた本当の人間としてだけである」と。ここに『チャタレイ夫人の恋人』のテーマが潜んでいることはいうまでもないだろう。またこのように『恋愛論』は人間の存在の意味、男性と女性の関係、セックスと美、現代の男性と女性などが語られていき、最後は「男性や女性や個人が為すべきことは、ただ自分等の肉体をとり戻して、全く別個の暖かさ、愛情、それから肉体の世界を、保持することである。それ以外には何も方法もない」という一文で閉じられている。

そして『恋愛論』奥付裏には二ページにわたる『チャタレイ夫人の恋人』の書評が収録されている。これはその刊行年と同じ昭和十年の号は不明だが、『新潮』掲載の河上徹太郎によるものである。河上はこの小説が「正しく精神の強者の文学」で、「作者は現代といふ時代の性格からその代表的人物を割り出し、之を理念でも救はず感傷にも堕せしめず、斯々の人間が生きてゐなければならないといふ自分の強い念願で以て歩かせて見たもの」と評している。ここにはまだ『恋愛論』が未刊行なのに、『恋愛論』を通じて読まれた『チャタレイ夫人の恋人』についての優れた書評であるように思える。

このような翻訳されたばかりの『チャタレイ夫人の恋人』の理解と受容に反して、戦後の猥褻容疑でのチャタレイ裁判、これは伊藤整『裁判』筑摩書房、のち旺文社文庫)に克明に描かれているが、何と退歩したかと思わざるをえない。そのために戦前の健文社と異なり、戦後に『チャタレイ夫人の恋人』を刊行した小山書店は倒産へと追いやられてしまうのである。

裁判(筑摩書房版)

健文社版『チャタレイ夫人の恋人』は未見だが、もし入手できれば、現代の新潮文庫版と比較し、その削除処理などを確認したいと思う。
チャタレイ夫人の恋人(新潮社文庫)

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