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古本夜話600 『唯物論研究』と福田久道

唯物論研究会や「唯物論全書」「三笠全書」に関しては三笠書房との関連で、後にまとめて言及するつもりでいたが、本連載594595596と三回続けてふれ、小山弘健、赤木健介、古在由重、式場隆三郎といったメンバーも取り上げてきたので、ここで唯物論研究会のことだけでも、ラフスケッチしておくべきだろう。
唯物論全書 (「唯物論全書」、『フランス唯物論』)

まずはこのところ重宝している『日本近現代史辞典』(同編集委員会編、東洋経済新報社、昭和五十三年)の立項を示してみる。

 唯物論研究会 ゆいぶつろんけんきゅうかい(1932.10.23〜1938.2.12 昭和7〜13)唯物論者の研究団体。唯物論の諸問題や諸科学への「浸透を研究する目的で、戸坂潤、三枝博音、岡邦雄、永田広志、服部之総らによって設立された。当初の会員は学者、評論家など150名。機関誌「唯物論研究」を発行し、毎月定期に研究家を開いた。非政治的形態をとったために弾圧を免れたが、左翼団体が続々壊滅したためしだいに活動を転換し、1935〜37年(昭和10〜12)頃では唯一の進歩的組織として知識階級、学生層に大きな影響力をもった。哲学、自然科学、社会科学のあらゆる基礎問題から思想、文化面の現実問題に至るまで、鋭い唯物論的究明を行い、反動下に敢然と科学的精神の旗をかかげて反動的諸思想と闘った。「唯物論全書」「三笠全書」などの発刊物は、その機関誌とともに日本マルクス主義の前進と普及に大いに貢献した。日中戦争後、弾圧を予想してみずから解散し、学芸社の名で「学芸」を発行したが、38年11〜12月指導分子29名とともに多数の関係者が検挙された(唯研事件)。

この『唯物論研究』総目次は『戸坂潤全集』(勁草書房)に収録され、昭和四十六年には青木書店から復刻が出されている。ここではこれまであまり言及されていなかった『唯物論研究』の流通と販売に目を向けてみたい。これは唯物論研究会の活動と戸坂潤をテーマにした古在由重の『戦時下の唯物論者たち』(青木書店)でもほとんど論じられていない。

戸坂潤全集 唯物論研究 (青木書店復刻)

同書には本連載本連載595の古在や伊豆公夫=赤木健介なども加わった「座談会」の収録もあるが、当初は四千部、後に二千五百部から三千部という部数、当時としても最も安いながらも原稿料が一ページ五〇銭、事務局員にも少ないながらも月給が出ていたことなどは語られているにもかかわらず、『唯物論研究』の営業面、すなわち流通と販売の問題にはふれずに終わっている。だがそれなりに『唯物論研究』が書店で売れ、取次を通じて入金があったので、製作費、原稿料、給料などが曲がりなりにも払えたことになる。それは唯物論研究会の活動や編集の一方で、流通や販売の仕事を担った人物がいたことを意味している。そのことをここで考えてみたいのである。

創刊当時の幹事は十七人に及ぶが、名前と専門を挙げてみる。小泉丹(生物学者)、長谷川如是閑(ジャーナリスト)、小倉金之助(数学者)、本多謙三(哲学者)、三枝博音(哲学者、科学史家)、富山小太郎(物理学者)、丘英通(生物学者)、服部之総(歴史学者)、斎藤晌(哲学者)、戸坂潤(哲学者)、岡邦雄(科学史家)、内田昇三(生物学者)、並河亮(社会学者)、石井友幸(生物学者)、清水幾太郎(社会学者)、羽仁五郎(歴史家)、林達夫(哲学者)である。

ただこれらの中にあって、『唯物論研究』の編集責任者を務めたのは第一号から第一一号までの三枝博音だけで、後は船山信一、石原辰郎、森宏一、本間唯一が担っている。本間については本連載594でふれている。さらに彼らとは異なる発行人、及び発行所を確認してみる。だが残念ながら、まだ青木書店の復刻を見る機会を得ていないので、それらは『日本近代文学大事典』の解題などによっている。
日本近代文学大事典 
発行所は創刊号から第五号までが木星社書院、第六、七号が隆章閣、以後は唯物論研究会で第二〇号だけが大畑書店である。発行人は創刊号が福田久道、第二号から七号が長谷川一郎、第八号から二二号が松風喜久太郎、第二三号から六三号が戸坂潤、その後は刈田新七である。

この中で明らかに出版人だとわかるのは福田久道で、彼は木星社書院の経営者だった。福田と木星社書院に関しては本連載213214、また251でも言及し、214では『日本近代文学大事典』の立項も引いておいたが、もう一度簡略にふれてみる。福田は明治二十八年生まれであることは確認されているけれど、出身地、経歴、没年は不明のようである。翻訳者として『白樺』にカートライトのミレー伝を掲載し、またドイツ語からの重訳で『ドストエーフスキイの手紙』(聚英閣)を刊行する一方で、大正三年に高踏的な美術雑誌『木星』を創刊し、また『季刊批評』『唯物論研究』『明治文学研究』などの編集発行を手がけたとされる。

実は四十人という多くにわたるので、唯物論研究会の発起人全員の名前を挙げられず、『唯物論研究』創刊時の幹事名だけを先に記しておいたが、発起人の中に福田の名前が見えているのである。福田の他にも出版人がもう一人いて、それは本連載361362で取り上げたナウカ社の大竹博吉で、この事実からすれば、『唯物論研究』創刊号の編集発行人が大竹になったという可能性も考えられる、それがどのようにして福田に決定したのかは詳らかでない。

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