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古本夜話605 寺島徳治、文理書院、『人生手帖』

これは日本評論社と直接の関係はないのだけれど、文理書院についても書いておきたい。それは美作太郎が『戦前戦中を歩む』の中で、前回の千倉書房にふれた際に、「序でながら、その後の千倉書房の編集部からは、文芸評論家の瀬沼茂樹や、『人生手帖』の創始者で文理書院を主宰した寺島徳治(文夫)が巣立っている。寺島は一九七五年胃がんで亡くなった」と書いてもいたからだ。

これも前回既述したように、本来は日本評論社の企画であった『現代商学全集』の編集に従事した瀬沼のことはともかく、どうして美作が『人生手帖』の寺島の名前を挙げ、その死までを伝えているのか、よくわからないところがある。ただ美作と寺島の間に何らかの関係を推測することはできるのだが。

といって、私にしても寺島や文理書院と接触しているわけではないし、ただ寺島の死後に文理書院からスエンデンボルグの笹岡康男訳が出されていることに対し、奇妙な思いに捉われてきただけである。『天界と地獄』の翻訳史などに関しては本連載247「鈴木大拙、スエンデンボルグ原著『天界と地獄』」で言及しているので、よろしければそちらを参照されたい。
天界と地獄 [f:id:OdaMitsuo:20121019113732j:image:h120]『天界と地獄』

それはさておき、この文理書院の『人生手帖』は『戦後史大事典』(三省堂、平成三年)に立項されているので、まずはそれを示す。

 じんせいてちょう『人生手帖』 人生記録雑誌。一九五二年(昭和二七)一月〜七二年一一月(二三巻一一号)。i以後『健康ファミリー』と改題し、現在にいたる。編集緑の会、文理書院発行。若い世代の生活体験の記録を集めて出版した『生きる日の喜びと悲しみに』(第一集)、『いかに生くべきなのか』(第二集)が人気を博し、読後感を寄せた読者を中心にして緑の会が結成され、柳田謙十郎、高桑純夫らの指導によって会の機関誌として発刊。戦後の混乱期から脱出した社会のなかで自分の姿を見つける時間が出てきたころの人生雑誌で、青少年男女の人生相談的役割をはたした。

手元に文理書院の山内久原案、津軽十三著『若者はゆく』があり、その田中邦衛、山本圭、佐藤オリエたちのカバー写真から、これが昭和四十四年の同タイトルの映画のノベラゼーションで、それもあって、四十五年第五版となり売れているとわかる。この裏の見返しのところに、「健康な心と体をつくる雑誌」というキャッチコピーを添えた月刊誌『人生手帖』の内容が紹介され、「主義主張にこだわらず、有名人も無名の読者も、平等の立場で人生を考え語り合う雑誌」と謳われている。巻末広告には「人生記録」シリーズとして、農家の主婦高岡なを『コスモスの記』、女医上条なつ『道ありき』、山本克巳『不屈の青春』に加え、健康、哲学、経済などのための手引書が掲載されている。

『人生手帖』を読んだこともないし、見かけた記憶もないのだが、昭和四十年代まではまだ人生論の時代で、それらの書籍も多く出されたいたことを彷彿とさせる。先の立項からも、寺島、文理書院、『人生手帖』の関係が成立する経緯と事情はうかがえない。考えられるのは寺島が千倉書房時代に柳田謙十郎や高桑純夫と親交し、それがきっかけで文理書院を設立し、『人生手帖』を発刊するようになったのではないかとの推測である。柳田はともかく高桑は唯物論研究会の近傍にいたし、美作も寺島のことを気にかけていたのだから。そこで『千倉書房目録(昭和四年〜昭和六十三年)を確認してみた。ところが二人の著者は刊行されていない。

とすれば、柳田は戦後になって唯物論哲学の啓蒙的著述活動、平和、日本友好、労働者教育などの大衆的運動に献身し、高桑もまた同様だったようなので、そこから緑の会が発生し、寺島と文理書院にリンクし、『人生手帖』が創刊されるようになったのだろうか。どうもそうした経緯と事情、人脈なども明らかになっていないし、それが戦後の出版のひとつのトレンドであったことは確実なのだが、実用書と同様に、人生論関連出版物が出版史の傍流におかれていることも作用しているのだろう。

そのようなことは出版社や出版者ばかりでなく、執筆者、著者、編集者も同様だと思われる。井家上隆幸が『三一新書の時代』(「出版人に聞く」シリーズ16)の中で、三一書房の「高校生新書」に人生論や学園小説などもラインナップされ、倉本四郎の『することがない青春なのか』も入っていることに対し、以下のように応えている。「倉本はもともと『人生手帖』といった人生論雑誌の編集に携わっていた関係から「高校生新書」の著者としてリクルートされたんじゃないかな」と。倉本は『週刊ポスト』創刊の頃から書評コーナーを担当し、その書評は一世を風靡したといっていい。それは近年まとめられた『ポスト・ブックレビューの時代』(右文書院)にその一端が示されている。
三一新書の時代 ポスト・ブックレビューの時代

そしてまた「高校生新書」には藤井夏の『若者たち』も収録され、裏表紙に「これはテレビ・ドラマ『若者たち』を小説化したものです」との断わりが書かれている。『若者たち』は昭和四十一年に山内久シナリオ、森川時久演出により、フジテレビで放映されたが、その社会批判的内容ゆえに打ち切られ、それが昭和四十二年からの映画『若者たち』『若者はゆく』『若者の旗』へと展開されていったのである。このようなことを書いてきて、この三部作を支えた観客もまた、『人生手帖』のような人生論の読者だったのではないかということに思い至ったのである。
若者たち 若者たち 

だが『天界と地獄』のことにまでは至りつけなかった。

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