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古本夜話609 山田静雄、小壺天書房、春陽文庫

もう一社、戦後の小出版社にふれてみたい。前回の『風雪』の参照のために、中村八朗の『文壇資料十五日会と「文学者」』を読んでいたら、小笠原貴雄と大学や同人誌『辛巳』を同じくした山田静雄という人物が出てきた。おそらくこの山田が実質的に小笠原の遺稿『風雪』の編集刊行を担ったのではないかと思われる。
『文壇資料十五日会と「文学者」』

中村によれば、かつて山田も井上友一郎のもとで小説を書いていたが、戦後は編集者の道を歩き、春陽堂の『新小説』の編集者だったので、十五日会の中村も含めた若手作家たちも、『新小説』に小説を書かせてもらい、とても応援してもらったという。『日本近代文学大事典』で『新小説』を確認してみると、戦後復刊され、四年半ほど続いたとあるだけで、内容についての言及はない。

そのうちに山田は春陽堂を辞め、社名は記されていないが、出版社を興し、『小説朝日』という雑誌を出し、中村にも直木賞をとらせるために長い作品を掲載し、それらは実際に直木賞候補になったようだが、中村は病を得て、小説が書けなくなってしまう。それからの山田との関わりを、中村は次のように書いている。

ようやく病気が治癒した頃には、山田社長は小壺天書房という出版社をやっていて、再び私はそこで再起の書き下し青春小説の長篇を出版してもらった。それは折からの青春もの流行の波と合って、本も売れたが映画になったりして、私を立ち直らせる有難いきっかけを作ってくれたのだ。現在、山田は東京出版センターという出版社を経営して大成している。私に限らず、「丹羽部屋」関係の人達は彼の恩恵を多かれ少なかれ受けている。

この中村の記述によって、これまでわからなかったいくつかのことが解明されたように思われた。ひとつは小壺天書房に関してで、実はそこで刊行した二冊を所持していて、この出版社の実像がずっとつかめないでいたからだ。その二冊はいずれも小説集で、石川利光の『忘れ扇』(昭和三十二年)と小堺昭三の『熱氷地帯』(同三十四年)であり、奥付の発行人は確かに山田静雄となっている。後者の巻末広告には四十点以上の単行本が掲載され、そのほとんどが小説と見なせるし、著者は石川や小堺や丹羽の他に、火野葦平井上友一郎、田村泰次郎小泉譲、小田仁二郎、などが並んでいて、彼らが丹羽の『文学者』の同人、もしくはその近傍にいた作家たちだとわかる。
忘れ扇

ただ不明の著者たちも混じっているのは、前回ふれておいたように、『文学者』は戦前の同人誌『辛巳』の系譜を引き継いでいることも留意すべきかもしれない。これは今井潤の「同人雑誌壊滅の歴史」というサブタイトルを付した『青年文学者』(中央公論事業出版)で述べられていることだが、昭和十六年二月に大政翼賛会の文化部長などを来賓として、日本青年文学者会が結成された。この会員は四十種の同人雑誌のメンバーからなる二百名で、大東亜戦争下における企業、出版社の統制や整備と同様に、それを同人雑誌にも応用しようとするものだった。その結果、日本青年文学者会主催のもとで、都下の八十種あまりの同人雑誌は八誌に統合されることになった。それらは『辛巳』『文芸主潮』『正統』『文芸復興』『新文学』『昭和文学』『新作家』『青年作家』である。今井は『昭和文学』に属したが、後にこれらも『日本文学者』一誌に統合されていった。したがって『辛巳』は北条誠たちも同人となり、多彩な人脈を有し、それが戦後になって小笠原貴雄の『風雪』に引き継がれ、さらに『文学者』に至って多様な小説のかたちとなって展開されたと思われる。

その触媒、一人のキーパーソンが山田静雄だったのではないだろか。中村の「『丹羽部屋』関係の人達は彼の恩恵を多かれ少なかれ受けている」との証言は、小壺天書房のことだけをさしているのではなく、春陽堂の編集者であるゆえに、「『丹羽部屋』の人達」を春陽文庫の作家へと誘ったことに求められるような気がする。昭和四十四年刊行の『春陽文庫の作家たち』と題する目録が手元にある。これは昭和三十年代後半から四十年代にかけて、春陽堂が作家と作品の紹介を兼ねて作成発行した書店、読者用の春陽文庫目録、もしくはそれに準じた拡材と見なせるだろう。
春陽文庫の作家たち

それは長谷川伸新鷹会の、山手樹一郎を始めとする時代小説、江戸川乱歩の探偵小説などの中にあって、小泉譲榛葉英治田村泰次郎、富島健夫、火野葦平北条誠、そして他ならぬ中村八朗もまた写真入りで紹介されている。この事実は彼らがこの時代において、春陽文庫の重要な作家であったことを示していよう。ここでの中村は「丹羽部屋」や『文学者』同人としての顔と異なる紹介がなされ、昭和三十年代には講談社の『講談倶楽部』に毎月のように短編を発表して、確固たる人気を有していたという。それらは「瑞々しい若さに溢れ」、「若き青春群像の日々、忘れられない若い日の濃いの姿の数々をソフト・タッチでえが」いていたからとされる。

おそらく彼らの他にも「丹羽部屋」の人たちが春陽文庫の作家に加わっていたはずだし、そのことによって『文学者』からは得られない生活の糧を確保していたと思われる。なお『講談倶楽部』などに関しては、塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」シリーズ13、論創社)を参照されたい。
倶楽部雑誌探究

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