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古本夜話611 ゾンバルト『三つの経済学』と『恋愛と贅沢と資本主義』

前回はふれることができなかったが、ウィットフォーゲルの『東洋的社会の理論』の第四編は「経済史の自然的諸基礎」と題され、意外なことに中国やアジアではなく、一七八九年以後のフランス産業の発展をたどることから始められている。

そこでウィットフォーゲルは次のように指摘している。フランス革命以後、政府が大資本制的企業家たちを公然と保護したことによって、産業は急速に息を吹き返した。ナポレオンが産業家クシャプタールを内務大臣に任命したこともあり、政府と民間が競って資本家的生産を鼓舞し、発明に対しては奨励金が出され、産業博覧会も開催され、科学は産業上の実践とダイレクトに結びついていた。その結果はどうだったかというと、木綿工業は真のルネサンスを経験し、機械紡績の紡錘が百万に上がり、羊毛工業も躍進し、化学の領域でも大飛躍があった。しかし近代産業の中枢たる重工業、つまり金属工業だけは足踏みしていた。それはフランスの蒸気機関の採用の遅れも表われていた。この原因はフランスの石炭産出量が少なく、ほとんどがベルギーで得られていたことによっている。これは十九世紀初頭までのフランスの産業部門における不均等な状態を説明するものであった。

このようなウィットフォーゲルのフランス産業史に注視してしまったのは、本連載192などで既述しているように、私がゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者であるからだ。ここに記されているフランス産業史が他ならぬ「叢書」の時代背景の十九世紀後半の第二帝政の産業前史でもあり、木綿工業や羊毛工業の発達に象徴される多様多彩な衣服の出現は『ボヌール・デ・ダム百貨店』、蒸気機関の発達は『獣人』、炭鉱は『ジェルミナール』をただちに想起してしまうからだ。

ボヌール・デ・ダム百貨店 獣人 ジェルミナール

これらのウィットフォーゲルの記述は、フランスの経済史家エミール・ルヴァスールの『一七八九年から一八七〇年 フランスの労働階級と産業の歴史』などによっている。だがウィットフォーゲルはこのような歴史分析はゾンバルトのいっている「意志自由なる仮定」からもたらされるのではない、それは「一つの神学的要請」だと退けている。実はルヴァスールは翻訳されていないけれど、ゾンバルトのほうは訳出されていて、それは注に示されているように、小島昌太郎監訳『三つの経済学』(雄風館書房、昭和八年)である。均一台で見つけた同書の「意志自由なる仮定」の部分を読んでみると、「文化事象が還元されるところの原因なるものは専ら人間の動機」で、他のすべては「機会」、もしくは「条件」にすぎないといっている部分に相当するのだろう。

それも含めて『三つの経済学』『世界名著大事典』に立項が見出せるので、そのまま引いてみる。

 3つの経済学 Drei Nationalökonomien,Geschichte und System der Lehre von der Wirtschaft(1930) ゾンバルトWerner Sombart(1863~1941)著
 著者はドイツ的史学派の流れを継ぐ経済学者、社会学者。副題に「経済学の歴史と体系」とあるように、経済学史であると同時に方法論の書物である。1.経済学現状、2..3つの経済学、3.全体としての経済学、の3部より成るが、重点は第2部にある。ここで著者は従来の経済学説を、規制的、整序的、理解的の6つに分けて考察する。著者によれば、この3つは、文化科学における人間の対象に対する3つの根本態度―形而上学的、自然科学的、精神科学的―にそれぞれ照応するものであるが、これらの3つが純粋な形で個々の体系に含まれることはほとんどなく、重農学派や古典学派には規則的及び整序的、歴史学派には整序的および理解的経済学が、マルクスには3つのものすべてが、まじりあっている。著者が最も力を注いているのは、第3の理解的経済学であり、その体系、「理解」の意味、概念、法則などが詳細に展開されている。ゾンバルトの数多い著作のうちでも晩年に属する本書は、理解的経済学の立場を唱える著者の、方法論的な自己反省を示したものといえよう。

少しばかり長い引用となってしまったが、高島善哉によるこの立項は、菊判四百ページに及ぶ戦前の経済学翻訳書のレジュメとして、最も適宜なものと思われる。ゾンバルトの「文化意志の仮定」とは、ここでいわれている「理解的経済学」の視点であり、マルクスに基づくウィットフォーゲルから否定されたことになる。

しかしこのようなゾンバルトの「理解経済学」から『恋愛と贅沢と資本主義』(金森誠也訳、論創社、のち講談社学術文庫)が生まれてきたのだとわかる。ゾンバルトは同書の中で、中世末期の宮廷社会を背景とする市民の富の発生、近代社会を迎えての新興成金たちの出現、消費社会としての大都市の誕生、娼婦たちによる愛の世俗化、奢侈の開発と発展をたどり、近代社会と資本主義の成立が奢侈と男女間の関係、つまりセックスと恋愛をベースにしていることを明らかにしていく。まさにこれこそがゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」のひとつのテーマでもあった。
恋愛と贅沢と資本主義(講談社学術文庫)

またゾンバルトもヴェブレンの書名を挙げているが、『恋愛と贅沢と資本主義』はヨーロッパ版『有閑階級の理論』と見なすこともできよう。『恋愛と贅沢と資本主義』が大正十四年に而立社から『奢侈と資本主義』(田中九一訳)として刊行されているように、こちらも大正時代に翻訳されていることは本連載536で既述したばかりだ。
有閑階級の理論(ちくま学芸文庫)

最後に『三つの経済学』に戻ると、京都帝大経済学部の小島昌太郎監訳とあるが、実際の翻訳は熊沢良忠、正木一夫、江口己与吉の三人によっている。ここでの表記はゾムバルトだが、ゾンバルトに統一した。また版元を鵜殿龍雄とする雄風館書房は本郷にある学術出版社のようだが、この一冊しか入手していない。

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