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古本夜話687 東邦社『南方年鑑』

戦前の地理学に関連して、三編ほど古今書院にふれてきたが、もう少し南進論絡みを続けてみたい。

大東亜戦争下における南進論を象徴するような一冊がある。それは『南方年鑑』で昭和十八年版として、日本橋区本町の東邦社から刊行されている。年度版だが、この大冊はこれしか出版されていないと思われる。四六倍判、二段組み、一六九四ページ、厚さは十センチに及ぶ大冊であり、編纂名は南方年鑑刊行会、発行者は三ツ木隆治となっている。出版社にしても発行者にしても、ここで初めて目にするもので、双方のプロフィルは定かでない。

入手した経緯も記しておけば、古書目録に『南方年鑑』の出版社として東邦社ではなく、「東方社」とあったので、『FRONT』を出していた版元だと思い、注文したところ、届いてみてそれが誤植だとわかったのである。ちなみに古書価は四七二五円だった。しかしそれでも、この南進論の集大成ともいうべき『南方年鑑』は見たことも聞いたこともなく、まったく未知の一冊であり、入手できたのは幸いであった。背に貼られた「禁帯出」と数字の入ったラベルからすれば、図書館、もしくは研究所の蔵書だったことは明らかだが、見返しや本表紙にはそれを注意深く隠蔽したというしかない痕跡があり、『南方年鑑』という一冊の由来と存在を暗示させているようにも思える。

その十八年九月付の「序文」は次のように書き出されている。

 大東亜戦争の輝かしい戦果は、大東亜に於ける、否世界に於ける吾国の地位を、今や確固不抜のものたらしめた。日満支を中核とし、之に南方を加へた大東亜共栄圏の確立は、吾国に課せられた重大な使命であると共に、それは吾国の将来を決定する重要なカギとなつた。大東亜共栄圏の中核が日満支たる事は今更云ふまでもないが、南方はその政治的・経済的・文化的の凡ゆる観点から云って、共栄圏確立の為に不可欠の条件である。蓋し、南方の護りを固くする事は共栄圏の政治的独立性を維持する為の必要な要件であり、南方圏の経済的価値、特にその資源的価値は、大東亜の自給経済圏を形成する為の必須の前提であり、南方諸民族の文化の本質を把握する事は、大東亜の民族共栄の基礎をなすものである。

しかし「大東亜戦争勃発の前後から、南方関係の調査・研究・紀行・随筆等が、文字通り市場に氾濫した」こともあり、その正当な理解の一冊として、この「『南方年鑑』を世に贈る」とも明記されている。

この序文は編集委員の板垣興一、岡田宗司、浜田恒一、山田文雄、雪竹栄の五人の名前で示され、次ページには南方関係研究者六十五人の執筆者名が掲載されている。これらの全員の執筆分担を挙げることはできないけれど、その「上篇」に当たる「南方共栄圏」、及びその概観の地域別詳細の主たる担当者を挙げてみる。それらは一貫して「大東亜建設の理念」に基づくものとされる。

 1 南方圏地政学 /江澤譲爾
 2 南方圏の自然環境 /武見芳二
 3 南方圏の民族 /清野謙次
 4 南方圏の宗教 古野清人
 5 南方圏の文化 /三吉朋十
 6 南方圏の社会 /馬淵東一
 7 南方圏の経済 /浜田恒一、岡田宗司
 8 南方華僑の現勢 /田村壽
 9 南方植民政策論 /浜田恒一
 10 邦人南方発展史 /奥田博夫、川本邦雄
 11 大東亜共栄圏の建設 /山田文雄
 12 仏領印度支那 /逸見重雄
 13 タイ /宮原義登
 14 ビルマ /蒲池清
 15 マライ /浜田恒一
 16 東印度 /山田文雄、板垣興一
 17 フィリッピン /三宅晴輝
 18 太平洋諸島 /岡田宗司
 19 濠州連邦 片山龍二
 20 ニュージーランド /長谷川了
 21 印度 /伊藤敬
 22 印度洋諸島 /岡田宗司

これらのメンバーの中で、それなりのプロフィルがつかめる人物は少ない。編集委員である板垣は東京商科大出身で、この当時はアジア経済などの研究者、戦後には一橋大学教授を務めている。同じく岡田は東大新人会に属し、労働調査研究所や無産大衆党を経て、人民戦線事件で逮捕されているが、戦後は日本社会党結成に参加し、国会議員にも当選している。この二人は『現代日本朝日人物事典』に立項が見えるけれど、昭和十年代後半のポジションが定かでない。
[現代日本]朝日人物事典

それでもこの二人が『南方年鑑』の編纂委員に名を連ねていることからすれば、アジア経済を専門とする板垣、左翼から南進論へと傾斜していったと見られる岡田が中心となり、アジア人類学や民族学の清野謙次、馬淵東一、古野清人、南方圏各国の研究者たちがそれこそ動員され、大冊の『南方年鑑』が送り出されたことになる。

それからこれは詳細をつかんでいないが、「序文」にあるように、台湾総統府がやはり年度版の『南方年鑑』を刊行していた。これは昭和十六年に南洋群島協会から出された『南方年鑑』で、東邦社版はそれを範とし、また執筆者たちも多くが引きつがれたと考えてもいいかもしれない。

なお国会図書館を確認してみると、東方社版とある一冊も見出された。これは単なる間違いなのであろうか。


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