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古本夜話697 仲小路彰『砂漠の光』

これはその出版経緯と事情もまったくつかめていないけれど、やはり新光社から大正十一年に仲小路彰の長篇戯曲『砂漠の光』が刊行されている。それは七八一ページに及ぶもので、まさに個人としては前例を見ない長篇戯曲の出版だったと思われる。しかも奥付の検印には仲小路の押印があり、著作権と印税も著者に帰することが示されている。これも新人の大著としては破格の優遇条件のように見なせるし、そこには本連載133「仲小路彰のささやかな肖像」で提出しておいた著者の特異なポジションが反映されているのだろうか。

また新光社からの出版で考えられるのが、『砂漠の光』の巻末広告にも見える加藤朝鳥との関係で、彼は先んじて訳書のペルシャ詩集『薔薇園』を出し、大正十二年には創作『十字軍』も上梓している。加藤と仲小路の関係を把握しているわけではないけれど、加藤を通じて仲小路の出版も成立したとの推測も可能であろう。

だがこの時代において、仲小路のマホメットを主人公とする長大な戯曲を書かしめるに至ったモチーフは何なのか。それは彼が『砂漠の光』の「はしがき」に記しているところの「極端な否定的結論」、すなわち「人生―それは恰も砂漠の様なものだ」という啓示であった。「すべては『存つ』て『無く』なる個物に過ぎず、人生は遂に空無の砂漠ではなからうか。」

 私は此を思ふのが苦しかつた。すべての今迄の理想が壊れて行くのが哀しかつた。けれど現実はそれを壊して行く。私はかうして此の観念の砂漠から現実の砂漠に―就中神秘を罩めたアラビヤの砂漠に心は彷徨した。砂漠の上の放浪は何んといふ孤独の悲愁をそゝる事であらう。私は淋しさの余り、砂に埋もれた歴史を掘り始めた。そして偶然に見出したのは、嘗て幼時興味深く感じた予言者マホメットの事であつた。かくて、一見すべてが死と思はれる砂漠の上にも、驚くべき神秘な生命の躍動を見、又砂の乾はける中にも、美はしい心霊の理想の花は天国の園の様に微笑んだのを知ると共に(中略)、私の速断「人生は砂漠の様だ」のそれに、深い動揺を来した。が、この動揺は大となつても容易に此の結論は破れなかつた。そして此の心の矛盾を解決せんとする事が、マホメット及其の時代を益々考へさせる動機ともなつた。

ここに仲小路の長篇戯曲の初源のモチーフが語られていることになる。ただ本連載661の『コーラン経』との関係は定かでないが、「嘗て幼時興味深く感じた予言者マホメットの事」は、やはり同661でふれた博文館の歴史読物『マホメット』をさしているのではないだろうか。大きな物語の種子とはそれに先駆けて撒かれているのが常だからでもある。

そうして「序詞」に続き、マホメットの六十余年の生涯とその時代が、「懐疑時代」「迫害時代」「飛雄時代」「信仰時代」の四部構成によって展開されていく。これらのすべてに言及できないので、第二部「迫害時代」の「序曲」におけるマホメットが啓示を受けるシーンを見てみよう。マホメットは郊外のヒラの山の洞窟にこもるようになり、新しい世界、悲しみも喜びも消え、永遠の平静が訪れてきたように思われた。それは恍惚も伴い、遠い無限の彼方から「無限、絶対の宇宙、―神、生命の力、破壊と7創造、真理の光よ」という六語が聞こえてきた。マホメットはいう。

 「(……)其の日の黎明の光は烈々とした輝を山に放つた。―限り無い浩然たる英気が朝露に霑つた身を震わせた。―そして其の光の中に自分はあの六語を堅く結びつけるのだつた。―あゝ唯一絶対な宇宙、―其の尊い表現たる―アラーの神。―自分は始めてあの謎を解くことが出来た。―真理の光―と太陽、―破壊と創造、―生命と力何といふ暗示に富んだ力強き標語であらう。―山は輝きに聳へた、谷は喜びをこめた、自我は最早此の山に融け谷に流れた。―又山は自我に、谷は自我に忍びよつた。―光はすべての疑惑を照破した。―あの神の言葉―自分の走る足は―驚くべき確信に抱く身体を、―麓にまで運ぶのだつた。―あゝ―起つべき時は遂に来たのだ。―おゝ、アラーの神よ。

このマホメットの天啓告白を聞いた一同は「おゝ尊き、予言者、―マホメット」と唱和する。それを受けて、マホメットも「如何なる波濤も、如何なる山獄をも、突破して、輝ける、真実の神の国を建設しよう」と宣言するのだ。このシーンが「迫害時代」だけでなく、前半のクライマックスだと見なしてよかろう。

ここでおそらくマホメットはキリストや仏陀と並ぶ二聖ならぬ三聖の存在として、『砂漠の光』の中に召喚されているのだろう。しかしこのマホメットのイメージがどのようにして本連載121などのスメラ学塾へと収斂していくのか、その回路は定かではない。

また最後に付け加えておけば、『砂漠の光』は刊行の翌年に、新光社が関東大震災によって在庫や紙型が消失してしまったためか、その後は出版されていないし、ほとんど古書市場にも見出せないので、少しばかり長い引用を試みることにした。私も入手できておらず、新潟県立図書館の蔵書を利用し、拙稿を書いたのである。



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