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古本夜話706 『東亜学』、日光書院、米林富男

大東出版社の「東亜文化叢書」、彰国社、龍吟社の「東亜建築撰書」と続けてきたので、もうひとつ日光書院の『東亜学』にもふれてみたい。

 これは昭和十四年九月に第一輯が出され、裏表紙には『ORIENTALICA』とあり、英文目次も付されている。その後、同十九年第九輯までの続刊を確認できる。第一輯は創刊号のゆえあって、巻頭に「発刊の辞」がしたためられている。

 支那事変の発生以来、我国朝野に於ける東亜研究熱は俄かに高潮されたかの感がある。研究の簇出、雑誌の発刊、研究所の創設、学会の結成、講座の増置等、現下の日本は正に計画の渦中に立つものといへる。もとよりこれ等の中には時流に亜した不真面目なものなしとはいはれぬがかゝる機運は喜ぶべきところでありまたその円実なる発展は吾人の深く望むところである。

そして従来の日本の東亜研究が欧米偏重のためにふるわなかったこと、科学的基礎なき所謂「支那通」を跋扈させたことが挙げられるが、それでも徳川時代より、「支那学」、その後の「東洋学」という古典的研究委は持続してきたので、これらを「総合帰一」して、「東亜学」の確立を期さねばならず、それが『東亜学』発刊の使命だとも述べられている。その内容と執筆や、肩書も示してみる。

*「支那の記載に現はれたる黒龍江下流域の土人」  和田清/東京帝大教授、東洋文庫研究員
*「英帝国ブロック最近の同行と東亜経済ブロックの結成」  堀江邑一/満鉄調査部、東亜経済研究
*「日本国号私見」  岩井大慧/東洋文庫主任
*「中国共産党の第二期抗戦大作」  梶原勝三郎/上海日本総領事館特別調査班
*「回教の寺々」  村田治郎/京都帝大教授、東洋建築史
*「北京と家」  瀧川政次郎/満洲建国大学教授
*「支那法・法史に関する一般的参考文献、支那学・古典の重要文献(欧文目録)」 (ジャン・エスカルラ)平野義太郎訳
*「上海通信」  重光蔵/東亜同文書院教授

 これらの他にもモーリス・ウィリアム『孫逸仙対共産主義』(未邦訳)、鄧雲特『支那救荒史』(川崎正雄訳、生活社)の長文書評が高橋勇次と吉川美都雄によって寄せられているが、この二人の紹介はないので、先には挙げなかったことを付記しておく。

 このような執筆者メンバーと本連載120や160の平野義太郎の存在を考えると、日本内地のアカデミズム、東洋文庫、満鉄調査部、満洲建国大学、東亜同文書院、それに加えて転向左翼が一堂に会し、支那事変を背景とした新たな「東亜学」の確立が目されたと推測できる。それをバックアップしたのが日光書院ということになる。その事実を示すように、巻末ページには「新刊」として、瀧川政次郎『満支史説史話』、野口勤次郎、渡辺義雄『満洲共同租界と工部局』の掲載がある。ちなみにこの二人は上海共同租界工部局員を務める学究とされている。

 奥付には編輯者として米林富男、発行者として米林釥夫の名前が記され、その住所は神田区一ツ橋とある。この二人は兄弟、もしくは縁戚関係だと推察されるが、前者は夏川清丸の『出版書籍商人物事典』(金沢文圃閣)の第2巻に立項が見出せる。ちなみに夏川は本連載267の帆刈芳之助である。同辞典は戦後になって帆刈が『出版同盟新聞』や『帆刈出版通信』に連載したものをまとめて収録したもので、米林の名前はここでしか見つけられないこともあり、そのまま引いてみる。

 明治38年9月12日、石川県金沢市に生る。45歳、昭和3年東大文学部社会科卒。そのまま母校にふみ留まりて助教授たること十年、同13年出版業界に入り日光書院を創業、別に当時満洲新京東光書宛(福家俊一氏)の東京支社長となつた。企業整備の際には三社を買収して残つた。終戦の年の20年12月病気静養のため事業を友人坂田厚英氏に譲渡して信州の山中に赴き在留四年、作ね10月病いえて帰京し、同1月同書院を譲戻して業界に復活した。信州在留中、アダムスミスの道徳情操上下論千八百頁を訳了、上巻A5四百頁四百円を今次発行した。別に同書院の兼営にかかる同所、吾妻書院は今回同書院を離れて独立した。長野県社会教育委員、趣味は読書、酒、たばこは何れも好まない。

 福島鋳郎編著『新版戦後雑誌発掘』(洋泉社)所収の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧」を確認してみると、日光書院が「残つた」出版社に挙げられていた。ただそれは三社の買収ではなく、月刊満洲社東京出版部、大正書院、日向書房、明倫館の四社の吸収からなり、その新事業体は主として東亜学、ドイツ語学とされている。昭和十三年設立の日光書院が存続を許されたことは、その東亜学関連の出版物多かったことによっているのかもしれない。日光書院については後に本連載も再びふれるつもりなので、今回はここで閉じる。


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