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古本夜話711 精神文化研究所と「国民精神文化類輯」

 実は前回の河野省三の小冊子的な一冊も入手している。それは『我が国の神話』で、「国民精神文化類輯」の第三輯として、昭和十一年に国民精神文化研究所から刊行されている。奥付には「発売元」が国民精神文化研究会、「売捌元」は目黒書店とある。これは実質的に国民精神文化研究所の出版物だが、市販に当たって、国民精神文化研究会を窓口とし、教育雑誌、教育関係書の雄である目黒書店を通じて、全国的に流通販売されていたこと伝えている。ちなみに目黒書店の二代目社長の目黒四郎は戦時下において、出版新体制結成準備委員、日本出版文化協会幹事、日本出版配給株式会社監査役に就任し、有斐閣の江草四郎、文化協会理事の田中四郎とともに若手ホープとして、出版新体制三四郎と呼ばれていたという。

 それはともかく河野の『我が国の神話』に関する言及は前回の繰り返しになってしまうので、タイトルだけにとどめ、この国民精神文化研究所と「国民精神文化類輯」にふれてみたい。前者に関しては本連載124ですでにその主たるメンバーも含め、取り上げているが、幸いにして、『日本近現代史辞典』には前者が次のように立項されている。

 国民精神文化研究所 こくみんせいしんぶんかけんきゅうしょ(設立1932.8.23~1943.10.31,昭和7~18)日本教学の精神的支柱建設のため文部省が設けた研究機関。学生思想問題調査委員会の答申にもとづき〈わが国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を啓培し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系〉の建設を目的として設置された。研究部・事業部に分れ、事業部で教師の再教育をした。のち文部省教学局管轄となり、1943年(昭和18)11月1日国民錬成所(設置1942.1.24)と合併、教学錬成所となったが、そこでの錬成・研究は、戦時下全国民の教育方式として普及した。教学錬成所は第2次世界大戦敗戦後の45年10月15日廃止された。

 この記述から判断すれば、「国民精神文化類輯」は「研究部」が「事業部」のために編んだテキスト、教科書と見なせよう。それに加えて、「戦時下全国民の教育」のための小冊子として、大量生産され、目黒書店を通じ、大量販売されていたと考えられる。

 河野の『我が国の神話』は四六判並製、五八ページであり、その巻末に既刊として十四冊が掲載されているので、それを挙げてみる。

1 紀平正美 『我が青年諸兄に告ぐ』
2 吉田熊次 『国民精神の教養』
3 河野省三 『教学と思想統一』
4 久松潜一 『能学論と思想統一』
5 西晋一郎 『教学と思想統一』
6 大串兎代夫 『全国国家論の台頭』
7 藤沢親雄 『自由主義の批判』
8 志田延義 『古典とその精神
9 川合貞一 『恩』
10 作田荘一 『我が国民経済の進路』
11 小野正康 『日本学の拠つて立つ所』
12 山本勝市 『思想問題と母の愛行』
13 松本彦次郎 『中世日本の国民思想
14 海後宗臣 『小学教育の構成』

 f:id:OdaMitsuo:20170917120000j:plain:h120(第十一輯『日本学の拠つて立つ所』)

 これらの大半は先の同124でリストアップしているように国民精神文化研究所に在籍していた人たちであり、そこに挙がっていない著者にしても、同類だと思われる。また同706で朝倉書店の「現代哲学叢書」の推薦者に1の紀平と5の西、著者としての6の大串がいたことを既述しておいた。それに「現代哲学叢書」の『皇道哲学』の佐藤通次も研究所員だったし、前々回の鹿子木員信にしても、「同叢書」の推薦者にして同様だったことからすれば、国民精神文化研究所や「国民精神文化類輯」の企画にしても著者にしても、クロスしていたのである。

 「現代哲学叢書」の斎藤晌と同様に、唯物論研究会のメンバーだった古在義重は『戦時下の唯物論者たち』(青木書店)の中で、一九三〇年代に入ると、日本の思想的潮流にドラスチックな変化が起きたことを述べている。それは自由主義的だと思われていた哲学の分野、田辺元や西田幾多郎もそうだったし、その一方で、従来の国粋主義的、神話的な日本主義の潮流が台頭し、紀平正美、鹿子木員信、蓑田胸喜といった人々が台頭してきたと語っている。そういえば、「現代哲学叢書」の推薦者として紀平や鹿子木とともに名を連ねていたのが田辺元だったことは、そうした三〇年代状況を象徴しているのだろう。それに国民精神文化研究所が設立されたのは昭和七年、すなわち三二年のことで、古在の指摘とパラレルだったことになる。

 先に挙げた「国民精神文化類輯」のラインナップは昭和十一年七月現在のものなので、国民精神文化研究所は十八年まで存続していたことを考えれば、さらに多くの著者たちが召喚され、輯が重ねられ、膨大な部数が外地も含めて流通販売されたと思われる。しかし品川区神大崎長者丸にあった国民精神文化研究所と研究会の全貌とそのメンバー、出版物の全容とその影響はまだ明らかにされておらず、これもまた出版史の溶暗の中へと閉じ込められたままで終わってしまうのかもしれない。


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