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古本夜話714 東洋図書と藤沢親雄『全体主義と皇道』

 本連載709の「国民精神文化類輯」の4『自由主義の批判』の著者は藤沢親雄だった。藤沢については本連載113、124などで、そのプロフィルを紹介しておいたが、その後昭和十五年に東洋図書から刊行された『全体主義と皇道』を入手している。その藤沢の肩書は文部省国民精神文化研究所、大東文化学院教授となっている。

 まず版元の東洋図書だが、巻末の五百点を超え、四〇ページにも及ぶ出版目録は高等師範に籍を置く著者が多く、この版元がそうした著者と教科書をメインとするものだとわかる。そのような出版物であるゆえに、こちらも馴染みがなかったけれど、念のために『出版人物事典』を確認してみると、奥付の発行者の立項が見出せたので、それを引いてみる。
出版人物事典

 【永田與三郎 ながた・よさぶろう】一八八八~一九四二(明治二一~昭和一七)東洋図書創業者。愛知県生れ。名古屋師範卒。小学校教諭、校長、岡山師範、奈良女高師に奉職後、出版業を目ざし、一九二三年(大正一二)大阪市南区安堂寺町に東洋図書株式合資会社を創業、教育図書の出版をはじめた。さらに、中学・高校・専門学校教科書出版にも進出、『裁縫精義』など好評を博し、同社の看板となった。二九年(昭和四)東京に進出、売文堂発行の『児童教育』を譲り受けて発行、東京文理大の機関誌『構成教育』も発行した。中等教科書協会理事、東京出版協会理事もつとめた。死後、弟の永田耕作(明治三三~昭和五九)があとを継ぎ、大阪出版業界の中心人物として活躍した。

 この立項によって、文部省国民精神文化研究所に籍を置いていた藤沢と東洋図書の結びつきが了解される。

 藤沢は『全体主義と皇道』の昭和十四年十一月付の「序言」において、支那事変の解決に当たって、「皇道及び国体の宇宙生命的秘儀」を実践し、「聖戦を遂行して東亜大陸の統一皇化を実現しなければならない」と述べた後に、次のように続けている。

 最近欧州に台頭せる新興諸国家の全体主義世界観は、明らかに我が皇国の国体を模範として構想し且つ実践に移したものであつて、この厳然たる事実は神ながらの皇道原理が「之ヲ中外ニ施シテ悖ラサル」絶対的原理であることを雄弁に物語つてゐる。我々はこの信念に基き、いよいよ「漂へるくに」の凶相を呈せんとするええ会を修理固成し、全人類をして皆その所を得せしむべく、積極的なる思想聖戦を推進せしめて行かねばならぬ。これが八紘一宇世界皇化の使命である。

 それからこの「神ながらの皇道原理」史観をベースとして、欧米における自由主義文明の崩壊、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、スペインの国民運動、支那の新民主義の概念がたどられ、俯瞰されていく。そして当然のことながら、「八紘一宇世界皇化の使命」を果たすべく、それらは皇道へと収斂していく。「八紘一宇」とは世界をひとつの家族とする大和民族の大理想の現代的実現に他ならない。欧米の民主主義国家は「覇道的金権的政治体制」、ソ連共産主義国家はさらに堕落して出現した形態だが、日本は「すめらみくにの根本原理」に基づく「世界最高の道義国家」であり、それが現在において「東亜新秩序の建設」へ向かっていることになる。

 かくして「皇道」のもとにある日本人も次のように規定される。

 天皇が神ながらに即ち万世一系に承継せられる宇宙元生命より派生せる分霊存在が自分等であると言ふ深き自覚をもつ日本臣民は、各々其の特色を自由に発揮しつゝ、元霊的御存在たる天皇に帰一還元して、「天業」を扶翼せんとする生命的衝動に駆られざるを得ない。(中略)かくて天皇が道の陽作用を表現せられてゐるのに対して、臣民は道の陰作用を表現してゐる。これが「臣道」即ち臣民の行ふべき道である。

 これが「皇道」における天皇と日本人の関係ということになる。それによって成立する国体が「普遍的真理の顕現体」であり、まさに「八紘一宇」とはこの「皇道の世界光被」を意味し、それが「新しき政治学と国家学と法律」を生み出すことになるのだ。

 本連載709の鹿子木員信『すめら あじあ』や同710の河野省三『すめら せかい』よりも、藤沢の「皇道」はその軌跡に由来する乱反射を帯びているように思われる。これは本連載113でも既述しているけれど、藤澤は東大時代に吉野作造門下で新人会に属し、農商務省に入り、国際連盟に赴いている。その後ベルリン大学で哲学博士号を取得し、九大教授を経て、国民精神文化研究所へと至っている。それらの動向とパラレルに日本民族の出自はムー大陸にあるとし、本連載113で挙げたゼームス・チャーチワード、仲木貞一訳『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房、昭和十七年)の出版も仕掛けているし、また同114のローゼンベルク『二十世紀の神話』の影響を受け、それが「国体の宇宙生命的秘儀」といったタームにも表出しているのだろう。 またユダヤ人問題の関わりから、「漂へるくに」なる言葉も使われていると推測される。

 藤沢の軌跡をたどってみると、「皇道」との出会いによって、民本主義、左翼から国際連盟に至るプロセスがすべて転回され、大東亜戦争下の倒錯的言説の磁場において、特異なイデオローグの一人であったことになろう。

 ちなみに藤沢の名前は意外なところにも見出せる。ヴィルヘルム・ライヒの『ファシズムの大衆心理』(平田武靖訳、せりか書房)において、ライヒは『ニューヨーク・タイムズ』の日本に関する帝国主義的イデオロギーの紹介を引用している。そこに藤沢が出てくるのだ。そこで書名は明記されていないけれど、「彼の小冊子はアドルフ・ヒトラーの『わが闘争』の日本版」と呼ばれている。この小冊子は藤沢のどの著書に当たるのだろうか。
ファシズムの大衆心理


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