出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話716 高嶋辰彦『皇戦』

 藤沢親雄、スメラ学塾、「ナチス叢書」と続けてきたので、ここで本連載130でその名前を挙げている高嶋辰彦のことも書いておきたい。

 その前に昭和二十六年刊行の木下半治編『現代ナショナリズム辞典』(学生文庫、酣燈社)の中に、高嶋の名前も見えるスメラ学塾の立項を見出したので、紹介しておく。管見の限り、辞典類でのスメラ学塾の立項はここでしか目にしていないからだ。

スメラ学塾 末次信正が塾頭で、小島威彦(国民精神文化研究所)、仲小路彰らが中心。昭和十五年(一九四〇)五月に設立され、「日本世界史の建設的闘士の育成」を目的として。伏見猛彌、志田延義、大島浩、奥村喜和男、大佐高島(ママ)辰彦、大佐平出秀夫らが関係した。

 ちなみに『同辞典』には塾頭の末次信正も立項されている。それによれば、元海軍大将、連合艦隊司令長官、第一次近衛内閣内務大臣で、東亜建設国民連盟会長、大政翼賛会中央協力会議々長なども務め、極右派の巨頭の一人とされている。しかし高嶋は既述しておいたように、「陸軍抜群の俊才」でドイツ駐在武官だったことからすれば、末次ではなく、立項にも見え、前回もふれた大島浩の近傍にいたと考えられる。また昭和十三年頃には高嶋は参謀本部課長と国防研究室々長を兼ね、国民精神文化研究所のメンバーとも交流し、皇戦会をも立ち上げていた。立項に上がっている伏見猛彌や志田延義も国民精神文化研究所員だった。

 その昭和十三年に高嶋の『皇戦』が上梓されている。これは菊判函入り、上製二四六ページ、参謀本部部員/陸軍歩兵中佐高嶋辰彦著としての刊行で、サブタイトルとして「皇道総力戦/世界維新理念」が付され、奥付の版元と発行人は戦争文化研究所、清水宣雄とある。発売所は世界創造社で、これも前回ふれておいたように、雑誌『戦争文化』の発売所とされ、仲小路彰と小島威彦が立ち上げていたけれど、清水が社長を務めていた。清水は京大哲学科出身で、仲小路彰たちと同門であり、「ナチス叢書」の『ナチスのユダヤ政策』の著者だった。

 高嶋の『皇戦』はそのようなバックヤードを有して出版されたことになる。彼はその「序」において、本書の目的は「皇道に即する我が総力戦と、之れに依る世界維新に関する理念の検討」であり、「筆者がさゝやかなる軍務の体験に基き、敢て断片的なる素描を公にし、『皇戦』といふ大旆を掲げて、諸賢論駁の渦中に一石を投じる所以」だとしている。ここにサブタイトルの由来が求められるとわかる。

 その補足として、十三に及ぶ「用語解説」も置かれているので、「皇戦」を引けば、皇道に即する総力戦をさし、「すめらいくさ」「おほみいくさ」「くろうせん」と訓み、「聖戦」を意味する。また「皇道世界維新」とはこれも皇道に即する「世界新秩序の建設即ち八紘一宇実現の営み」とされる。それを貫徹するのが従来の武力戦に対し、「武戦」=武力、「政戦」=政治と外交、「経戦」=経済、「心戦」=思想、「学戦」=学術と科学などの有機的総合力による「総力戦」が提起されている。つまり「皇戦」とは皇道の名の下に、軍事、政治、経済、思想、学術、科学が総動員され、「世界新秩序の建設」=「八紘一宇実現」をめざすものなのだ。

 そのような視座から世界史や支那事変、日本や世界の情勢が考察され、総力戦の世界的趨向と本質が問われ、それから具体的な日本の総力戦のための皇戦機構の建設と対外国策へと結びつけられていく。しかしそのような論述の流れの中にあって、高嶋の特異な「俊才」をうかがわせるのは、総力戦が地政学的にまずは「東亜協同体の道義的建設」に向けられていること、英国が「本質に於いて最も洗練せられたる全体主義」にして「実に徹底した国粋主義の国」、ソ連邦を「必ず崩壊すべき悲劇的な存在」と見なしていること、ドイツとイタリアに対する「両国民共熱し易く、又冷め易き特性」への冷静な注視、ユダヤ陰謀論と日米必戦論を批判していることなどに顕著である。本連載でも大東亜戦争下のイデオローグたちの言説を見てきたけれど、このような高嶋の「不思議な俊才」ぶりは彼らと一線を画すものだといっていいだろう。

 そしてまた一方で、フランス革命以後の国民軍隊の出現による国民戦争への言及がある。すなわち国民国家の成立に依る軍隊の出現を通じて、国家と国民は連繋し、国家総力戦の過程に入り、それが第一次世界大戦として戦争の高次化にいたった。これはクラウゼヴィッツの『戦争論』(篠田英雄、岩波文庫)の延長線上にあると見なせるが、それに対し、高嶋はマルキシズムとソ連邦の戦争を置く。そして「在来の西欧流が戦争を外交の継続と見、武力を主と頼み、統帥と政治の相互侵犯を避け」ていたのに、ソ連邦は「戦争を内政の表現」「社会関係の一種」と考え、「戦争を平時に迄延長し、敵中に味方を求めて之れが内部崩壊を策するのがその戦争方式の要点」だと見なす。

戦争論

 この両者に対し、「皇戦」はそれらの「戦争段階を超越した最高次の絶対段階を目標とする」もので、「我が国ごころの絶対愛即ち『まこと』」に基づく。そのためには「阿片の如き西洋学を日本及東洋より一掃し」、「真正日本学」を確立しなければならないし、それが「我国知識人に課せられたる世界史的使命である。然らば知識人こそ皇戦戦線における最高の戦士である」という宣言に至る。

 此かる皇戦の目標は、一見現実の彼方にある空想の様に見えるかも知れぬ。然るに此の理念が、我が国に於ては肇国の大精神として儼として実在し、有史以来数千年の歴史の実践の上にもその儘顕現されてゐるのである。実に不思議の天賦と謂はざるを得ぬ。

 これこそがスメラ学塾に集まった知識人たちのエトスに他ならないと思われる。それゆえに、高嶋はスメラ学塾の仲小路彰と並ぶ突出した皇戦イデオローグだったのではないだろうか。

 『皇戦』の巻末ページに、やはり世界創造社発売として、仲小路彰『世界戦争論』、小島威彦『哲学的世界建設』、清水宣雄『アジア宣戦』が掲載されているが、これらの三著は高嶋の『皇戦』とコレスポンダンスしているにちがいない。これらもいずれ読むことができるだろうか。

 後に仲小路彰の『世界戦争論』は国書刊行会の復刻を見ている。
世界戦争論


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら   

odamitsuo.hatenablog.com