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古本夜話720 大日本回教協会、照文閣『回教民族運動史』、川原久仁於

 前回、善隣協会の名前を挙げたが、本連載577の回教圏研究所もここに属していたのである。この回教圏研究所とは異なるかたちで、東京モスクが開堂された昭和十三年に、続いて大日本回教協会も設立され、これは前首相、陸軍大将林銑十郎を会長とし、評議員は頭山満、小笠原長生、真崎甚三郎などで、国策としての日本イスラム関係者が総動員されたという。本連載595の古在由重がそこに勤めていたことを『戦中日記』に記している。このルートでもイスラム関係書が出版されたと思われるが、まだ具体的に確認できていない。それでも一冊だけは入手している。

戦中日記(『戦中日記』、『古在由重著作集』第6巻所収)

 それは陳捷著中山一三訳『回教民族運動史』で、昭和十八年に照文閣からの刊行である。著書、訳書、出版社がいずれも不明という一冊ではあるけれど、本連載577の回教圏研究所編『概観回教圏』を補足するような構成となっている。『回教民族運動史』はトルコを中心とする回教民族運動史と見なしていいし、しかも原書は陳捷という、おそらく中国人回教史家によって書かれ、日本において中山一三によって翻訳されたことになる。
(『概観回教圏』) f:id:OdaMitsuo:20171018114501j:plain:h120

 B6判並製、二六二ページで、用紙も粗悪なものであるけれど、サウジアラビアのイブン・サウド王やメッカなどの口絵写真が四ページにわたって掲載されている。その内容はまず回教国とその民族の分布から始まり、先述したように、新旧トルコにおける回教の社会状況と復興運動が語られ、続いてその周辺国やアジア各地、アフリカの回教民族運動にも及んでいく。そして回教民族がそれぞれに解放運動を続けてきたが、自由を獲得したのはトルコだけで、その大部分は現在も白人帝国主義勢力、すなわち大英帝国の圧制下にある。しかし第一次世界大戦を契機として、回教民族の覚醒は急激に進展しているので、時機が至れば、彼らは立ち上がるであろうとの結論にて、『回教民族運動史』は閉じられている。

 その内容はひとまず置き、そのプロフィルがよくつかめないのだが、出版社からトレースしてみる。照文閣は京橋区銀座西八丁目にあり、発行者は八幡兼松となっている巻末ページの既刊書として、井上雅二『亜細亜中原の風雲を望んで』、鈴木善一『興亜運動と頭山満翁』、永井柳太郎『世界に先駆する日本』などが並んでいるけれど、とりたててイスラム色は感じられない。

 だが中山の「訳序」を読んでみると、原書は八年前に上海で出されたもので、回教問題に関して、これほど広範囲にわたって言及されているものは少なく、好個の入門書だと述べられている。この訳出の目的は、大東亜共栄圏の建設がただちに世界新秩序につながり、そこで回教問題は重要であるからだ。なぜならば、「三億を似つて称される世界回教徒は、我々と同じアジア人だ。彼らはアラーの使徒、解放者の再現を待ちつつ、横暴白人の鉄鎖に呻吟してゐる。我々は彼等に『その処を得さしめ』ねばならなぬ」のだ。

 そして最後に「本書の刊行に際して、梶原勝三郎先生、照文閣の川原久仁於先生、並に回教協会の赤澤義人先生の賜つた厚情」への謝辞がしたためられている。また口絵写真も回教協会の提供によることも。ここでこの『回教民族運動史』の翻訳出版が回教協会絡みであるとわかる。それから照文閣の編集長と思しき人物が川原ではないか、それは「本稿が書籍のかたちをとって、現れ得たのは一重に先生の御陰」という言から、推測もつく。

 しかし出版社、編集者、著者、訳者、関係者などに関してわかったのはこれだけで、梶原勝三郎は本連載645、706で言及しているが、赤澤義人は不明で、その他のことはその後も手がかりがつかめなかった。それでもしばらくして、川原は『日本児童文学大事典』にその名前を見出したのである。その立項を引いてみる。

 川原久仁於 かわはら・くにお
 一九〇五(明38)年二月二〇日~八八(昭63)年二月一八日。作家、挿絵画家。本名国雄。北海道赤平生まれ。日本美術学校日本画科卒。『明るい子供部隊』(四二、鶴書房)『三ちゃん日記』(四八、国民図書刊行会)など溌剌とした子どもを描いた作品があり、明るく生き生きした少女を描いて四一年「少女倶楽部」「少女の友」の挿絵に登場、(中略)ほかに一般向けユーモア小説がある。

 ここには川原という戦前は児童文学者、及び少女雑誌の挿絵画家だった人物が、どのようにして大日本回教協会と関係があった照文閣に在籍し、編集者を務めていたのかは何もうかがえない。ひょっとすると、川原もまた昭和十年代の日本のイスラム運動の近傍にいたのかもしれない。

 ずっと本連載でたどってきたように、大東亜戦争下における出版物の全貌がつかめないのは、鶴見俊輔が『転向』(平凡社)の中でもらした名セリフともいうべき、「翼賛運動は、ぼう大な量の紙くずとなるべき文献をうんだ」ことにも由来している。また「紙くず」であるゆえに、敗戦後に出版社によって焼却されたことにもよっている。それらに加えて、『回教民族運動史』に象徴されるように、出版社、編集者、著者、訳者などが不明であることも相乗している。もっとも戦時下での出版物というものは、そのような宿命を必然的に帯びてしまっているのかもしれないのだが。

転向


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