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古本夜話730 山本実彦『蒙古』とハルヴァ『シャマニズム』

 昭和十年に山本実彦の『蒙古』が改造社から刊行されている。彼は近代出版業界の立役者というべき人物だが、改造社も消滅して半世紀以上経つので、その立項を鈴木徹造の『出版人物事典』から引いておこう。
出版人物事典

 [山本実彦 やまもと・さねひこ]一八八五~一九五二(明治一八~昭和二七)改造社創業者。鹿児島県生れ。日大卒業後新聞記者となり、やまと新聞ロンドン特派員、東京毎日新聞社社長を経て、一九一九年(大正八)改造社を創業、『改造』を創刊。さらに、二二年(大正一一)『女性改造』、三三年(昭和八)『文芸』などを創刊。また二〇年、賀川豊彦の『死線を越えて』を処女出版、ベストセラーとなる。二六年(大正一五)一一月、『現代日本文学全集』の予約募集を発表、画期的成功を収め、円本の先駆となった。四四年(昭和一九)情報局の命令で自発的解散を強いられ、六月号で『改造』を休刊。戦後四六年(昭和二一)復刊。政界にも打って出たが公職追放に指定され、解除後、復帰したが、経営は順調でなく、死後、労組問題もからみ、五五年(昭和三〇)、『改造』は社とともに姿を消した。『小閑集』(改造社)の著書がある。

 ここには山本がジャーナリストから出版者となり、そのかたわらで政治にも関心を寄せていたことが見てとれるし、それゆえに『改造』創刊や、他の出版社に先駆けての円本『現代日本文学全集』の画期的成功ももたらされたと判断できよう。
現代日本文学全集

 その山本は昭和十年六月に蒙古などの視察を思い立ち、四十五日間の旅を続け、それを一冊にまとめたのが『蒙古』である。彼は四年前にも同様の旅による『満・鮮』を上梓していて、『蒙古』はその続篇だとも述べている。

 山本はジャーナリストとして、『改造』の出版者として、このような視察旅行を試みていたのだろう。昭和十年代の満洲や蒙古をめぐる時代状況と、ジャーナリズムや出版社は密接に結びつき、そのような視察にしても便宜がはかられていたはずだし、それは『蒙古』にも明らかである。それに『改造』編集長の水島治男も『改造社の時代 戦中編』(図書出版社)に「蒙彊紀行」なる一章を当て、昭和十二年に蒙彊連合委員会から旅費と視察費全額負担での招待を受け、山本の勧めで張家口に向かい、それを『改造』に発表したことが記されている。これは改造社だけでなく、多くの出版社にも誘いがあったと推測できよう。
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 それはともかく、山本の『蒙古』に戻ると、序文的な「蒙古の朝」という短い一節から始まり、本連載の関連から挙げると、張家口や内蒙古自治政府、満洲と接する外蒙古とソ連、成吉思汗などにも及んでいる。しかもいずれも写真が添えられ、山本のレポートは文章を補うかたちになっている。その中で最も印象深かったのは、「大興安嶺とオロチヨン」の章に収録された「シャーマンの巫女」と題された一枚の写真である。山本は大興安嶺を越え、その山脈に住む「現代にのこされた自然児」オロチヨン民族に思いをはせる。そしてオロチヨン民族と接触した蒙古在住の日本人から話を聞く。それは馬車で三十日間にわたる過酷な野営旅で、ようやくオロチヨン部落に至る。この語り手はSと匿名で記されていることからすれば、おそらく特務機関の関係者であろう。それからオロチヨン部落の写真や風葬の光景に続いて、「シャーマンの巫女」の写真が示され、次のようなコメントが付されている。

 Sたちは丁度お正月の前の晩、年越しのときに行つたのだつたが、たいへん賑かにはやし立てて変な舞さへあつた。なんでもシヤーマン教による神秘的な舞踏で、舞女は廿二三の既婚者で、大きな銅羅を背中に三個、左右両膝に三列づつさげ、裾には鈴のついた衣裳を着け、左手に直径一尺五寸ばかりの太鼓を、木片で烈しく打たたくので、とてもやかましいものだつた。巫女にたよることは単に視察日の日ばかりでなく、病気の時も一切を彼(ママ)の祈祷に信頼するのだ。

 これらはSが語ったことのリライトと考えていいし、写真に至っては、山本が日本に帰ってから調達したものではないだろうか。それはシャーマンの写真と説明が合致していなことにも表われている。しかしそれでもこのシャーマンの写真はウノ・ハルヴァの『シャマニズム』(田中克彦訳、三省堂、昭和四十六年)の第二十一章「シャマン」に示された写真や図と相似するもので、オロチヨン族と断定はできないにしても、ツングース諸民族のシャマンと判断していい
シャマニズム

 『シャマニズム』には「アルタイ系諸民族の世界像」とサブタイトルが付され、シベリア諸民族の原始的な霊魂崇拝に基づく世界観がシャマニズム、それを担うのがシャマンであることを、多くの実例を挙げて示し、シャマニズムなるタームを広範に定着させた名著といえよう。訳者の田中はこれを「シベリアの金枝篇」と呼んでいるし、ミルチャ・エリアーデの『シャーマニズム』(堀一郎訳、ちくま学芸文庫)もそのベースをハルヴァに負うているのである。
シャーマニズム

 また本連載517でもふれていたように、日本のルーツとしてのウラル・アルタイ語族の仮説を強化するために、シャマニズムに関する注視がなされ、それが日本の神道天皇制の儀式へとリンクしていくという構図のもとに、日本人によってシャマニズムに関する報告も出現していた。山本が『蒙古』で紹介しているSの調査に基づく実話なども、その事実を告げていよう。それにまたしても生活社から昭和十八年にニオラッツェの『シベリア諸民族のシャーマン教』(牧野弘一訳)が出されているのである。
シベリア諸民族のシャーマン教

 またその後、このフィンランドの碩学の著書『シャマニズム』は平凡社の東洋文庫に収録に至っている。

シャマニズム


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