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古本夜話619 林芙美子『北岸部隊』

これは小説でないけれど、前回の日比野士朗『呉淞クリーク』と刊行を同じくして、やはり昭和十四年に中央公論社から林芙美子『北岸部隊』が出版されている。
呉淞クリーク 北岸部隊

昭和十三年八月の支那事変における漢口攻略戦に伴い、林は従軍ペン部隊の一員として上海に派遣され、北岸部隊とともに漢口に至る。その九月十九人から十月二十八日にかけての四十日間の日記がこの『北岸部隊』である。この日記形式はその前年に発表された火野葦平『麦と兵隊』のかたちを踏襲している。それは火野の場合、「陣中小説」と称せられたが、林にしてみれば、そのままの従軍日記として報告せざるをえない状況の中にあったと思われる。そのようにして『北岸部隊』のプレリュードともいえる『戦線』朝日新聞社)も十三年末に刊行している。
麦と兵隊 戦線(中公文庫版)

それと同時に、この『北岸部隊』を従軍日記として補足し、印象づけているのは表紙写真及び十六枚に及ぶ口絵写真である。とりわけ表紙写真には帆船と河を背景にして、はしけらしき舟に乗っている林の姿が掲載されている。これは『林芙美子』(「日本文学アルバム」20、筑摩書房)などで確認すると、長江武穴での写真とされる。また隣には一人の男の姿も写っていて、これは言及を見出せないけれど、『北岸部隊』に名前が出てくる藤田嗣治だと見て間違いないだろう。先の『林芙美子』の中に、「中支戦線揚子江を九江へ下る輸送船(左藤田嗣治)」というキャプションが付された写真があり、そこに映っている藤田と表紙写真の姿はまったく重なるものだからだ。『北岸部隊』にも九江に出て武穴に向かうことが記されているので、その際に藤田と同行したのであろう。彼も従軍画家として派遣されていたのである。

林は九江で佐藤春夫杉山平助吉屋信子菊池寛小島政二郎吉川英治、浜本浩たちに会っている。林と異なり、彼らは海軍から派遣されてきたのである。『日本全史』講談社)の昭和十三年のところに彼らの従軍出発写真などを見ることができる。おそらく当時の新聞や雑誌を通じて広範に伝播したもので、従軍アイコンとしての文学者たちの姿が伝わってくる。その他にも、林は深田久彌、詩人の月原橙一郎、石川達三立野信之、片岡鉄平、西条八十、滝井孝作などとも会っている。
日本全史

石川は昭和十二年に中央公論社特派員として、南京攻囲戦に従軍し、『中央公論』に『生きてゐる兵隊』を発表し、発禁処分を受けたばかりであった。滝井もこの記録を「戦場風景」として残しているが、当時は発表されず、戦後の二十五年になって『群像』に掲載された。なお「戦場風景」は『北岸部隊』と同様に、『昭和戦争文学全集』第二巻『生きてゐる兵隊』同三巻に収録されている。また藤田のほうも、この漢口攻略にまつわる絵を残しているのだろうか。

生きている兵隊 中国への進撃(『昭和戦争文学全集』第二巻、『中国への進撃』)中国への進撃(第三巻、『果てしなき中国戦線』)

林は揚子江北岸部隊と行動をともにする。これは九州部隊であるので、彼女は生れ故郷の兵隊と一緒にいたいと思ったのだ。それは彼女の撮った口絵写真にも表われ、北岸部隊と兵隊と林を中心にして構成されているけれど、そこは戦場や戦闘の風景は映っていない。それは林が『北岸部隊』の中で描いている日常の生活を彷彿とさせる。

しかし写真にも見えている部隊のトラックで、広済から漢口へと近づくと、支那兵士たちの死体を目撃し、野砲の音や散弾の破裂音を聞くようになる。その中をさらに進んでいくと、まさに戦場そのものの光景を呈してくる。漢口まで二十里の地点である。

 夜、七時頃新洲城外へ着く。敵も味方も入りみだれの状態で、暗い城内ではさかんに銃声の音がしてゐた。時々流弾がひゆうひゆう飛んで来る。私たちはすぐ棉畑のなかへ降りてアンテナを張る。あつちもこつちも、支那兵の死骸だらけだ。今日はこの死骸達と同居で一夜をあかすことになる。(中略)棉畑では、すぐ篝火のやうに、炎々と焚火が燃え始め、炎が、あつちでもこつちでも、夜討ちのやうに美しく火の粉を散らしてゐる。

火野が『麦と兵隊』で描いたのはどこまでも続く一面の麦畑だったが、漢口周辺では棉畑とうことになり、その「見渡すかぎりの一面の棉畑」で部隊は露営するのだ。そして林は書きつけている。

 私は思ふのだ。
 内地へ再び戻れることがあつても、私は、この戦場の美しさ、残酷さを本当に書ける自信はないと考へる。残酷であり、また、崇高であり、高慢である、この戦場の物語を、実践に参加した兵隊のやうには書けないのだ。だけど、そのくせ妙になにか書きつけたい気持は何時も噴きあがり、私の頭の中はパリパリと音がしそうなのだ。

ここに従軍小説や陣中小説、従軍ルポルタージュにまつわる共通のトーンがある。だがこのような感慨は敗戦によって深化し、突き抜ける地平へと向かったように思える。それは戦後に書かれた『浮雲』に表出している。ちなみに『浮雲』本連載608の『風雪』に連載され、昭和二十六年に同607の六興出版社から刊行されている。
浮雲

これこそは敗戦小説そのものであり、冒頭においてヒロインのゆき子は、敗戦によって仏印から日本へ帰還してきた女として登場してくる。それは従軍を終え、内地へと戻ってきた林の姿に重なるものでもある。そして最後にゆき子は屋久島へと逃れ、熱病で死んでいく。彼女のその生涯こそは、もうひとつの「戦場の物語」に他ならないことを告げているかのようだ。

それとともに成瀬己喜男の映画『浮雲』における屋久島の雨のシーンが思い出されるが、『北岸部隊』も「暗い夜明けだ。雨が降つている」から始まり、雨の記述に満ちている。これは単にこの時期における中国が雨期だったことによっているのだろうか。
浮雲

それとともにもうひとつの映画が思い出される。それは三池崇史監督、哀川翔主演『極道黒社会/RAINY DOG』である。この映画は台湾を舞台とし、タイトルに示されているように、いつも雨が振っているシーンに覆われていた。これも雨期だったからであろうか。それともかつて植民地と戦場の記憶によってもたらされたものであるのだろうか。
極道黒社会/RAINY DOG

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