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古本夜話632 新潮社『社会問題講座』、木村毅、大宅壮一

新潮社は円本の『世界文学全集』に先駆けて、大正十五年に『社会問題講座』全十三巻の刊行を始めている。『新潮社七十年』の中で、「これは予約物としては、円本の現われるまで、最大成功の記録保持者だった」と語られている。つまり大成功を収めたと述べられているのである。

これには前史があり、本連載537538でふれてきたように、関東大震災を契機とする新潮社と高畠素之の関係から、大正十四年に高畠の『社会問題辞典』と訳書『資本論』を出版したことに由来している。佐藤義亮「出版おもひ出話」(『新潮社四十年』所収)によれば、ある朝、「社会問題講座」という「六字」が閃いたことによるとされているが、高畠の『社会問題辞典』のタイトルを抜きにしては成立しなかったであろうし、そのエピソードは高畠との関係にふれた後に語られているからだ。

佐藤はその企画に関して、木村毅に相談する。それを木村の『私の文学回顧録』(青蛙房)に見てみる。佐藤の依頼を受け、木村は新居格とともにプランを立て、執筆者を決め、そのリストを作成することになる。それは大正十三年に安部磯雄を会長として設立された日本フェビアン協会の会員を中心とするもので、木村、新居、それに加えて大宅壮一もその一人だった。そうした経緯と事情から大宅が『社会問題講座』の編集に携わるのである。彼の仕事はまず東大新人会、京都学派、大原社会問題研究所のメンバーの参加を乞うことだった。
そして木村は書いている。

 こうして陣客がそろうたので、いよいよ新聞広告をすると、それこそ全出版界、アッといって腰をぬかした形だった。文芸出版一辺倒だった新潮社が、思いも掛けず、社会問題畑に革靴を踏み入れ、しかも河上をのぞいた全左翼を網羅している。経験のある出版界の老舗でも、いや老舗であればあるほど、どこかと特別の縁があって、これほど全面的に網をうつことは出来ない。
 それは新潮社を建て直したと言われるほどの大成功をおさめた。

大宅壮一も『ジャーナリズム講話』(白揚社、昭和十年、蒼洋社版『大宅壮一全集』第三巻所収)の「序」で、最初にジャーナリズムに首を突っこんだのはこの『社会問題講座』だったと述べ、「今から考えると大学を出るか出ないかの小僧っ子に、編集の全責任を負わせた新潮社も無謀だったが、幸いにして予想外の成績で、当時の予約出版界のレコードを破」ったと記している。
大宅壮一全集

その『社会問題講座』が一冊だけ手元にあり、それは大正十五年九月発行の第七巻で、確かに奥付の「編輯兼発行者」は大宅壮一となっている。菊判並製、四〇〇ページ余に及び、そこには「講座」論文として、大内兵衛の「財政学概論」に始まる十六名、十六本が並び、『社会問題講座』が雑誌形式による一種の講義論だとわかる。高畠の『社会問題辞典』を範として、そこに収録されている大項目を啓蒙的に改めたのが『社会問題講座』だといっていいように思われる。

佐藤が『社会問題講座』を構想したのは時代もあったけれど、新潮社の初期に大日本国民中学校の講義録の編輯、及び大日本文章学会(学院)として『文章講義録』や『近代文学講義録』なども手がけたことが想起されたにちがいない。そしてこの『社会問題講座』の成功に促され、『日本文学講座』『世界文学講座』へと続いていったのであろう。

美作太郎も『戦前戦中を歩む』の中で、大学時代に『社会問題講座』の「熱心な読者」だったと語り、日本評論社に入って編集修業のスタートとなった『社会経済体系』も、その影響を受けていたことに触れている。

 この『講座』は、まだジャーナリズムの本流に乗り出していなかった大宅壮一が編集にたずさわり、その執筆者の顔触れは、野呂栄太郎、野坂鉄(野坂参三)から高畠素之、赤松克麿までを網羅していて、理論的には一貫しない人選であったが、当時の社会主義潮流をおおまかに結集していた点で、一種の「統一戦線」の観を呈しているような趣きがあり、それなりに啓蒙的役割をも果たしていたように思われる。

そして『社会問題講座』が左派的ジャーナリズムとして社会問題や社会運動を中心にしていたことに対し、『社会経済体系』は自由主義的編集で、広く社会思想を取りこんだものだったとも述べている。

その一方で、昭和三年から「岩波講座」として本連載624でもふれた『世界思潮』、それに続いて『物理学及び化学』『生物学』なども始まっていく。もちろん『社会問題講座』に先駆ける企画出版は講義録などに類するかたち、もしくはシリーズとして出されていたと思われるが、新潮社の『社会問題講座』の成功は、全集類と同様に、予約出版としての「講座物」の刊行を推進させたと考えられる。それはまた全国各地での販売プロパガンダとしての講座会を伴っていたようだし、それも円本と同じ戦略であった。そしてそれは二十世紀のひとつの出版形式であり続けたのである。


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