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古本夜話636 「国際最鋭文学叢書」とシャルラー『祖国のない仲間』

前回、内外社の出版物に関して、取り上げられなかったシリーズがあるので、それも挙げておきたい。それは「国際最鋭文学叢書」で、これま同様に取り上げられていないように思われるからだ。まずはラインナップを示す。

 1 イリヤ・エレンブルグ、高田保訳 『自動車の一生』
 2 クルト・クレエベル、藤澤桓夫訳 『航海一週間』
 3 エフ・パンフエロフ、武田麟太郎訳 『貧農組合』
 4 アダム・シャルラー、末吉寛訳 『祖国のない仲間』
 5 ヤジエンスキー、佐々木孝丸訳 『巴里を梵く』

これは『綜合ヂャーナリズム講座』第九巻の巻末の「内外社出版目録より」から抽出したものだが、そこには次のような文言も付されている。

 国際最鋭文学叢書は、最も真面目な小説の出版である。本叢書は、今日、世界的に問題となつた小説を、ブルジョワ文学、プロレタリア文学を問わず、編輯して行くことを目的としてゐる。既刊四篇の国際的価値は百パーセントだ。いずれも今日まで既に版を重ねること四回乃至五回を越えんとしてゐる。最新刊の「祖国のない仲間」は、戦争に参加した労働者の見た「西部戦線」である。初版は売り尽し、目下再版中。

ここにもはやり本連載603でふれた中央公論社の『西部戦線異状なし』のベストセラー化の余燼を見ることができよう。ちなみに付け加えておけば、「近刊」とある『巴里を梵く』は刊行されなかったと思われる。著者のヤジエンスキーはポーランド出身の未来派詩人だったが、パリに亡命しフランス共産党に加わり、長編小説『パリを焼く』を書いた。これはパリがペストに襲われる中で、ついにフランス社会主義共和国が生まれるという近未来小説で、ベストセラーとなった。しかし『パリを焼く』はフランス政府の怒りを買い、ソ連へと亡命せざるをえなかった。だがそのソ連でもスパイの汚名を着せられ、収容所送りとなり、病死している。

『パリを焼く』の出版は一九二八年=昭和三年であり、その翌年には日本でも、小林多喜二『蟹工船』、徳永直『太陽のない街』などのプロレタリア小説の出現を見ているし、内外社「国際最鋭文学叢書」の企画も、そのようなインターナショナル状況において提出されたのであろう。訳者として佐々木孝丸が選ばれているのは、これも本連載248でふれておいたように、彼がナップに属し、スタンダールなどの翻訳者だったからだ。また『パリを焼く』は戦後の昭和四十一年に江川卓訳で、集英社版『世界文学全集』31に収録に至っている。  

蟹工船太陽のない街世界文学全集

つい『パリを焼く』に長い言及を施してしまったが、実際に入手しているのは4の『祖国のない仲間』なのである。著者のシャルラーも訳者の末吉もプロフィルは詳らかではないけれど、訳者の「序」によれば、シャルラーはドイツ人金属工で、長きにわたり労働運動に携わってきたとされる。また『祖国のない仲間』は「労働者の書いた最初の戦争小説」で、「世界大戦はドイツのプロレタリアートにとってどんなものだったか?」の「曲飾のない赤裸々な報告」とも述べられている。

『祖国のない仲間』は工場労働者のハンスを主人公とし、一九一四年から一八年にかけての第一次世界大戦下での「西部戦線」などの戦場の状況、プロレタリアートにとっての召集の問題、ドイツ国内の軍需工場、労働者の家庭、女性や子供が置かれた環境をポリフォニックに描いた、まさに「戦争小説」に他ならない。その一方で、ハンスは社会民主党員で、徴兵拒否者と設定され、大戦勃発時における社会民主党の裏切りがその背景となっている。

それまでドイツ社会民主党はヨーロッパ最大の社会主義政党で、帝国主義戦争反対を党是としていたが、政府の戦時公債案に賛成し、一転して戦争支持にまわった。これに抗してリープクネヒトとローザ・ルクセンブルグは社会民主党を脱退し、反戦と国際プロレタリアートによる帝国主義打開を呼びかける「スパルクス団」を結成する。そのために『祖国のない仲間』にはリープクネヒトたちと「スパルクス団」の動向が戦争の実態とともに書きこまれ、シャルラーという著者の位相を浮かび上がらせている。それを象徴するのはクロージングの一節で、それは「カール・リープクネヒトが演説する。/宮殿に赤旗が翻る。」と結ばれることになる。戦争の最期の敗北の予兆の中で、ドイツ中の労働者がゼネストとデモを起こし、ベルリンでも同様のシーンが生じていたのである。

『祖国のない仲間』はここで終わるのだが、その翌年にリープクネヒトとルクセンブルグがベルリンの隠れ家で、政府側の兵士たちによって惨殺される。そしてワイマール憲法が発布され、新しドイツが稼働していくのだが、その時シャルラーはどこにいたのだろうか。


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