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古本夜話641『綜合ヂャーナリズム講座』5

『綜合ヂャーナリズム講座』第五巻からは以下の五編を見てみる。
 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)

 1 中村武羅夫 「文芸雑誌の編輯」
 2 木内高音 「幼年少年少女雑誌の編輯」
 3 原田三夫 「自然科学雑誌の編輯」
 4 島田青峯 「中間読物としての短歌と俳句」
 5 田端忠治 「新聞社の出版事業について」

なおこの巻には宇野史録「出版書肆興亡史」や甘露寺八朗「出版書肆鳥瞰論」も収録されているけれど、前者は拙『書店の近代』、後者で論じられている先進社は本連載365366で取り上げていることもあり、言及を差し控える。
書店の近代

1 の中村武羅夫は本連載178などでふれているように、『新潮』の編集長であり、その「文芸雑誌の編輯」はとどのつまり、『新潮』のことを語っていることになる。まず中村は大量生産の娯楽雑誌や婦人雑誌と特殊な文芸雑誌を分け、その部数から始めている。

 文芸雑誌として、最大限の発行部数は、一万部か、せいぜい一万五千部である。過去、日本の新しい文化が初まつて以来、純文芸雑誌にして、二万部以上の読者を獲得することの出来た雑誌なんか、一つもないと言つても過言ではないだらう。
 雑誌のいい悪いではないのである。編集の上手下手ではないのである。純文芸雑誌の読者は、いつの時代でも限定されてゐるのである。いくらおおくても、二万を超えるやうなことは、ほとんどないと言つていいのである。

そのために『新潮』は経済的に成り立たず、毎月千円から二千円の欠損が生じ、それを新潮社本体が負担していることによって、かろうじて持続しているというのが現実である。またそのことで、『新潮』は「編輯者の『私情』に囚はれ」ず、「決して一党一派に偏することなく、常に天下の『公器』としての職責を全ふして来た」。だがこの発行部数や読者をめぐる問題は現在でも変わっていないどころか、さらに減少しているはずで、『新潮』だけでなく、文芸雑誌そのものの発行すらが困難な出版状況に追いやられている。

2 の木内高音は巻末の「講師略伝」によれば、鈴木三重吉『赤い鳥』の社員として、十年間にわたって童話を発表し、この当時は中央公論社で『婦人公論』編集長を務めていたようだ。そのような経歴ゆえに、「幼年少年少女雑誌の編輯」において、それらの分野を俯瞰し、子供の雑誌の種類は多いけれど、どれもが行き詰まったかたちであるとし、次のように批判し、結論づけている。「結局講談社風の百貨店式幼年少年雑誌が一世をリードして、徒らに付録の夥多を競ひ、オマケの多さに依つて一時目前の喝采を博している。編輯技術から言へば、之は甚だ骨折り甲斐のない現状で子ども雑誌の堕落である」と。

3 の原田三夫は新光社や誠文堂で『科学画報』や『子供の科学』を創刊し、啓蒙科学物の第一人者であるといっていい。それもあって、「自然科学雑誌の編輯」は専門雑誌ではなく、通俗科学雑誌と年少者のための科学雑誌に関して語られている。その理由は雑誌の使命と経営を担い、定期刊行物として成立するのは両者だけだからである。そしてその使命が述べられている。

 通俗科学雑誌の使命は、いふまでもなく科学思想の普及である。わが国の科学が欧米先進国に比して、著しく進んでゐることはいふまでもない。その科学の進歩発達をはかるには先ず一般人をして科学に興味を持たしめ、科学の必要な所以を知らしめなければならぬ。かくてこそ、科学の天才も世に出で、科学者も十分の研究費を得て、科学の進歩発達を見るのである。科学思想の普及はその他に、国民の日常生活を合理ならしめ、職業上において能率を高めひいては国家の経済状態が改善される、のみならず、真の科学を理解し、科学全般の知識を頭に入れることによって健全なる人生観や宗教観を抱かしめ、思想的にも国民の質を改良することができるのである。

こうした科学に対する視座から、どのように編集すれば、その使命を果たし、よく売れるのかが、原稿の収集、挿図、通俗科学記者の資格を通じてのべられていく。なお原田については拙稿「原田三夫の『思い出の七十年』」(『古本探究2』所収)でもふれているが、『ロボット三等兵』などの前谷惟光の父である。
思い出の七十年  古本探究2

4 の島田青峯は国民新聞社に勤め、高浜虚子のもとで文芸欄を担当し、また虚子の『ホトトギス』の編集にも携わり、大正十一年に俳誌『土上』を創刊し、その主幹となっている。島田は「中間読物としての短歌と俳句」で、タイトルどおり雑誌編輯上における中間的読物としての短歌と俳句の役割と使命に関して、具体的に『改造』『キング』『婦人世界』のケースを挙げ、それらの例を論じている。その後で、『アララギ』を始めとする十五の短歌雑誌、『ホトトギス』などの二十五の俳句雑誌などの主宰者と主たる会員を示し、両雑誌の陣営、短歌壇や俳壇の分布略図をレポートしている。1の文芸雑誌とは異なる意味で、部数は少ないにしても、短歌、俳句雑誌がそれなりの勢力であることを示唆してくれる。

4 の田端忠治は東京朝日新聞社の社員であるが、その部署は定かではない。田端は大新聞社の副業として最大なるものが出版業であるとし、東京朝日新聞社、大阪朝日新聞社、大阪毎日新聞社の週刊、月刊十二誌を示し、新聞社出版業の組織、特殊性、出版物の内容など言及している。その中でも一般の出版社と異なるのは販売組織で、書店の他に新聞取次店を持っていること、それが「我国に於ける新聞社出版業の一大特色と云ふべきである」と述べている。

しかしこれは新聞社出版靴の販売上のひとつの大きな強みだけれど、出版物販売機関としての新聞販売店は書店に比べ、販売に不慣れであり、しかもその流通取引は委託ではなく、原則として買切制度によっている。それゆえに配達によって固定読者を有する週刊誌などを除き、販売は不振であり、委託の要望が寄せられている。それに対し、田端は「現在の出版業が等しく返品問題に苦悶する傍ら、新聞社出版業としては、此の対新聞販売店の問題に於いても悩みを持つてゐるわけである」ともらしている。これが新聞社出版業の流通と販売のジレンマであり、その行方がどうなったのかは確認できないが、返品処理の問題からして、買切制度は続いていったと思われる。


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