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古本夜話643『綜合ヂャーナリズム講座』7

『綜合ヂャーナリズム講座』第七巻からは次の四編を紹介してみる。
 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)

1 新居格 「婦人雑誌論」
2 佐藤澄子 「婦人雑誌の編輯と記事のとり方」
3 藤本韶三 「美術雑誌の編輯」
4 出口堅造 「出版屋うちわ話」

1 の「婦人雑誌論」において、新居はまず婦人雑誌の膨大な発行部数とその全盛を述べ、一般雑誌として『主婦の友』『婦女界』『婦人倶楽部』『婦人世界』『婦人画報』『婦人の友』『婦人公論』『婦人サロン』のタイトルを示し次に特殊な婦人雑誌として『女人芸術』『婦人戦線』『婦人運動』『火の鳥』『令女界』『蝋人形』『婦人労働』を挙げている。そしてさらに新居は続けている。

 以上の婦人雑誌の性質とそしてその読者層はどうなつてゐるのか。「主婦の友」「婦女界」「婦人倶楽部」「婦人世界」は極めて一般向(今の世間での)である。それだけに常識的で保守的である。それゆえに読者層は一般家庭的でもあり、のみならず進取的でないプロレタリア婦人をも索引する。それは丁度新派劇や通俗小説や、松竹の日活製作の現代物映画が一般の世間の婦人達を牽くのと同じ工合である。「婦人サロン」はプチ・ブル好みのモダン色調を幾分取り容れ、それだけにブルジョワ的な知的清新さ一味の淡さで含有しやうとしてゐる。「婦人公論」の昔日は知的見識の角度を示して婦人雑誌中で知的水準をぐつと抜いてゐた。従つて知識的婦人の愛好をかちえてゐたが、近年は昔日の態度を根本的にといゝ程抛ち、水準を下げて(定価も下げて)婦人読者の一般性に向ふ新方針をもつて進出したやうだ。それが営業実績の好調を示したとも云はれてゐる。
 「婦人の友」は基督教的精神主義と、自由主義的温雅さとをもつてその特色と成してゐる。
 それに「婦人画報」を加えて、以上のものが所謂一般的な婦人雑誌である。

また特殊婦人雑誌に関するコメントも紹介しているが、これらは要約してみる。長谷川時雨主宰の『女人芸術』は当初女子文芸誌だったけれど、社会情勢ゆえか、コミュニズム女子文芸の傾向を強めている。『婦人戦線』にはアナキズム系の女性が拠り、奥うめをの『婦人運動』は職業婦人を中心とするが、プロレタリア婦人諸問題も扱っている。『令女界』はスゥートな文芸雑誌、西條八十の『蝋人形』は文学女性を読者とする詩の雑誌、『火の鳥』は同人たちを中心とする女性文芸誌である。

ここに昭和五年時における婦人雑誌の世界の分布図とそのコンテンツの一端を見ることができる。さらに新居の婦人雑誌分析は続いていくのだが、この婦人雑誌チャートの紹介だけにとどめよう。

2 の佐藤澄子は大阪の婦女世界社を経て、中央公論社の記者となっていて、「婦人雑誌の編輯と記事のとり方」はそれらの具体的な編輯と記事への言及である。それは広範な実用記事本位の『主婦の友』『婦女界』『婦人倶楽部』『婦人世界』、少なくとも実用記事本位ではない『婦人公論』『婦人サロン』『婦人画報』に分けられ、前者は保守的、後者は進歩的という視点からのもので、実用記事の占めるページ割合の比較も提出されている。そして佐藤はいう。「現代は、『実用記事』万能の婦人雑誌黄金時代を招来したのは偉大な事実である。だが明日は? そこに神秘な謎がある」と。

3 の藤本韶三は葵橋洋画研究所で川端龍子や山本鼎の指導を受け、大正十二年『アトリエ』の創刊に際し、その編輯に携わることになったと紹介されているので、その「美術雑誌の編輯」とは『アトリエ』のことに他ならない。それを抽出してみる。

日本の現在の美術界は美術展覧会を主たる美術行動とする団体によって構成されている。それらは帝国美術院、日本美術院、二科会、春陽会、国画会、構造社、独立美術協会、青龍社からなり、この美術展覧会によって美術が大衆へと接する機縁となり、ほとんどの美術家がこれによって社会への関連を持ち、また交渉も起き、社会的地位を確保する。そのためには美術雑誌の力が必要なのである。

ではその美術雑誌の編輯方針ということになるのだが、それらは美術批評と美術界時事評論、鑑賞資料の役割、研究論文の他に、技術手引きに関する記事、名匠伝や紀行やゴシップなどの興味中心の記事のすべてを包括する必要があり、そのことによって現在の美術雑誌は成立している。また美術批評と美術界時事評論や研究論文だけでは決して存続しえない。そのようにして『アトリエ』も編輯されているし、その範は休刊となってしまったが、「美術雑誌編輯上に一つのエポック」をなした『中央美術』に求められるのである。藤本の論考も美術雑誌の現在を伝えていることになろう。

4 の出口堅造の「出版屋うちわ話」はそのタイトルどおりのもので、出版社の金融が高利貸しによって支えられている事実を暴露している。それは「今、当り屋の講談社が、最初にどんなインチキからくりの下に成長して来たか、又、品川は浅間台に籠居して、一介の山本実彦とその一党がどんなに苦しい台所をやりくりしてゐたか最近不況に陥入つた平凡社の台所がどんな風にして成立つたか」、とりわけ改造社と平凡社における手形問題と借金整理を取り上げている。そしてこの一文は次のように閉じられている。

「単行本にしろ雑誌にしろ、大出版屋の台所は出版で儲けるのぢやなしに、看板=信用と宣伝から来る広告料と、代理部の儲けで帳尻が合うわけだ。それの証拠に、本当に景気のいゝ出版屋を見れば、必ず必要以上の雑誌と代理部を持つている」。つまり代理部とは出版物ではない各種通信販売商品を扱う部署で、それと雑誌広告収入によって出版社は「帳尻」を合わせているといっているのだ。おそらくこの出口は大宅壮一のペンネームだと推測される。


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