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古本夜話656 世界文庫刊行会と松宮春一郎

かなり長きにわたって、世界文庫刊行会と『世界聖典全集』に関して探索を続けているのだが、その全貌と詳細はつかめないままで、すでに二十年近くが過ぎようとしている。それもあって、ここでわかったことだけでもまとめておきたい。

世界聖典全集

世界文庫刊行会は本連載502で既述しておいたように、大正七年にまず『興亡史論』全十二巻を出版することを目的とし、興亡史論刊行会として始まっている。それに続いて同九年にその「姉妹叢書」である『世界聖典全集』前輯全十五巻も出版し、ここで世界聖典全集刊行会を名乗った。そしてこれも同502でふれた『世界国民読本』全十二巻も続いたことで、三種類の世界にちなんだ全集や叢書を出版するに至り、それらを総称する意味で、世界文庫刊行会という出版社名にたどり着いたと思われる。

このような社名変更が可能だったのは、出版社・取次・書店からなる近代出版流通システムに依存するのではなく、読者への予約直販システムによって流通が営まれたことを示している。それを伝えているのは、いずれも「全額前払/毎月前払」と謳われていることである。残念ながら、それらの「内容見本」を入手していないので詳細を挙げられないが、そのように考えて間違いないだろう。

出版社・取次・書店を主流とする予約出版システムの嚆矢としての改造社の円本『現代日本文学全集』の刊行は大正十五年だった。それは世界文庫刊行会が『世界聖典全集』の最終巻を出してから三年後のことで、両者の間には関東大震災が起きていることになる。それに加え、もうひとつの出版状況の変化として、明治末に実業之日本社が『婦人世界』に委託制を導入したことによって、昭和初期には書店数が三千店から一万店へと増加し、読者への予約直販システムが後退し始めたことも作用している。昭和初期円本時代もいきなり出現したものではなく、世界文庫刊行会に見られるように、先行する出版社の読者への予約直販システムを範とし、新聞などの大がかりなプロパガンダを通じて、近代出版流通システムによる大量生産、流通、販売をめざすものへと移行したことを告げていた。その前段階の最後の出版シーンにおいて、『世界聖典全集』は刊行され、完結を見たといっていい。

これらが世界文庫刊行会の流通販売も含めたアウトラインだが、その編輯兼発行者代表者の松宮春一郎については、「松宮春一郎年譜」(神保町系オタオタ日記)(2011.2.13)が公開され、前回の『世界聖典外纂』の「バハイ教」などに付された「学習院学士」以外の事柄に関しても判明している。それによれば、明治八年生まれで、三十二年に学習院大学を卒業し、外交時報社に寄稿したり、電報新聞記者を務めていたようだが、四十四年には杉浦重剛の称好塾の塾友となっている。それが『興亡史論』のような出版企画に繋がっていくように推察されるが、ただやはり大正時代に入ってからのそこに至るプロセスは不明である。

このような松宮の前史に合わせ、前輯に収録されている、大正八年十月付の松宮名による「『世界聖典全集』刊行之趣旨」を引いてみる。

 科学文明の積弊は今に於て極まれり。願ふに健全なる文明は、深奥なる哲学的基礎と、崇高なる宗教的信仰との上に建立せられ、凡ての政治、経済、文芸、道徳、其他百般の社会組織は、亦皆比霊的源泉に汲みて、初めて意義ありと謂ふべし。

ここに現在の「科学文明の積弊」が提起され、それに「霊的源泉」が対比される。そして続けていう。

 大戦乱に伴生せる新思潮は、澎湃として来り、殆んど将に寰宇を挙て汎濫の中に没せんとす。我思想界も亦其の波及を受け、当に渾沌不安の恣態に在り。而かも道に大勢の趨く所、科学文明の歩み漸く揺ぎ、精神文明の輝き既に至り、夜未だ半ばならざるに嶽色の玲瓏たるを見る。吾等は新時代壁頭の象徴、新時代覚醒の暁星として、茲に宇内文献の最大収穫なる世界の諸聖典を現代国語に訳し、普く江潮に提供せんと欲す。

やはりここには、かつてない大量死を生じさせた第一次世界大戦の余波と残響がこめられているのだろう。

さらにもうひとつ加えれば、松宮にあっても身近な死者たちの存在も大きく作用していた。彼が前輯第七巻『耆那教聖典』に付した訳者「故鈴木重信君を憶ふ」に記した言によれば、彼が『世界聖典全集』刊行の意を決したのは、前年の一月に流行性感冒によって妻子を一度に失うという悲惨事に出会ったからで、「こたび世界思想の根幹となつてゐる古聖典を、我学界に移すげくその計画に当つて見ようといふ気になつた」とされる。

そして『世界聖典全集』は大正十二年に完結に至るのだが、その後の松宮はどうなったのだろうか。再び先の「松宮春一郎年譜」をたどってみると、十三年には高楠順次郎主幹の『現代仏教』が創刊され、その編輯同人となり、十五年には本連載615の増田正雄などと、同49313の中山太郎の後援会を作り、その研究を援助しているようだ。だが昭和に入ると、その軌跡はほとんどたどれなくなり、昭和八年六月の死が伝えられている。享年五十九、肩書は中央大学事務部長、新聞の死亡広告の友人総代の一人に中山の名前が見えているという。
世界文庫刊行会の出版物の行方、水野葉舟などとの関係まではたどれなかったが、とりあえず、松宮の死までは追ってみた。


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