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古本夜話666 シュタイナー『三重組織の国家』と浮田和民

やはり『世界聖典外纂』には宇井伯壽による「神智教」も収録されている。宇井は高楠順次郎門下のインド哲学や仏教学の碩学として知られ、三島由紀夫も『暁の寺』を書くに当たって、宇井の全六巻に及ぶ『印度哲学研究』(岩波書店)などを拳々服膺したと伝えられている。それゆえにインド仏教では傍流に位置するシク教、ブラーフマ、サマージ、アーリア・サマージの他に、神智教をも担当することになったと思われる。

とりわけ「神智教」に関しては四ページではあるが、その歴史と特質、主要なメンバーの紹介とインドへの移住、国際的な拡がりにも言及し、簡潔にして見事なチャートを提出しているといえよう。その中には「ペザント夫人と独逸の同会の長シターナー氏との不和の為に二四〇〇人の独逸人会員の脱会あり」との記述も見えている。「このシターナー氏」とはルドルフ・シュタイナーのことである。

シュタイナーはドイツの神秘思想家、ゲーテ研究者として著名な存在であったが、ロンドンの神智学協会の会議に参加したことなどをきっかけにして、神智学協会ドイツ支部事務局長に就任した。ところがペザント夫人たちがインド少年クリシュナムルティをキリストの再来とする、所謂クリシュナムルティ運動を興したことで、先の記述はシュタイナーがそれに反対し、一九一三年に神智学協会を脱退したことをさしている。そしてシュタイナーたちは新たな理念に基づく人智学協会を創立し、ここに人智学運動がスタートした。その中には『仏教』(渡辺照宏、重朗訳、岩波文庫)の著者ベックもいて、彼の著作はシュタイナーと人智学から見られた仏教ということになる。
仏教

シュタイナーの『神智学』(高橋巌訳、イザラ書房)や『アカシャ年代記』(同前、国書刊行会)はすでに出版されていたが、これらの二書は日本ではまだ翻訳されていなかった。しかし『世界聖典外纂』に宇井のこの言及がなされる前年の大正十一年に、シュタイナーの『三重組織の国家』が大日本文明協会から翻訳刊行されていたのである。この翻訳と出版社に関しては、かつて拙稿「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)、後者の「大日本文明協会叢書」については本連載152「草村北星と大日本文明協会」で、その明細も示しているので、必要であれば、それを参照してほしい。
アカシャ年代記 古本探究 (『神智学』)

『三重組織の国家』はギディングスの『責任国家論』(坂本義雄、塩見清訳)とセットになった一冊として、これも坂本清訳による刊行である。坂本は早稲田大学英文科出身で、中表紙はVON RUDOLF STEINER、DER DREIFASHE STAATと記載されているが、英訳The threefold state : the true aspect of the social question からの重訳と見なせよう。「序」は大日本文明協会編輯長の浮田和民が記し、この二書は世界大戦を教訓とし、そのような災禍を繰り返さないために、国家の組織と運用を改造するべきだとの見地に立脚するものだと述べている。そして『三重組織の国家』に言及している。
The threefold state : the true aspect of the social question

三重組織の著者は独逸の思想家ルドルフ・スタイネルといふ人で従来著作甚だ多く知名の士たるは言ふ迄もないが、此の「三重組織の国家」は第十八世紀に於けるモンテスキユーの三権分立と同じく或は将来政治学上の新発見として世に称揚せらるゝ時があるかも知れない名著である。何故なれば是はスタイネル一個の私見に非ずして、或は文名世界共通の大勢に基いた新しい将来の国家組織を呼び起さうとする一個の公案とも言ふべきものだからである。

ただ浮田はスタイネル=シュタイナーが神智学、人智学者であることにはふれておらず、優れた予見的政治思想家として、高い評価を与え、具体的にその構想を挙げている。

 スタイネルの三重組織は国家を三分して各々これを独立させなければ人民の自由は確保されない、而して生活の発展は期す可からずといふのであるから正しく一種の新三権分立と見る可きであらう。即ち人民各自の権利を規定し之を確保するには公平を主義とする政治的国家の組織がなくてはならぬ。是は従来の国家と同じく司法及び国防を専らに管掌するのであるから強制権が必要である。之に反して人間の物質的要求に応ずる制度は経済的国家の管掌すべきものである。是はその問題が経済上の利害得失に関するものであるから強制権を用ふべき性質のものではない。苟くも政治的国家が規定した人と人との公正な関係に恃らない限り是は前々経済上の利害損失を打算して決定すべき問題である。(中略)特に政治的国家も経済的国家もともに人民を教育し人才を要求すること甚だ急であるけれども、此の文化的事業を政治的国家や経済的国家が直接一年でなそうとすることは矛盾の甚だしきものである。教育と云ひ、宗教と云ひ、芸術と云ひ、科学と云ひ、所謂人間の文化的生活は国家の強制や経済上の利害で指導し又は養成さるべ(ママ)ものでない。即ち文化的生活の全局面は政治的国家の干渉から解放され独立して精神的国家をなさなければならない。又た此の政治的国家と経済的国家と精神的国家とが社会本体の中から分化して相互に協力し結合して社会的に一大連邦の如くならなければならない(後略)。

長い引用になってしまったが、この浮田による「序」は『三重組織の国家』の見事な要約にもなっていることが了解されるであろう。そしてスタイネルのいう政治的国家は「平等」の権利、経済的国家は「友愛」の大義、精神的国家は「自由」の理想に基づくもので、これが新しい「三重組織の国家」ということになり、浮田はこれが保守的国家主義者や急進的社会主義者の理想をも体現するものだと述べてもいる。浮田の自由主義的なポジションがシュタイナーに投影され、面目躍如のような「序」、並びに『三重組織の国家』の解説にもなっている。それもあって、本文にはふれなかったが、諒とされたい。


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