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古本夜話668 川辺喜三郎と「フリーメーソンリー」

しばらく続けて世界文庫刊行会の『世界聖典全集』とその別巻ともいうべき『世界聖典外纂』に関してふれてきたが、とりあえず終えるに当たって、少し異なる最後の一片を付け加えておきたい。それは川辺喜三郎の「フリーメーソンリー」についてである。
世界聖典全集

どうして「フリーメーソンリー」が『世界聖典外纂』に収録されるに至ったのかは、高楠順次郎の同巻チャートに他ならない「世界宗教概説」に述べられているように、「世界秘密同盟主義のフリーメースン教」として把握されていたからだろう。高楠はその前章の鈴木貞太郎=大拙による「スエデンボルグ」などと並べて、フリーメースンを「別立宗教主義」と分類し、「その主義の参考書乏しく、この外纂に依て初てこれを知り得る宗教主義」と見なしている。当代の碩学の高楠にしても、フリーメースンに関してはそのような認識下にあったと考えられるが、その背景には日本におけるフリーメースンの動向も見え隠れしていたにちがいない。

吉村正和の『フリーメイソン』(講談社現代新書)によれば、フリーメイソンは明治初期にイギリス軍隊内の「ロッジ」として横浜に上陸している。それとほぼ同時期に日本人として最初にフリーメイソンになったのは、オランダに留学した西周と津田真道であり、帰国後に西は哲学書を著し、「哲学・主観・客観・理性・帰納」といったタームを創案し、津田は法律制定に尽力している。また荒俣宏の『フリーメイソン』(角川oneテーマ21)は明治三十年代に入って、三宅雪嶺が政教社の『日本人』において、初めてフリーメイソンの存在を知らせる一文を書いた。それに対し、暁星中学や仏英和女学校の創設に関わった東京天主堂のフランス人リニュエール神父が明治三十三年に『秘密結社』を刊行し、このフリーメイソンは「唯物論的な陰謀団」であり、日本は警戒を怠ってはならないと警告したという。
フリーメイソン フリーメイソン

この二つのエピソードは、フリーメイソンの日本におけるイメージのベースを造型したと思われる。いってみれば、ひとつは上流階級が属する謎めいた団体、もうひとつは拙稿「死者のための図書館」(『図書館逍遥』所収)や本連載614などでもしばしばふれてきた『シオン議定書』につながるユダヤ人秘密結社というものであろう。とりわけ後者は日露戦争後に広く流布するようになったはずで、大正時代に入ってからは宗教言説とのアマルガムのかたちで囁かれていたと推測できる。それを受けて、『世界聖典外纂』での「別立宗教主義」としての「世界秘密同盟主義のフリーメイソン教」が紹介されることになったと考えられる。
図書館逍遥 シオンの議定書

しかし川辺喜三郎の紹介は、そのような「秘密結社」や「陰謀団」といったメージを増幅するものではなく、「フリーメーソンリー」を「友愛道」と解釈し、次のように始めている。

 フリーメーソンリー(Freemasonry)はフランスではフラン=マソンネエリー(Franc‐masonnerie)、独逸ではフライマウレライ(Freimaurerei)と呼び、友愛協同を目的とする半宗教的道徳体系の一種である。だから従来わが国で用ひられた訳語『共済組合』または『組合共済主義』或は『組合共済会』などは、良くその意義と現はしてゐない。寧ろ『友愛道』といふのが適切だらうと思ふ。(中略)
 友愛道は、外部の者に解らない種々の特別表号や用語を有し、そして妙な信条や儀式をもつて居る為め往々世間から誤解されて、何か危険な行為を企てる秘密結社の類であると思はれたことも少なくない。(中略)併しその制度組織は略ぼ公然の者であるし、(中略)その目的は物質的並に精神的―近来は殊に精神的―協力互助修養にあり、且その従属的活動として社会事業救済事業等にも関係するのである。そしてその主義としては、人種別、宗教派別・政党別・国境別等を超越した、四海同胞教であつて、全人類の共同互助を目的とするものである。(後略)

ここでは日本において、フリーメーソンリーが「共済組合」的に知られていたことも示されている。川辺はこのようなフリーメイソンに関するこのような定義を前提として、そのエジプトにおける起源、中世の石工を中心とする発達をたどり、純粋の宗教ではないが、各個人の思想や信仰の自由を束縛しない「一種の反宗教的道徳体系」という結論を下している。それでいて、フリーメイソンは少なからず「アラビアの神秘説」とともに発生し、「殊にパラセルススやローゼンクロイツの神秘説が影響した」との一節も見えているので、パラセルススや薔薇十字団の存在もふまえての見解だとわかる。それらに加え、かなり詳細なフリーメイソンの「教義・信条・表号」と「規約憲法」への言及が続いている。

この川辺による「フリーメーソンリー」は『世界聖典外纂』において、前半の社会科学的記述と後半の具体的な教義などへの言及は異彩を放っているように映る。それはこの巻の執筆者たちの中にあって、川辺が宗教学や文学研究者ではなく、唯一の社会学者であることに求められるような気がする。彼は明治四十年に早稲田大学を卒業後、渡米し、シカゴ大学大学院でPh.Dを取得し、大正十年に帰国し、早稲田大学などの講師を務めていたようだ。したがって「フリーメーソンリー」は帰国早々に書かれたはずで、その教義などへの具体的言及から想像すれば、川辺はアメリカでフリーメイソンに属していたのではないだろうか。それゆえにその解説者として、『世界聖典外纂』に招聘されたのではないだろうか。

なお川辺にはフランク・R・ケントの『前人未踏政戦哲学』(万里閣書房、昭和五年)という訳書もあることを付け加えておく。


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