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古本夜話669 境野哲『印度仏教史綱』と森江書店

新仏教運動にはずっとふれてきた世界文庫刊行会だけでなく、多くの出版社が併走していたので、それらもトレースしてみる。

『新仏教』の発行者兼編輯者が堺野哲であることは本連載651で既述したが、彼は『日本近代文学大事典』に境野黄洋として立項されている。
日本近代文学大事典

 境野黄洋 さかいのこうよう 明治四・八・一二〜昭和八・一一・一一(1871〜1933)仏教学者。宮城県名取郡秋保村(現・仙台市)生れ。本名哲(さとる)。東京哲学館(現・東洋大学)卒。「仏教書林」の編集、「仏教」の主筆として活躍。仏教清徒同志会(明三三)に参画し、「新仏教」の編集にあたり、新仏教運動の推進者の一人。この間『日本仏教史要』(明治三四・八 鴻盟社)『支那仏教史綱』(明治四〇・四 森江書店)を著し仏教史の基礎を固めた。東洋大学教授、学長、駒沢大学教授を歴任。東京朝日新聞記者も兼ねる。

ここに挙げられているニ書は未見だが、『印度仏教史綱』は入手している。奥付には明治三十五年発行、大正五年九月第五版とあるが、なぜか井上哲次郎の「序」も境野の「序言」にしても、明治三十八年五月二十日付で記されている。それに関連するのか、奥付の「不許複製/著作権所有」のところには著作権が著者ではなく、版元にあることを伝える森江本店の印が押されている。中扉には森江書店と記載されているけれど、奥付表記は森江本店、森江分店もあるとわかる。

考えられることは明治三十五年に私家版が出され、これがあらためて森江本店から刊行されるに至って、井上と境野が「序」や「序言」を寄せた。だが原稿は買い取るかたちをとったので、著作権は版元に属することになった。おそらく明治後期時代の仏教書の単行本出版とは、このような印税が発生しないシステムに則っていたのではないだろうか。

ただそうはいっても手元にある『印度仏教史綱』は裸本で、二一八ページの薄い一冊だが、菊判の堅牢な上製本に仕上がっていたはずだ。そうした仏教書ならではの造本を考えれば、製作コストが高かったことを意味しているし、印税はないけれど、出版リスクも念頭に置かれた企画だったのであろう。この『印度仏教史綱』はやはり森江書店の対となる『支那仏教史綱』に先行する海外の仏教に関する出版であったからだと思われる。

しかしそれらは森江書店が新しい出版社であることを伝えるものではない。森江書店は文政九年創業とされる東京屈指の老舗で、多くの宗派の仏教書を出版する仏教書肆、及び中等教科書などの取次としてよく知られた存在であった。発行者の森江佐七は明治三十五年から四十一年にかけて東京書籍商組合評議員を務めていたし、森江分店はその養子の森江英二によって営まれた出版社と書店を兼ねるものだった。

それらを示すように、『印度仏教史綱』の巻末広告には多くの仏教書が掲載され、その中には同時代に東洋大学学長だった大内青巒の『仏教の根本思想』などの四冊が並んでいるので、境野も大内を通じて森江書店から出版するようになったのかもしれない。そして仏教書の老舗出版社に他ならなかった森江書店にしても、必然的に新仏教運動に同伴していったと考えられる。

それは井上哲次郎の「序」にも表われている。

 然れども仏教をして大に変化せる新時代に応化せしむると否とは、一に其人にありて存す。苟も其人なしとせんか、仏教は早晩其生命を失ひ、文明の背後に排擠せられん。是故に仏教をして存続せしめんが為めには屢く革新を行はざるべからず。是れ新仏教の忽然社会の一隅に起れる所似なり。然れども仏教としては如何に革新を加ふるも、其印度に淵源せる原始的の主義と一貫せる所あるを知らざるべからず。是れ印度仏教研究の亦決して忽にすべからざる所似なり。

つまりこれも大きく巻末広告に見える境野の次著『支那仏教史綱』も同様の試みということになろう。

井上から「境野君は蚤に新仏教を主張し、仏教をして我邦の新時代に応化せしめんとするもの」と称された境野自身も、その「序言」において、『印度仏教史綱』は『新仏教』に「通俗印度仏教梗概」として掲載したものだという断わりを述べてもいる。そして釈尊以前の印度宗教から始まり、釈尊の小伝、仏教略説、原始仏教をたどり、それらは全十五章に及び、大乗仏教、小乗仏教、そして印度本土における仏教の絶滅までが追跡されていく。

そのいわんとするところは、印度仏教が新時代に応化する革新をなしえなかったゆえに、絶滅へと追いやられてしまったのであり、日本の新仏教運動はその轍を踏まないようにする試みだと見なしていいだろう。その『印度仏教史綱』に対して、『支那仏教史綱』は内容紹介のコピーの一文を引けば、「印度仏教徒支那仏教との関係を明にし唐大諸宗勃興の巨細を詳らかにし下ては華、天密、禅の由来及び相互の関係を論じ理脈條然且つ其の間皆各宗教外の大綱をも記述解釈」したものと判断していい。これらの二書に先の立項にある『日本仏教史要』を加えれば、仏教清徒同志会と『新仏教』創刊、それに連なる新仏教運動の歴史的バックボーンを形成する新仏教史三部作と呼んでいいのかもしれない。


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