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古本夜話676 有光社と『純粋小説全集』

前回の大谷光瑞などの南進論に寄り添った出版社としての有光社についてはまったくふれられなかったので、もう一編書いておきたい。

有光社は住所も麹町区丸ノ内三丁目とし、発行者を村田鐵三郎とする版元で、私が最初にこの出版社の本を入手したのは半世紀近く前のことだった。それはエリゼ・ルクリュ著、石川三四郎訳『世界文化地史大系』第一巻である。同書や著者や訳者のことはひとまずおき、「地史」として刊行されたというにとどめる。巻末広告には前回の大谷の『蘭領東印度地誌』などの他に、アンスティ原書、末高信『印度経済の研究』、J・G・ハイヅ原著、指田文三郎訳『東南ニューギニア探検記』、ウインステツド原著、野口勇訳『マレーの歴史、自然・文化』などが並んでいることからすれば南進論関連書をメインとする出版社のように思われた。

しかしこれも前回ふれた澁川環樹『蘭印踏破行』の巻末広告には、巽聖花童謡集『春の神さま』、百田宗治『子供の世界』といった児童関連書、宇野浩二『夢の通ひ路』、川端康成『寝顔』、伊藤永之介『梟』、丹羽文雄『逢初めて』からなる『有光名作選集』が掲載されている。これは幸いなことに『日本近代文学大事典』に立項されていて、昭和十六年から十七年にかけて十九冊が出されている。その解題によれば、この選集は「国民文学を翹望する幸」に応じて企画されたという。これらの事実から、有光社が児童関連書や小説も刊行していることを知った。

 日本近代文学大事典
それからしばらくして、岡田三郎の『春の行列』を入手し、これが有光社の『純粋小説全集』の一巻だとわかった。この岡田の作品はその作風から考えれば、彼の三回目の結婚をベースにしているはずだが、興味深いのは主人公が出版社の経営者で、時代設定が昭和三年の冬から始まっていることだ。それは円本時代と、共産党員が全国的に大検挙された所謂「3・15」事件が時代背景にあることを伝え、双方が『春の行列』の男女の物語を彩るファクターとなっている。

ただここではそれらには踏みこまず、私も入手して知った、この『純粋小説全集』に言及してみる。これも『日本近代文学大事典』に立項されているからだ。そのラインナップを示す。

 1 横光利一  『盛装』
 2 林房雄   『衣裳花嫁』
 3 武田麟太郎 『下界の眺め』
 4 岸田国士  『鞭を鳴らす女』
 5 尾崎士郎 『情熱の伝説』
 6 林芙美子  『稲妻』
 7 芹沢光治良 『春筏』
 8 室生犀星  『弄獅子』
 9 川端康成 『化粧と口笛』/舟橋聖一『白い蛇青い蛇
10 宇野千代 『罌粟はなぜ赤い』
11 片岡鉄兵 『流れある景色』
12 岡田三郎 『春の行列』
13 深田久弥 『強者連盟 津軽の野づら』

解題によれば、この『純粋小説全集』は「純粋小説論議の反映を見る企画の一つ」とされている。いうまでもなく、「純粋小説論議」とは横光利一が昭和十年に発表した「純粋小説論」に基づくものである。それはよく知られた「もし文芸復興といふべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思ってゐる」という一文から始まっているので、この「純文学にして通俗小説」を企画コンセプトとするのが『純粋小説全集』の試みだったといえるだろう。しかし岡田の『春の行列』を読んだ限りでは「通俗小説」といえても、「純文学」と称せられる作品と見なすことはできない。それは『春の行列』ばかりでなく、多くがそうであり、「純文学にして通俗小説」の領域に達している作品は少ないように思われる。

それからさらに留意すべきは巻末に「懸賞小説応募券」が付されていることで、応募者は第十回配本までの十枚を添え、作品を送ることができるとされている。ちなみに『春の行列』は第七回配本であり、その「規約」が次のように記されている。「純粋小説全集刊行記念として一千円懸賞長篇小説を募集します。/選者は横光、林、川端、武田の諸氏に文芸批評家小林秀雄氏が一枚加はります」と。

これらのメンバーに加えて、『純粋小説全集』の刊行が昭和十一年から十二年、装丁が青山二郎であることからすれば、本連載454の『文学界』の創刊、及びそれに関わった作家たちがリンクしているとわかる。『日本近代文学大事典』の解題には有光社や発行者の村田鐵三郎に関して何の言及もないけれど、おそらく『文学界』の編集者、もしくは関係者が有光社に『純粋小説全集』の企画を持ちこんだことによって、この「一千円懸賞」付き全集も刊行の運びになったのではないだろうか。だが賞を獲得した応募者がいたのかは定かでないし、それから有光社が「南進論」関連書へと向かっていったことは既述しているが、その後の行方は確認できていない。

なお『春の行列』の主人公日下部が出版社の経営者であることを先述しているけれど、それは「図書出版・弘文社」とされ、七年かけた『哲学大辞典』のために、資産をすべて抵当に入れ、借金を繰り返す経営状況に追いやられている。そして支配人から次のような小言をいわれているのである。

 (……)あなたはご自分でお読みになりたいと思ふやうな、高尚な本ばかりを出版なさらふといふ料簡だからいかん。お読みになりたいと思ふほんは、よその本屋からお買ひなさい。うちでは、一般大衆に歓迎されるやうな、肩の凝らない興味専門の本さへ出版してをれば、どんなに世間は不況になっても、決して赤字の心配はございません。

それを受けて、日下部は支配人の頭にある「商売上の根本原理」は「おのれの欲するところを、ひとに施しては必ず損をするといふ」もので、これにはとてもかなわないと告白する。

おそらくこれは『文学界』の発行を引き受けた文化公論社の田中直樹や文圃堂の野々宮慶一、さらには小林秀雄たちのその実感でもあっただろうし、それは同じく有光社の村田へとも引き継がれていったものにちがいない。


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