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古本夜話678 室伏高信『南進論』

本連載675で、大谷光瑞の南進論にふれたが、それは昭和十一年に日本評論社から刊行された室伏高信の『南進論』から始まり、国策としての南進政策と大東亜共栄圏構想がリンクしていたと見なせよう。明治末期から大正前半にかけて唱えられた民間の南進論は、昭和に入って沈滞していたけれど、室伏の著作がきっかけとなって高揚したのであり、矢野暢の『「南進」の系譜』(中公新書)はそれを次のように指摘している。

 文体の平易と修辞の巧みさとのために、この『南進論』はすこぶる煽情的な効果を発揮した。そして、それは南進ブームの復活を見る昭和十年代の幕開けを飾るにふさわしい内容をもっていた。

そればかりでなく、続いて南進論出版ブームも生じ、昭和十年代の進行に伴い、多くの文学者や知識人たちも、このブームに加わったのであり、大谷もその一人だったし、有光社もまたそうした出版社のひとつだと考えられる。

その室伏の『南進論』が手元にある。裸本だが、初版で、確かに昭和十一年七月に日本評論社から刊行されている。表紙は不明だけれど、表見返しには南洋諸島の地図と各地在留邦人数、裏見返しには「邦人(内地人)世界分布図」が示され、昭和九年の「在外邦人総数」は1,058,328人となっている。前者は付録として収録された伊佐秀雄による六十ページ余の「南方大観」と通底するものである。

室伏は第一章というべき「なぜこの書を書くか」において、これを「燃ゆる書」「認識の書」「実践の書、行動の書」と呼び、満洲事変から始まる国際連盟からの脱退、日支事変、満洲におけるソビエトとの国境での対峙、国内での五・一五事件から二・二六事件に至る状況を、「危機の時代」「非常時」として踏まえ、南進論を提出しようとしている。このような時代にあって、「日本はいまや世界の田舎でもなく、東洋の一孤島でもない。日本はいま世界史の舞台のうへに立ち、世界史の重要な担当者の一人となつた」のであり、それゆえに「世界内存在としてのこの偉大な日本の地位と責任と危険とを」認識すべきなのだ。そのパースペクティブは西欧の覇権が没落し、世界史の舞台が西へ西へと移動しつつあることから、ロシア、アメリカ、東方の日本の時代を迎えんとしていることに求められる。それとパラレルに「一つの日本が終わつて第二の日本が生れよう」としている。そこで「日本はどこに行くべきか。日本は何を為すべきか」「北進か南進か」が問われることになる。

そして南太平洋の広大な地平線上に「処女地南洋」が浮かび上がってくる。それは昔の日本で「南蛮」といわれていた「即ち比律賓、南領印度、英領北ボルネオ、サラワク、仏領印度支那、シヤム、英領マレイ、それに内南洋といはれてゐる旧独領マリアナ、カロリン、マアシヤル等を指すのである」。それに合わせ、日本の十倍に及ぶ全面積にもかかわらず、半ば未開のままで、人口は一億を超えたばかりという南洋の大観、資源と主要特産物、農林業や工業の有望性、石油や石炭などの鉱産物の埋蔵量などが挙げられていく。

そこから「南洋の明日」に関する五つの結論が出される。それらは原料地、農業投資、移民、工業企業地、工業市場としての希望が満たされる「広大な処女地」というものだ。かくして「南進論」が宣言されるのである。

 「熱帯を征する」ものが世界を征するかどうかは別である。こゝにあまされた土地と資源とがあり、これが開拓されなければならないものであり、開拓をまちつゝあり、そして開拓されつゝあることは明白である。
 南へ、南へ、我々の視野を南の処女地へと向けよう。北方の雪と氷とにではなく、またゴビの砂漠ではなく、そしてまた古代文明の重圧のもとに喘いでゐる北支にでも、銃剣の林立する満ソ国境にでもなく、処女地の南洋へ、処女林限りなく打ちつゞく平和の国の南へ。

そして南はさらに広がり、オーストラリアも視野に入ってくる。日本本土の二十倍の広さで、北米大陸に匹敵し、その人口はまだ七百万にも満たない「熱帯、亜熱帯から温帯に亙つての、世界の処女大陸の一つ」とされる。それに加えて、近年の工業の発達、貿易や農業データも付されている。また「南進論」も繰り返し挿入される。「南へ、南へ」と。それも日本民族が来たかもしれない「南の熱い国へ、椰子の実のる南洋の森と海へと」。さらに「南は解放」を意味し、「南進は王道」に他ならず、「白人的帝国主義に対して反帝国主義」となり、土地と資源の開放、自然の活用、すべての民族の自由と平等と生存の権利を要求すべきなのだ。

室伏の「南進論」を簡略にトレースしてきたが、このような「文体の平易さと修辞の巧みさ」により、矢野がいうところの「すこぶる煽情的な効果を発揮した」ことを実感させられる。本連載118で室伏が批評社という出版社を立ち上げ、シュペングラーの『西洋の没落』を刊行したことを述べておいたが、それを受けて自著『文明の没落』を出版し、大正後期のベストセラーならしめている。そうした軌跡から、『南進論』へと転回していったことになる。

四六判三三〇ページほどの一冊であり、現在ではほとんど言及されていないけれど、大東亜共栄圏構想と南方幻想が絡み合い、大きな影響と波紋をもたらした著作だったと思われる。この『南進論』を嚆矢として、南進論出版ブームも始まっていったのではないだろうか。それをもう少し続けてたどってみたい。


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