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古本夜話682 ダイヤモンド社と『南洋地理大系』

「南進論」と歩みをともにして、出版界も「南へ、南へ」と向かっていた。それをダイヤモンド社『南洋地理大系』にもうかがうことができる。これは昭和十七年に全八巻で出されている。その明細を示す。

南洋地理大系

 1 『南洋総論』
 2 『海南島・フィリピン・内南洋』
 3 『タイ・仏印
 4 『マレー・ビルマ
 5 『東印度Ⅰ(旧蘭印(1))』
 6 『東印度Ⅱ(旧蘭印(2))』
 7 『印度・セイロン島』
 8 『豪洲・ニュージーランド・太平洋諸島』

このうちの8の一冊だけを入手して、函入、菊判上製三八六ページ、その大半が濠洲=オーストラリアで占められている。これは全巻に共通しているはずだが、巻末にはB3判折り畳み地図が付され、この巻は「オーストラリア及び太平洋諸島産業分布図」であり、半分以上がオーストラリアの詳細な産業分布を示すものとなっている。それは口絵写真も同様である。

そして「濠洲」の最初の章「濠洲の地理的意義」は次のように書き出されている。^

 白人の濠洲、羊毛の濠洲として、夙に知られてゐた濠洲は、いまや太平洋の南部において残存する唯一の敵性国として、われゝゝの脳裡に深く刻印されて来た。濠洲を獲得しなげれば、否濠洲を支配しなければ、東亜に於ける戦雲は容易におさまりそうもないのである。
 濠洲、ニュージーランド、及びこれに付属する島々は、いまや生か死か、何れかの岐路に立つてゐる。ポート・ダイーヴイン、ブリスベーンなど盛んに日本の航空隊によつて爆撃されてゐるが、やがて日本軍の上陸をみて、濠洲も大東亜共栄圏に参加するやうになることとは思ふが、もし反旗をひるがへすならば、どうしても一撃を加へねばならず、(中略)空間統一体の原則からすれば、濠洲は当然、共栄圏の側に参加しなければならぬ宿命にあるのである。(後略)

いきなりこのような一文に出会うことになり、これがこの巻の「濠洲」全体に通底するキイトーンである。ここで「濠洲」の表記をそのまま採用しているのは、これがおそらく満洲とダブるイメージで使われていると判断したからだ。すなわち濠洲とは南洋の満洲なのだ。だからそのようにして、「濠洲を獲得しなげれば、否濠洲を支配しなければ」ならないし、地政学上からの「濠洲は当然、共栄圏の側に参加しなければならぬ宿命にある」ということになる。

そして地図と照応する濠洲の地政学的概観、牧畜と酪農業、小麦、鉱産資源、都市、日本との経済関係史などが論じられていく。それらを担当しているのは、本連載119などの太平洋協会弘報部次長の井口一郎、同564の満鉄東亜経済調査局の宮崎亮、南洋経済研究所嘱託の岡田宗司などで、彼らの他には東京帝大理学部地理学科卒業とある大学教授たち、及び現地に詳しい商社マンたちが加わり、この巻が編まれていることになる。おそらく『南洋地理大系』全巻がそのようなメンバーを中心にして執筆、編集されたと見なしていいだろう。

またこれは8に挿みこまれていたのだが、ダイヤモンド社は同時に『国防科学叢書』全三十二巻をも刊行しているようだ。その四折パンフレットによれば、編輯顧問を大本営陸軍報道部陸軍少佐平櫛孝、同海軍報道部海軍少佐富永謙吉とし、実際にこの二人も著者として、15の『戦略戦術』や18の『海軍』に名前を連ねている。また彼らだけでなく、大半の著者が現役の軍人であることからすれば、『国防科学叢書』は陸軍と海軍の双方の報道部絡みの企画であり、『南洋地理大系』と同様に、何らかのルートで持ちこまれたものであると推測できる。

それは恩地孝四郎が装丁を担当していることにもうかがわれる。なぜならば、ダイヤモンド社はビジネス、経済書の出版社であり、これらの企画編集には通じていなかったからだ。ちなみに『南洋地理大系』編集者名は佐藤弘と飯本信之となっている。二人はそれぞれ東京商科大と東京女高師の教授で、いずれも東京帝大地理学科出身であるから、南進論、大東亜共栄圏、南洋地理学を三位一体として企画されたと考えられる。それに佐藤は昭和十五年に皇紀二千六百年記念出版として出された『入門経済学』全十八巻の17『経済地理学』の著者であり、それがきっかけになったとも判断できよう。

ダイヤモンド社は創業者の石山堅吉が『雑誌経営五十年』ダイヤモンド社、昭和三十八年)、社史として『七十五年史』(同六十二年)を出しているけれど、『南洋地理大系』『国防科学叢書』に関する言及はなされていないし、後者の「年表」にもそれらの出版は記録されていない。ただ戦時下において、『ダイヤモンド』で「国防科学」欄の連載が始まり、陸海軍の賛同を得て、現役軍人からの寄稿を求めたこと、出版部も兼ねるダイヤモンド事業が陸海軍に献金していたことなどは語られているので、そのような陸海軍との関係により、『国防科学叢書』も企画出版に至ったと考えることもできよう。

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