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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話683 佐藤弘、古今書院、パッサルゲ『景観と文化の発達』

前回、ダイヤモンド社『南洋地理大系』の編輯者の一人が佐藤弘であると既述しておいた。この佐藤は地理学者にふさわしく、古今書院からも翻訳書を刊行している。それは国松久彌との「共抄訳」のパッサルゲ『景観と文化の発達』で、昭和八年の出版である。続けて佐藤と同書を挙げたのは、古今書院に関して一度は取り上げたかったこと、それに佐藤が戦後の思いがけないシーンに、それもベストセラーの著者として姿を現わしているからである。
南洋地理大系

まず最初に『出版人物事典』から、古今書院の創業者を引いてみる。

出版人物事典
 [橋本福松 はしもと・ふくまつ]一八八三〜一九四四(明治一六〜昭和一九)古今書院創業者。長野県生れ。女学校で教鞭をとる傍ら諏訪湖の研究に没頭、『湖沼学上より見たる諏訪湖の研究』の大著を完成。地理学出版を志し、同郷の先輩岩波書店で修業したのち、一九二二(大正一一)古今書院を創業、二五年(大正一四)『地理学評論』(現存)を創刊、小川琢治『人文地理学研究』、田中啓爾『地理学論文集』、辻村太郎『新考地形学』、加藤武夫監修『地学辞典』はじめ多くの名著を出版、地理関係専門出版社としての名を高めた。また一方、少年もの、詩歌ものも出版した。日本出版文化協会評議員をつとめた。

パッサルゲの『景観と文化の発達』の翻訳に関しても、著者は独逸地理学の第一人者とされているので、このような古今書院の地理関係専門書として刊行に至ったものであろう。同書は「気候緯度」の概念に基づき、世界を五つの景観地域に分類し、その中における景観と文化の発達を比較し、論じたものだが、導き出された結論は「機械文化の根本害悪」ということになる。そしてそれを除去するために挙げられている予防策が、原料品や生活手段の輸入の禁止により飢餓を生じさせ、病者や弱者を死滅させ、人口過剰を抑制すること、伝染病の予防や種痘を禁止し、大都市に疫病をもたらし浄化させること、社会的保護などの法律はすべて廃止し、自由な闘争にまかせること、医学的検査を基礎とする結婚の許可、義務教育と一般的学校教育の除去などである。ナチズムも顔負けの結論ともいうべきもので、残念ながら、地理関係専門出版としてふさわしいとは認めがたい翻訳というしかない。

さてこの「共抄訳」の国松も地理学者で、多くの著書があるようだが、はっきりしたプロフィルがつかめない。しかし佐藤のほうは『現代人名情報事典』に見出すことができる。

現代人名情報事典
 佐藤弘 さとうひろし
 経済地理学者(生)大分1897・4・21〜1962・12・23 筆名佐藤弘人(学)1922東京帝大地理学科(博)1945理〈満州国における柳条辺牆の地理学的研究〉(経)1937東京商科大学教授、51東大教授を兼任、53一橋大小平分校主事となり、東大教授を辞す。61名誉教授、大東文化大教授、他に日本地理学界副会長、50日本商品学会会長、54経済地理学会初代会長、のち日本工業立地センター理事長(著)《経済地理学概論》《商品学概説》《はだか随筆》《いろ艶筆》

ここで初めて佐藤が戦後の新書判ブームの中で、ベストトセラー『はだか随筆』の著者だったことを知ったのである。同書は『出版データブック1945−96』出版ニュース社)を確認してみると、昭和二十九年にはベストセラー第四位、三十年には第一位となっている。
はだか随筆(復刻)

私が編んだ塩澤実信『戦後出版史』論創社)にも、昭和三十年代の劈頭を飾るベストセラーとして、書影入りで言及されている。それは次のように始まっている。「ベストセラーは、多くの場合偶然的に発生するものである。まったくの無名の出版者社、読書子に知られぬ著者が書いた本が、宝クジを当てたような僥倖にありつくのである」と。そして確かに著者の佐藤弘人一橋大学教授佐藤弘だと記されてもいたのだが、前回は同一人物と気づいていなかった。
戦後出版史

塩澤によれば、佐藤は簿記会計の専門雑誌『産業経理』に昭和二十五年から毎号、お色気考現学といっていい、くだけた随筆を書き、好評だったので、一冊にまとめることを考えた。そこで掲載誌版元に交渉したが、乗り気ではなかったことから、ライヴァル誌『企業会計』を発行している中央経済社に持ち込んだ。同社は昭和二十四年創業で、かねてから佐藤に専門分野の著書を依頼していたのである。この経緯は以前にも読んでいたのだが、地理学者の佐藤と重ならないでいたのは、ひとえにここでは佐藤を経済学者と見なしてきたからで、それは先の立項に示された「日本商品学会会長」といった経歴や、『商品学概説』などの著書にもよっている。おそらく佐藤は東京商科大学一橋大学に在職したことで、そちらの分野の専門家にもなっていたのだろう。

それはさておき、話を持ちこまれた中央経済社はタイトルをどうするか考え、佐藤のいう『先生の失言』ではおとなしすぎるし、内容があけっぴろげだから『はだか随筆』という案が出された。それで装丁を色気のあるカッパの絵で人気の高い清水崑に依頼した。経済書出版社としては初めての試みだったが、経営は苦しかったこともあり、何とか初版五千部が売れてくれたらという思いの中での刊行だった。ところが昭和二十九年十月発売で、年を越した三十年には四十五版、二十万部を突破するベストセラーになった。「学者が書いたワイ談」が新聞広告のキャッチコピーとなり、ついには六十四万部に達した。戦後のベストセラーとしては、昭和二十年の誠文堂新光社の『日米会話手帳』に次ぐものだったという。

またこれは蛇足かもしれないけれど、「出版人に聞く」シリーズ3の『再販/グーグル問題と流対協』の高須次郎は、この中央経済社から出版の仕事をスタートさせているのである。
再販/グーグル問題と流対協


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