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古本夜話738 座右宝刊行会とアンダーソン『黄金地帯』

 前回の『古代の南露西亜』の訳者による「参考書目」の中に、アンデルソンの『黄土地帯』『支那の原始文化』の二冊が挙げられ、前者が昭和十七年に座右宝刊行会から刊行されていることを既述しておいた。ただ著者表記はアンダーソンとあるが、これだけは入手している。

 だが同書にふれる前に、まず版元の座右宝刊行会に言及しておくべきだろう。『日本出版百年史年表』などにおいて、座右宝刊行会は志賀直哉が大正十四年に創業したことになっている。それは志賀が大正時代後半に京都に移り住み、博物館や神社仏閣を見歩いているうちに、気に入った東洋の古美術品の大きな写真を集めたものがあればいいと思い、贅沢な古美術図鑑としての『座右宝』を作ろうと考えたのが始まりだった。そのため『座右宝』は志賀の個人的古美術コレクションともいえるし、写真撮影や印刷を大塚巧芸社の大塚稔、編集実務を奈良で志賀と一緒に仕事をしていた橋本基が担当し、発行名義人を志賀、発行所を東京市本郷区の座右宝刊行会として出版したのである。一四二枚の古美術写真を綴じずに桐製の漆箱に収め、書物のかたちになっていなかったが、一五〇部が定価二百円で頒布され、五ヵ月後に六八円の普及版も刊行された。

 これが志賀と座右宝刊行会の設立事情であるけれど、その後のことは山科時代の志賀の愛人と同様に、よくわかっていなかった。その一端がようやく判明したのは阿川弘之の評伝『志賀直哉』(岩波書店、平成六年)においてだった。阿川は豪華本『暗夜行路』にふれ、明確に書いている。
志賀直哉 暗夜行路

 豪華一冊本の「暗夜行路」は、昭和十八年十一月に刊行された。発行元の座右宝刊行会は、大正期に美術図録「座右宝」を出した座右宝刊行会とは別の組織である。「新しき村」発足時の古い会員で、直哉にも梅原にも昔から知遇を得てゐる美術好きの後藤真太郎が、直哉に勧められて名義を引き継ぎ、新しく設立したのが、美術関係を主として扱ふ東京江戸橋の出版社「座右宝刊行会」であつた。出版書肆の経営者となつた後藤の一つの念願は、志賀直哉の名作「暗夜行路」を、自分の好み通りの、贅沢な、美しい一冊に仕立ててみたいといふことで、紙や布や、製本用の材料も時間をかけて上質の物を揃へ、数年がかりで準備を進めて来た。その結果、大戦争のさなかとは思へぬ見事な本が出来上つた。(後略)

 この初版千部、税込み定価二一円六〇銭の『暗夜行路』は未見だが、所持する『黄土地帯』も同年七月の再刊で、数ヵ月早く出されたことになる。だがこれも『古代の南露西亜』と同じく、やはり古代の支那を対象とする考古学書である。その初版は前年の十二月なので、半年余りで版を重ねていて、それもまた戦時下の出版状況の謎のように思える。 初版部数は不明であるけれど、再版は二千部と奥付に記載されているからだ。奥付といえば、発行者は日本橋区江戸橋の後藤真太郎となっていて、確かに阿川がいうように新しい「座右宝刊行会」だとわかる。

 『黄土地帯』は菊判上製、四七四ページで、写真も含めた図版も一五六に及び、サブタイトルとしての「北支那の自然科学とその文化」を論じる専門書たる風格を備え、具体的な「山の生成」「龍と龍骨」「北京人類」などの二十章仕立てだが、それらの中でもとりわけ柳田国男の言説を想起させる「子安貝の表象」が印象深く、「日本の安産の御守」の図版とともに言及されている。
黄土地帯 (『黄土地帯』)

著者のアンダーソンは一八七四年生まれのスウェーデンの地質学者、考古学者で、一九〇六年にスウェーデン地質調査所長となり、一四年に北京農商部中国地質調査所の鉱政顧問に招聘され、渡支し、二五年までの十二年間を支那で過ごした。その間に彼は支那の地質調査を遂行し、大量の化石や考古学的遺物を収集するに至った。その発見のいくつかは画期的なもので、支那における初めての恐竜の発見、また北京人類の発見も同様だった。それに支那にも石器時代が存在したことを確認し、その大住居址を発見し、そこで彩色土器を見出したのも特筆すべきで、これはアンダーソン土器との異名をとったという。

 帰国後はストックホルムに東亜古物院主幹として多くの重要な論稿を発表し、ストックホルム大学教授として東亜考古学を講じていたが、三七年には再び支那に赴き、その際には日本来訪も予定されていた。だがアンダーソンの都合で中止になったとされる。それらもあって、先に挙げたように、昭和十六年に四海書房から『支那の原始文化』が刊行されたのであろう。

 このアンダーソンのことはともかく、座右宝刊行会というと、どうしても美術書や志賀直哉の本のイメージが強かったけれど、『黄土地帯』の巻末広告を見ると、それらに加えて、考古学や支那学に関する著作も刊行しているとわかる。それらは東亜考古学会編『蒙古高原』前篇、仁井田陞『支那身分法史』、関東局篇『旅順博物館図録』、松崎鶴雄『柔父随筆』、浜田耕作『考古学研究』、水野清一、長広敏雄『龍門石窟の研究』、原田淑人『東亜古文化研究』、村田治郎『満州の史蹟』、ル・コック、藤枝晃訳『西域紀行』などである。
支那身分法史 (『支那身分法史』)

後藤真太郎は『華岳素描』の編者となっていることからすれば、美術書と志賀関係は後藤が引き継ぎ、考古学や支那学などは、『黄土地帯』の「訳者序」において、謝辞が示されている座右宝刊行会の齋藤菊太郎、大谷忠正、中田宗男たちによっているのではないだろうか。彼らのプロフィルはつかめないが、考古学や支那学の近傍にあったと思われる。最後になってしまったけれど、訳者の松崎壽和は東京帝国大学考古学研究室に在籍とある。


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