出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話751 丸岡明『或る生涯』と『作家自選短篇小説傑作集』

 前回の丸岡明の作品集を入手している。それは昭和十五年に人文書院から刊行された『或る生涯』で、『作家自選短篇小説傑作集』の一冊である。このシリーズのキャッチコピーとして、「書中の各短篇は、作家自らが、最も自信と愛情を持つ、文字通りの代表作許りを、自選したもので、唯に当該作家の傑作集たるのみならず、その決定版である」と謳われている。
f:id:OdaMitsuo:20180204203737j:plain:h120『或る生涯』(『丸岡明小説全集』(二)所収、新潮社)

 『作家自選短篇小説傑作集』に関しては『或る生涯』を見て初めて知ったし、『日本近代文学大事典』にも、それは掲載されていないので、その明細をリストアップしておこう。番号は便宜的にふったものである。

 1 中河与一 『愛の約束』
 2 長与善郎 『幽齋父子』
 3 富澤有為男 『夫婦』
 4 大鹿卓 『千島丸』
 5 中谷孝雄 『春』
 6 寺崎浩 『森の中の結婚』
 7 外村繁 『風樹』
 8 丸岡明 『或る生涯』
 9 徳田一穂 『花影』

f:id:OdaMitsuo:20180205111951j:plain:h120

 9以後が出されているかは確認していない。ただこの8のフォーマットからすれば、いずれも四六判並製、三〇〇ページ前後と推測されるが、これまで未見であり、所収の短篇を読んでいるかもしれないけれど、それぞれの表題作は記憶に残っているものではない。どのようなシリーズであれ、こうした小説集であれば、少なくともいくつかは読んでいてしかるべきなのに、それが見当らないというのもめずらしい。そのことはこの『作家自選短篇小説傑作集』自体が、作家にしても作品にしても、この時代にしか編まれなかった企画だったことを告げているのかもしれない。

 そこで丸岡の『或る生涯』を読んでみた。同書には七篇の作品が収録されているが、やはり表題作の「或る生涯」を取り上げておくべきだろう。それにこの作品には丸岡のフランス文学に基づく心理主義、『三田文学』系の大学生の恋愛模様、実業と文学を両立させた本連載553の水上瀧太郎の影響が三位一体のかたちで表出しているように思われるからである。ちなみに「序にかへて」で、丸岡は同書を昭和十五年三月に急死した水上に捧げてもいる。そのことに照応するように、「或る生涯」の前置きとして、次のような言葉を添えている。

 「人間の個性が、何処まで発展され得るものか、その可能の世界を描いてみせることを、同時にその限界を明かにすることが、今後の私の仕事の中心になつてゆきさうである」と。

 「或る生涯」は川村光彦という青年を主人公としている。父は大学出の工業会社勤めだが、有能な事務家で将来を期待され、母は明るい華やかな性格で、社交にたけ、夫の栄達を助けてきた。二人は会社の上司たちにも評判のロマンスを経ての結婚で、光彦はこの両親の愛情を一身に受けて成長した。彼にとって甘い両親は、息苦しい思いと同時に得意な思いも与えてきた。その中で光彦は、両親の周辺の男女の複雑な感情を読み取ようになり、「情感が豊かで、手先きのことは総べて何ごとも器用で、なまけ者で、潔癖で、小心でおしゃれで、しかも美貌な青年になつた」。

 彼が大学生になると、父親は鎌倉に別荘を建て、商売上の社交場としたが、仕事の才はあっても取引上の駆け引きの裏表に通じておらず、それは母親も同様だった。その一方で、光彦の交友範囲も拡がり、別荘はダンスパーティや音楽会などを催すようになり、青年男女のグループとの交際も生じた。その中に女王のように振舞う貴和子がいて、光彦は彼女の虜になってしまう。だが「この女鹿に似た貴和子」は光彦の遊び仲間の「粗暴で、そのくせ、へんに気障つぽい嫌な奴」である矢代譲とつき合い、光彦のほうは急性肺炎による昏睡状態に陥ってしまう。

 光彦は回復後、鎌倉の別荘で療養していたが、父親は子会社への金融の失敗から、別荘も抵当に入り、会社を退くことになった。それとともに、光彦と貴和子の婚約も流れてしまい、光彦は大学を出て、商事会社に入り、父の旧友の勧めで、平凡なつる子と結婚した。その年の暮れ、光彦は貴和子からホテルのパーラーに呼び出される。彼女から結婚の祝いと矢代と離婚したことが発せられる。光彦はニューヨーク支店に転勤の話が出そうだが、迷っていると話す。すると彼女は「相変わらず駄目なのね」と激しい強い声でいい、自分から申し出てアメリカでもヨーロッパでもいくべきだと付け加え、去っていく。

 そして予想どおり、光彦は上役からニューヨーク行を正式に受けたが、長男が生まれたがかりだし、「自分の柄」ではないと思い、辞退したのである。そしてクロージングの一節が続いている。「光彦は自分の生涯の限度が、やつとはつきりしたと思つた。そしてその範囲内で、自分の能力相応につゝましく幸福に暮そうと考へた。長男には、母親のきよの反対を押し切つて、勉と命名した」。

 丸岡は「自分の今後の仕事の方向を、幾分なりとも明かにする考へで、この小説の題名を、そのまゝこの短篇集のものにした」とも記している。その出版後には大政翼賛会も発足しているし、このような丸岡の決意はどのような変化を強いられなければならなかったのだろうか。

 なお念のために、この『作家自選短篇小説傑作集』の古書価を調べたところ、いずれも稀覯本のようで、驚くほど高いことを知った。

odamitsuo.hatenablog.com

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら