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古本夜話754 桑原天然「精神霊動」シリーズと開発社

 拙稿「心霊研究と出版社」(『古本探究3』所収)で、日本心霊学会の刊行書目を挙げ、大正十三年に渡辺藤交の『心霊治療秘書』が出されていることを既述しておいた。本連載137でもふれておいたように、この渡辺藤交こそが、『出版人物事典』などに立項されている人文書院創業者の渡辺久吉に他ならない。

古本探究3  出版人物事典

 井村宏次の『霊術家の饗宴』(心交社)に「孤高の霊術開祖・天然」と題する章があり、そこに渡辺が見出される。
霊術家の饗宴

 天然の死後、彼の影響をうけた初期霊術家たちは、続々と〈病気治療〉を看板に、名乗りをあげていった。影響力の強かった人物を一、二あげると、まず天然の真弟子では「思念術」の開祖・松橋吉之助、京都人文書院の社長で霊術家を兼業した渡辺藤交(日本心霊学会)などである。松橋の霊術は〈祈り〉観念力治療、渡辺のそれは。おさすりとお手かざしであって、メスメリズムの系統を引き継いだものであった。彼らの扱う患者たちは西洋医学からも漢方からも見放された人々が主であった。

 この渡辺の師である桑原天然=俊郎の著書を入手したので、それを参照し、井村の記述もたどりながら、桑原の軌跡を追ってみよう。桑原は明治六年岐阜県生まれで、三二年高等師範を卒業し、静岡師範に漢文教師として赴任する。そして書店で近藤嘉三『魔術と催眠術』(頴才新誌社、明治二十五年)に出会う。これは未見だが、一柳廣孝が『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉』(講談社)の中でその書影を示し、明治二十年代の「精神の感通作用」と催眠術をめぐる風景の一端が集約されていると評している。
『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉』

 福来友吉の科学的な催眠術研究書の『催眠心理学』(成美堂書店)の刊行は明治三十九年であることから、近藤の『魔術と催眠術』の出版が先駆けていたとわかるし、桑原は同書に魅せられ、「精神の感通作用」=「神通力」と催眠術を会得し、それは病気治療へと向けられていく。明治三十六年に静岡師範を退職して東京に転居し、麻布中学の教師となる。そして自宅に精神研究会を設立し、号を天然と称し、病気治療とそのプロバガンダに励み、独自の「精神学」の到達し、三十九年に三十四歳にも充たない人生を終えることになる。だが井村によれば、その間に「たちまち名声嘖々とし、全国区から弟子志願の者たちが参集してきた」という。おそらくその一人が京都仏教専門学校在学中の渡辺久吉だったのではないだろうか。

 それにまた、このような病気治療とプロバガンダに際し、必ず併走する出版社が存在する。桑原の場合、それは開発社で、入手したのは「精神霊動」第二編『精神論』、明治三十七年五月初版、同三十八年十月六版である。菊判和本仕立ての二九五ページの一冊で、巻末広告を見ると、その第一編が『催眠術』、第三編が『宗教論』だとわかる。その他の著書として、『安全催眠術』、『実験記憶法』、その門人中堂謙吉『催眠術に於ける暗示法』が掲載され、さらに幕内椿三郎『催眠学独修』、渡辺龍聖『倫理学序論』も挙がっているけれど、開発社が桑原の著作を主とする出版社であることは明らかだ。
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 ちなみに第十三版とある『催眠術』の広告文を引いてみる。そのレイアウトは大文字、小文字、二行組からなるが、引用は通常文とする。

 催眠術が、器質的疾患を治し得ることを破道せるは、実に、桑原天然氏を以て、嚆矢とす。(機能的疾患の治癒するは無論)同氏の手により、或は同氏門人の手によりて、肺結核、皮膚病、痳病、近視眼、僂麻質斯等の全快せしもの僂指に遑あらず。其理を知らむと欲するものは斯書を看よ。日露交戦の今日、仁川に於ける露艦二隻の沈没といひ陸軍が廿八にちに定州を占領したる其日限といひ、共に、之を一ケ月も前に予知したるは、是れ催眠術に於ける通力作用なり。天然氏は之を某男爵と某伯爵とに語り置かれしが、果然、正鵠を得て、伯爵男爵をして驚嘆せしめられたり。其理を知らむと欲するものは斯書を読むべし。本書は悉く実験を基礎とし精神音妙用、宇宙の活動、説き尽くして余蘊なし。今や第十三版成る請ふ講読あらんことを。

 ここに「同氏門人」という言葉が置かれているが、これが先の中堂や渡辺たちであり、同時に彼らは開発社の編集や営業にも携わっていたと思われる。そのようにして渡辺は催眠術や病気治療だけでなく、出版活動も学び、京都に戻って日本心霊学会を立ち上げたのではないだろうか。

 ところでこの開発社だが、その住所は神田区小川町、発行者は辻太とある。『日本出版百年史年表』を繰ってみると、開発社は明治十八年に大竹次郎によって創業され、『教育時論』を創刊とある。つまり開発社は師範学校絡みの出版社のように推測される。印刷者は本連載526などの河本亀之助と国光社であり、さらに驚くのは巻末一ページの「各府県売捌所」一覧で、全国の特約取次と書店は八十に及んでいる。明治三十年代としては全国の、地方取次を兼ねる主要書店を網羅していて、桑原の「精神霊動」シリーズを始めとする催眠術と病気治療書が広範に売れていたことを物語っていよう。

 なおそこには静岡市の場合、吉見義次が挙がっていることからすれば、桑原が『魔術と催眠術』を買い求めたのは、吉見書店だったと見なしていいだろう。

odamitsuo.hatenablog.com
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