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古本夜話755 畝傍書房と棚瀬襄爾『民族宗教の研究』

 少しばかり飛んでしまったが、この際だから、ここで昭和十六年に畝傍書房から刊行された棚瀬襄爾の『民族宗教の研究』をはさんでおこう。この出版社名は日本の古代文化をイメージさせる奈良の地名を借用したと見ていいし、本連載741などの森本六爾や樋口清之、あるいは保田与重郎が畝傍中学出身だったことも想起させる。ただもちろんのことだが、奥付の住所は麹町区九段一丁目で、発行者は吉村清となっている。

 巻末の既刊書広告には久松潜一、志田延義共著『古代詩歌に於ける神の概念』、折口信夫序、西角井正慶著『神楽歌の研究』、山田孝雄序、堀重彰著『日本文法機構論』、山田孝雄編『連歌青葉集』などの国文学や日本語学を始めとする研究書も並んでいる。これらに国学院大学教授だった折口が「序」を寄せていることは、著者たちがその弟子筋にあたるとも考えられるので、畝傍書房は国学院と関係が深いのかもしれない、

 だが発行者の吉村の名前は『出版人物事典』はもちろんのこと、『日本出版百年史年表』にも見つからない、そこで念のために、『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ)を見てみると、ダイレクトな立項ではないけれど、参照先として三人の名前が挙がっていた。
出版文化人物事典

 それらは岡村千秋、唐沢好雄、宮本信太郎である。岡村は柳田国男の出版事業を担い、拙稿「岡村千秋、及び吉野作造と文化生活研究会」(『古本探究3』所収)などで言及しておいたように、郷土研究社を経営し、『郷土研究』や「炉辺叢書」などを刊行していた。その岡村が晩年、畝傍書房に入社したが、病を得て仕事をするには至らなかったことが記されていた。唐沢はその営業部にいて、戦後に桃園書房を創業し、宮本は中央公論社の社員で、企業整備で畝傍書房が吸収された際に出向したとされる。したがって畝傍書房の関係者が挙がっているだけで、発行者の吉村清に関しては何もわからないままであった。
古本探究3

 このように『民族宗教の研究』の版元に関しては、はっきりとしたプロフィルをつかめないけれど、著者については『文化人類学事典』(弘文堂)に見出せるので、それを引いてみる。

文化人類学事典

 たなせじょうじ 棚瀬襄爾 1910~64
 日本における宗教民族学の発展に寄与した人物。東京帝国大学で宗教学を学び、とくに宇野円空の影響を受けて宗教民族学の研究に専念した。宗教現象の静態的分析は宇野によって完結されたとし、宗教の動態を社会文化的脈絡を背景に理解する機能主義的宗教観を解明したが、歴史主義を退けるのではなく、多様な宗教の歴史的、民族誌的事実の解明は、宗教の基本構造の研究にとっても不可欠であるとして、これを重視した。(後略)

 これによって、宇野が『民族宗教の研究』に「序」を寄せている事情がわかる。宇野が新しい分野として開拓したとされる宗教民族学を継承したのが棚瀬ということになる。その「序」によれば、棚瀬は大学院を出た後、本連載580の東亜研究所にあって、フィリピン、蘭領東印度から太平洋諸島の未開民族の宗教現象、及び民俗文化との諸関係を研究し、その研究成果の一部をまとめたものが『民族宗教の研究』とされる。

 また棚瀬の「自序」には本派本願寺からの奨学金のことやもうひとつの名前の「日出麿」の記載からすると、宇野と同様に、棚瀬も本願寺派の寺院出身だったことから、宗教民族学に向かったのかもしれない。そこには校正刷を待つうちに、召集令状に接したとの「追記」もある。先の立項において省略してしまったけれど、応召前に宗教民族誌を渉猟し、まとめた『東亜の民族と宗教』(河出書房、昭和十九年)が挙がっているが、それらに先んじた著『民族宗教の研究』に他ならない。

 同書は「原始宗教研究序論」を始まりとして、第一部「原始宗教学の批判的研究」、第二部「原始宗教と原始文化」、第三部「民族宗教の形態」から構成され、「主要原始民族分布図」も含め、菊判上製四九五ページに及び、さらに「宗教民族学文献目録」六八ページが付け加えられている。これらのことから推察されるように、この一冊は欧米と日本の二十世紀前半における原始宗教と未開民族文化に関する集大成、及び案内といった色彩が強い。

 とりわけ興味深いのは第一部で、原始宗教学説としてのエドワード・タイラーのアニミズム理論、アンドリュー・ラングや本連載514のマックス・ミューラーなどによる、その継承と発展、R・H・コドリントンが伝えた呪術的宗教的現象の根源、ないしは本質として想定されるマナ、マナを基本観念に宗教を見るマナ説、ウィルヘルム・シュミットの原始至上神と一神教論、北方民族の原始宗教と見なされるシャマニズム、その研究の対象としてのシャマンの服飾、フレイザーの呪術論などが言及されていく。私も本連載730で、シャマンの姿や太鼓などにふれているが、ここでもそれは絵入りで五ページにわたっている。

 おそらくこのような棚瀬の『民族宗教の研究』の中に提出されているのは、欧米の宗教民族学がたどりついた研究の綜合的位相であり、それに大東亜戦争下における日本の研究がどのようにして架橋するのかという試みであったようにも思える。まだ入手していないが、『東亜の民族と宗教』にはそれらのことが具体的に表われているのかもしれない。

 ここで言及している欧米の著作が、やはり同時代に翻訳刊行されたりしているので、後に続けてそれらにふれたい。

 その後、畝傍書房の竹内芳衛『第六感』(昭和十七年)を入手したが、これは四六判並製の啓蒙的科学、医学書で、巻末の刊行書目から見て、戦時下の進行につれ、学術書からそれらの分野の出版へと移行していったように思われる。
第六感


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