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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話759 伊藤長蔵、「新ぐろりあ叢書」、田中克己『楊貴妃とクレオパトラ』

 本連載757の田遊びではないけれど、早川孝太郎が昭和十七年に、『農と祭』をぐろりあ・そさえてから刊行している。手元にあるのは四六判の裸本で、表紙や箱装は見られないが、口絵写真に武田久吉による二葉の「道祖神祭りの御幣」が掲載されていることから推測すると、それらにちなんだものだったのではないかと思われるし、実際に「道祖神のこと」という一編の収録も見ている。

 早川に関しては本連載574で、三河地方の祭礼をトータルに論じた『花祭』の著者で、この大著が柳田国男や折口信夫にも大きな影響を与えたことを既述しておいた。だからここでは早川と『農と祭』ではなく、その版元のぐろりあ・そさえてにふれてみたい。それは『農と祭』の出版社としては意外な感も伴っているからである。
 花祭

 『出版人物事典』においても、ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵は次のように立項されている。

 [伊藤長蔵 いとう・ちょうぞう]一八八七~一九五〇(明治二〇~昭和二五)ぐろりあ・そさえて創立者。兵庫県生れ。神戸商高校卒。貿易商として活躍したが、昭和の初め、書物好きがこうじて美書の発行を志し、一五世紀の大蔵卿で愛書家、「グロリエ式装丁」で知られるジャン・グロリエ(Jean Grolier)の名にあやかり、伊藤が中心になって神戸に「ぐろりあ・そさえて」と名づけた愛書家の集まりが出版社を始めた。独白、特殊の書誌的研究雑誌『書物の趣味』創刊、また、庄司浅水『書物装釘の歴史と実際』、寿岳文章『ヰルヤム・ブレイク書誌』、柳宗悦『工芸の道』、藤井紫影『江戸文学図録』などの著書、美本を出版した。

 ここに挙げられた美本類は、今でも限定本や書物史などを扱った雑誌特集などで見ることができる。しかしこの立項はぐろりあ・そさえての前半の出版活動を示し、その後半には及んでいない。どのような経緯があってなのかは詳らかにしないが、昭和十年代になって、伊藤は麹町区内幸町の大阪ビルの一室に株式会社ぐろりあ・そさえてを置き、一般的な文芸書や学術書の出版に参入している。早川の『農と祭』もそのような一冊と考えられるし、奥付発行者は伊藤で、発行所も住所も先に挙げたとおりである。

 なお本連載752で『芥川賞全集』の発行所の新陽社の住所を記しておいたが、それは同じく大阪ビルに措かれていたことも付記しておこう。

 そうしたぐろりあ・そさえての出版物で、近代文学史に記憶されているのは「新ぐろりあ叢書」だと思われる。これは昭和十四年から十七年にかけて、全二十四冊が刊行され、その明細は『日本近代文学大事典』第六巻に掲載されているので、ここではリストアップしない。そのうちの一冊だけを入手していて、それは『農と祭』と同じ昭和十七年の再版で、本扉に「東京ぐろりあ・そさえて刊」と記された22の田中克己『楊貴妃とクレオパトラ』である。これは四六判並製二六〇ページ、「新ぐろりあ叢書」の共通するフォーマットと考えられるが、何よりの特色は各冊別装の棟方志功装幀と銘打たれていることだろう。
f:id:OdaMitsuo:20180209174040j:plain:h120(『楊貴妃とクレオパトラ』)

 田中は『日本近代文学大事典』』に立項があり、明治四十四年大阪府生まれ、東大東洋史科卒、詩人、東洋学者とある。それで『楊貴妃とクレオパトラ』の詩文集としての構成を了承するのだが、これによって北村透谷賞を受賞していたことを教えられる。それに「あとがき」から、所収の「楊貴妃伝」が『コギト』に連載されていたのも、田中が保田与重郎たちと同様に、その創刊メンバーだったからだとわかる。また昭和七年創刊の『コギト』は保田を通じて、これも昭和十年創刊の『日本浪曼派』同人たちともクロスしていた。

 『楊貴妃とクレオパトラ』の巻末広告に、「新ぐろりあ叢書」の1から22までのラインナップとその紹介が掲載されている。1の伊藤佐喜雄の長篇小説『花の宴』の紹介は次のようになされている。
f:id:OdaMitsuo:20180212115143j:plain:h120(『花の宴』)

 「花の宴」は日本浪曼派運動の生んだ最大の傑作である。これは華麗な恋愛小説であり又可憐な抒情文学である。我国に近代文学が生まれぬといふことは久しく人々の口にされた事実であるが、こゝに我々は本書を得て、初めて日本人の手になる近代小説を発見した。

 この『花の宴』は未見だが、かつて伊藤の『日本浪曼派』を読んだことを思い出した。それはもはや半世紀近く前で、潮出版社が創刊した潮新書の一冊としてだった。同書を再読してみると、高見順が『楊貴妃とクレオパトラ』を読みたいけれど、版元が品切のようなので、伊藤に貸してくれないかと頼む場面が出てきた。そればかりか、高見に貸したままになっているのを催促して返却させ、疎開先に持っていったところ、行李ごと盗まれてしまい、戦後になっても古本屋で探しているが、発行部数が少なかったために、入手に至っていないとも書かれていた。

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 ちなみに伊藤によれば、「新ぐろりあ叢書」の初版部数は千二百部ほどだったようで、ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵は儲からない出版と著者たちへの饗応によって、家産を傾けていると噂されていたという。実際に本連載465の、戦後に新生社を興す青山虎之助への身売り話のエピソードも書かれている。

 またぐろりあ・そさえての編集者が『コギト』の同人だった長尾良、山田新之輔、若林つやたちだったとの証言も見える。それらの事実からすればぐろりあ・そさえての伊藤長蔵は保田与重郎を通じて、『コギト』や『日本浪曼派』とリンクし、主としてそれらの同人を著者とすることで、出版活動を併走させていたことになろう。


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