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古本夜話773 エレン・ケイ『恋愛と結婚』とハヴロック・エリス

 前回の岩波文庫の元版といえるエレン・ケイの原田実訳『恋愛と結婚』の聚英閣版が手元にあるので、やはり取り上げておこう。これは大正十三年発行、十四年五版で、その版元の聚英閣についてはかつて拙稿「聚英閣と聚芳閣」(「古本屋散策」54、『日本古書通信』二〇〇六年九月号所収)を書いている。
f:id:OdaMitsuo:20180317102917j:plain:h120(『恋愛と結婚』、岩波文庫版)

 これは余談であるけれど、『恋愛と結婚』の刊行とほぼ同時期に、井伏鱒二はズウデルマンの『父の罪』を翻訳し、聚芳閣のほうから刊行した。それがきっかけで、この版元に勤め、ゴロヴニンの『日本幽囚記』の編集に携わっていたが、奥付を落としたままで出版してしまい、大正十五年の初めに馘になっている。

 この井伏のことはともかく、聚英閣のほうの『恋愛と結婚』に戻れば、堅固な四六判上製の函入、四七三ページで、関東大震災後に小出版社から刊行されたようにも見えない一冊である。それらの事情は巻頭の「訳者の断り」に記されている。同書はスウェーデンの女流思想家エレン・ケイの名著『生命線』の前半を、アメリカのアーサー・G・チャーが英訳し、Love and Marriageとして出版したものによる重訳であり、大正九年に天佑社から出され、二十余版を重ね、多くの読者を得ていた。この版元に関しては拙稿「天佑社と大鐙閣」(『古本探究』所収)を参照されたい。ところが前年の大震災で、紙型を焼失し、絶版となっていた。聚英閣からの復刊が提起され、天佑社の承諾を得て、翻訳も修正を加え、ここに再刊に至った。しかしすでに発表した長い「エレン・ケイ論」は、原田の自著『生命の朝』(大同館)に収録したこともあり、その代わりに英訳に掲げられたハヴロック・エリスの「序文」を掲載することにしたと。

古本探究

 このエリスについてはこれも拙稿「ハヴロック・エリスと『性の心理』」(同前所収)、及び本連載78、81などで言及している。この「序文」は原田がいうように、エレン・ケイのプロフィルを簡潔明瞭に伝えている。ただそれは十一ページに及ぶ異例の「序文」であるので、要約してたどってみることにする。

 エレンは一八四九年にスウェーデンにおいて、国会の急進派論客の父と、古い高貴な家柄の代表的女性である母との間の第一子として生まれた。彼女は自然を熱愛し、同時に音楽と読書に親しみ、シェイクスピアやゲーテに熱中した。また彼女は独立性の強い性格で、それは後の『児童の世紀』にもうかがうことができる。それに母親は聡明で洞察力を備えていたことから、エレンの本能のままに進むことを許し、彼女の恋愛や母性に関する真理を目覚めさせた。

 エレンは十八歳の時母からイプセンの作品を贈られ、大いなる感化を受け、二十三歳からヨーロッパ旅行を繰り返すようになり、芸術にも目を開かれ、雑誌への寄稿も始まった。一八八〇年以後は父親の事業の失敗により、自らの職業を得る必要が生じ、女学校の教師となった。その最初の数年で、多くの知名な女性たちと出会い、その生き方や死に学んだけれど、まだ自分の真の地位を見出していなかった。そうした中で、ようやく公衆の面前で文学や美学を論議するようになり、それは次第に個人的意見や権利の主張を伴い始め、ブランデスがいうところの「生れながらの説教者」としての道をたどっていったのである。

 スウェーデン社会において、彼女の文学的な活動力が発揮され、成熟するに及んで、人生と恋愛と結婚に関する著作を発表していく。一九〇三年から刊行され始めた浩瀚な『生命線』の前半が英国で翻訳された『恋愛と結婚』であり、数年後に『児童の世紀』、〇九年に婦人運動に関する広範な著作『婦人運動』を発表し、「絶好の著述」として認められたという。そしてスウェーデンのみならず、新しい婦人運動の局面としてドイツでも声価が上がり、それは英国へとも伝わり、女性のための人間の権利、教育、職業、政治上の同権の要求へと結びついていったのである。

 エリスはエレン・ケイを称して「単なる孤立的な改革を超越した一運動の予言者」、その「著作は彼女の内的自我の率直な告白」だとして、次のように述べている。

 彼女は、或る人々が全然調和出来ないと見てゐる個人主義と社会主義とか、実際は織り交ぜられるものであることを示し、同じやうな方法で、今やこゝに、優種学と恋愛と―種族の社会的要求と愛情の個人的要求と―が相反するものではなく、同一なものであるといふことを示してゐるのである。同じやうに、彼女は、建設と援助と慰撫とが婦人の権利の最大なるものであると宣言する。但し彼女は、婦人達が市民として権利を持つにあらずんばこれらの最大なる権利を適切に実現することは出来ぬと付け加える。かくの如くして、彼女は、偏狭な党派者流の敵味方相方を論破してゐるのである。

 エリスの「序文」の簡略な要約だけで、『恋愛と結婚』に具体的にふれられなかったこともあり、その九章に及ぶ目次だけでも示しておく。それらは「性的道徳発達の経路」から始まり、「恋愛の進化」「自由」「選択」を経て、「母性の権利」「免除」と「合体的母心」を通じて、「自由離婚」と「新結婚法」へと至るものである。

 当然のことながら、この延長線上に『婦人運動』も上梓されたと見なせる。その邦訳は同じく原田訳で、大日本文明協会から出されているが、まだ入手していない。


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