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古本夜話775 上田恭輔『支那骨董と美術工芸図説』と大阪屋号書店

 大同館の本間久雄『エレン・ケイ思想の真髄』の巻末広告には、これも参考書出版社らしからぬ一冊が見られる。それは上田恭輔の『生殖器崇拝教の話』で、「生殖器崇拝問題を学術的組織的に研究したる本邦最初の試み」とされ、「好評三版」と謳われている。これは手元にあり、袖珍洋装判、一六〇ページほどの小さな本だが、著者は「紀州の南方熊楠先生と共に隠れたる二大学者の世評ある大蓮(ママ)の上田先生」で、その「旧著を改版したもの」とのキャッチコピーが付されている。

 上田はまとまった立項を見出せないけれど、植民地政策の専門家で、台湾総督府を経て、満洲に渡り、満鉄初代総裁の後藤新平のもとで、東インド会社を範とし、満鉄の立役者として辣腕をふるったとされている。その一方で、支那陶磁器に関する第一人者ともされ、それは満鉄中央研究所に窯業試験場を設け、日本人研究者や陶工を招き、実際に制作にも関与したことによっている。それらの著作は大半が大阪屋号書店から刊行され、そのちの『支那骨董と美術工芸図説』を入手している。『生殖器崇拝教の話』のほうは勉誠出版から川村邦光の解説を添え、復刻されてもいるので、ここでは前者に言及してみる。

 手元にある『支那骨董と美術工芸図説』は表紙に「乾隆硝子のトンボ玉」をカラー写真であしらった一冊だが、これは図書館の旧蔵本なので、箱、もしくはカバーの表紙を切り取り、それを本体の表紙へ貼りつけたとも考えられる。しかしそのような加工がなされていても、同書は紛れもなく美術豪華本と呼ぶに値するし、菊判二七四ページであるけれど、厚さは四センチを超え、三〇ページに及ぶ「珍品若干」の口絵写真を始めとして、文中にもアート紙による写真がふんだんに配され、本文の上質な紙使用と相まって、定価七円五十銭にふさわしい造本に仕上がっている。

 その内容は上代の石器と土器、編物と籠細工、金属と銅器工芸、漆工芸美術、織物、毛織物、染め物工芸、刺繍、彫刻美術、鼈甲細工、篆刻工芸、泥像美術、印刷工芸、文具と硯、看板芸術、冠物工芸、硝子工芸美術、陶磁工芸などの「支那骨董」の全分野に及んでいると見なせよう。実際に上田がこれらをどれほど収集していたのかは詳らかにしないけれど、陶磁器のみならず、その満洲におけるポジションから、日本人としては「支那骨董と美術工芸」に関する第一人者だったと考えていいのかもしれない。

 それらを示すように、昭和八年刊行の『支那骨董と美術工芸図説』の奥付裏の広告には、上田著として、『支那陶磁の時代的研究』『支那陶磁雑談』『趣味の支那叢談』に加え、『満蒙の善後策を日華両国民に語る』『旅順戦蹟秘話』が並んでいる。奥付によれば、当時の大阪屋号書店は日本橋区呉服橋に本店を構え、大連、旅順、奉天、新京、京城に支店を置いていた。発行者の浜井松之助は『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20180320223900j:plain(『支那陶磁の時代的研究』)出版人物事典

 [浜井松之助 はまい・まつのすけ]一八七四~一九四四(明治七~昭和一九)大阪屋号書店創業者。松江市生れ。大阪に出て呉服店で働いたが、三〇歳の時、日露戦争後の満洲に着目、営口に大阪屋号書店を開業さらに、旅順、鞍山、鉄嶺、新京、奉天、北京などに支店を出した。一九一一年(明治四四)東京店を創業、中国関係、囲碁、将棋関係書を出版、ことに碁将棋書で知られ、また、特色ある取次業を行った。(後略)

 これだけでは上田と大阪屋号書店の関係が、浜井松之助を通じてのものなのかどうか、定かではないので、やはり『出版人物事典』に見えるもう一人も引いてみる。

 [浜井良 はまい・りょう]一九一二~一九六六(明治四五~昭和四三)大阪屋号書店社長。東京生れ。巣鴨高商卒。大阪屋号書店創業社浜井松之助の甥で、大阪屋号書店大連店主の父死後、その経営に当り、満洲での業績を伸ばし、中国語関係の出版も行った。満洲書籍雑誌商組合幹事をつとめ、一九四五年一月、関東州出版会理事として、関東州書籍配給株式会社設立に尽力、日配より人材も派遣されたが、業務開始四〇日で召集され、同社は解散した。戦後帰国、四七年(昭和二二)九月、東京品川で再興、囲碁・将棋関係書などの出版を続けた。

 このように浜井良のほうを引いてみると、満鉄と大阪屋号書店の関係の始まりは浜井松之助だったかもしれないが、上田も著者として囲い込み、満洲で大阪屋号書店を広範に成長させたのは甥の良だったように思えてくる。それは満洲書籍雑誌商組合幹事で、関東州書籍配給株式会社理事となったことに象徴されている。前者に関連する満洲書籍配給株式会社=満配は満洲における出版物の一元配給統制機構として、昭和十四年に軍部と革新官僚によって設立され、それが関東州書籍配給株式会社へとリンクしていったと思われる、

 このようなラインから考えれば、松井良はそれらの中枢にあったはずだし、それは彼と満洲国、満鉄との深い関係を示し、その背後に上田恭輔が存在していたとも見なせるであろう。いずれにしても、満洲と出版社の関係は入り組んでいるというしかない。


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