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古本夜話776 神谷敏夫『最新日本著作者辞典』と「大同館発行分類図書目録」

 続けてふれてきた大同館のことだが、本連載でもしばしば参照してきた神谷敏夫の『最新日本著作者辞典』が大同館から出され、しかもその巻末には「東京神田大同館発行図書分類目録」三百点ほど二十四ページにわたって掲載されていることもあり、もう一回書いておくことにする。
 この『最新日本著作者辞典』は「我が国古今の代表的文学者・作家・学者を一本に会せしめ、其の時代・種別・伝記・作風・学風著作を簡明に知らしめようと試みたもの」で、その特色は「中学校国語漢文教科書に収められた文の作者を中心として、国文学史・国語学史・文化史等より之を選び、尚現時活躍せる文壇人を網羅し、又特に学界一流の諸学者及一般著作者を記載し、其の特別研究をかゝげたもの」とされる。

 これは昭和六年の刊行ということもあり、昭和円本時代の全集類が資料として挙げられている。それらは改造社の『現代日本文学全集』、春陽堂の『明治大正文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』を始めとする十種に及んでいる。そのことから推測されるのは近代出版史上において、わずか五、六年の間に、延べ巻数にすれば、膨大な全集類が集中して刊行され、それと併走するように、これもまた無数の著作者たちが生み出されたという事実であろう。それを背景にして、この二千五百人を立項する辞典も成立したのではないだろうか。その意味において、『最新日本著作者辞典』は昭和円本時代の副産物のようなものとも考えられ、そこにこの辞典ならではのオリジナリティもこめられているのかもしれない。

現代日本文学全集 『現代日本文学全集』明治大正文学全集『明治大正文学全集』現代日本文学全集 『現代大衆文学全集』

 おそらくそれに起因するであろうが、思いがけない人物も立項されているので、その例を挙げてみる。

坂本紅蓮洞 さかもとぐれんどう
 明治から大正へかけて出た新聞記者である。本名を易徳といひ、慶応二年九月江戸麻布に生れた。慶応義塾文科の出身で福澤桃介と同期生である。初め数学の天才として知られてゐた。高知県中学校・立教中学校其の他で教鞭をとつたことがある。其の後新聞記者生活に入り、其の飄逸、我執、孤独の性向は文壇の名物となつた。大正十四年十二月(皇紀二五八五・一九二五)六十歳で没した。著書に、文壇立志篇がある。

 坂本は後に『日本近代文学大事典』にも見出され、これを補足すれば、「文学者と交わり、奇癖の逸話が多く、酒間に毒舌を弄する文壇名物男である。その雅号のように、のらくらと放浪生活に浮き身をやつし、窮乏のうちに死んだ」とされる。

 著者の神谷敏夫に関する履歴などの掲載はないが、「本書は東京外国語学校友枝照雄教授の御指導に負ふ所が頗る多い」とあるので、神谷も東京外国語学校関係者と見ていいだろう。だが残念なことに巻末目録の著者の中に二人の名前は見つからない。

 しかしあらためてこの「大同館発行分類図書目録」を繰っていて実感させられるのは、昭和に入っての大同館の著しい成長である。その分類は哲学・思潮・倫理書類、教育・教育思想書類、生理衛生及動物科書類、家庭書類、受験指南書類、一般書類、図画科書類、習字科参考書類、少年史伝叢書、漢文書類、地理書類、英語書類、国文・国語書類、数学参考書類、体育参考書類、歴史科参考書類となっている。それらの壮観なラインナップは大同館が教育書、学参書の総合出版社として、確固たる地位を占めるに至ったことを伝え、昭和戦前の教育書の時代を彷彿とさせる。

 それに加えて、多くが菊判、四六判上製の大冊で、しかも版を重ねている。ちなみに大同館は文検受験参考書から始まっているとされるが、それらの「文検受験用」の主な著者、書名、重版数を挙げてみる。

* 明治教育社編 『国民道徳要領』四十版
* 教育学術会著 『教育勅語成甲詔書解義』二十三版
* 伊藤勇太郎著 『英語科研究の為に』九版
* 石川誠著 『漢文科研究者の為に』十四版
* 大日静夫著 『若い検定学徒の手記』五版
* 交換研究会著 『文検各科受験の手引』三版

 これらは未見だし、著者も編者も知らない。そして「文検」なるものの実態もはっきりつかんでいないけれど、これらがそのような時代を表象していることだけは認識できる。

 「目録」の点数が三百点に及ぶことを先述したが、こうして確認してみると、一冊も読んでいないことがわかる。このような出版社は珍しいというしかない。

 なお『最新日本著作者辞典』は日本図書センターから復刻されていることも付記しておく
f:id:OdaMitsuo:20180321113101j:plain:h120(日本図書センター復刻)


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