出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話783 「記録文学叢書」、前田河広一郎『サッコ・ヴァンゼッティ事件』、井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』

 前回の井伏鱒二『多甚古村』の巻末広告に、「直木賞受賞作品」と銘打たれた『ジョン万次郎漂流記』が掲載されていることを既述していた。それは一ページジ広告で、菊池寛の「直木賞も井伏君の『ジョン万次郎漂流記』を得て、新生命を招き得たと思ふ」を始めとして、白井喬二、久米正雄、大佛次郎などの絶賛に近いオマージュが寄せられている。
f:id:OdaMitsuo:20180406175628j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20180408162530j:plain:h120

 この『ジョン万次郎漂流記』は昭和十二年に河出書房の「記録文学叢書」の一冊として出されたものである。これは入手していないけれど、その前に刊行された前田河広一郎の『サッコ・ヴァンゼッティ事件』は架蔵しているので、そこに見える既刊の九冊を挙げておきたい。それは『日本近代文学大事典』にもリストアップされているが、こちらは前田河の著作における記載によるので、8と9は近刊とあるし、その著作を含め、タイトル表記が異なることを付記しておく。

1 豊島与志雄 『メデュース号の筏』
2 木村毅 『ゴールドラッシュ』
3 黒田礼二 『妖姫ロラ・モンテス』
4 綿貫六助 『探偵将軍アカシ』
5 飯島正 『バウンティ号の叛乱』
6 石黒敬七 『写真術発明奇談』
7 前田河広一郎 『サッコ・ヴァンゼッティ事件』
8 井伏鱒二 『ジョン・マンジロウ漂流記』
9 森下雨村 『ガスパール・ハウゼル』

 これは既刊分だが、近刊予定は30まで続いていて、その中には木木高太郎『怪物マルキ・ド・サド』、小栗虫太郎『倫敦塔奇譚』、丸木砂土『サッヘル・マゾッホ』などもあり、異端文学も包括する多彩なノンフィクション集成の企画だったことがわかる。もっともそれゆえにこそ、時代もあって読者も限定され、中絶してしまったのかもしれない。

 まず前田河の『サッコ・ヴァンゼッティ事件』にふれておけば、これは「廿世紀最大不祥事」とサブタイトルが付されているように、アメリカ裁判史上の汚点ともいうべき事件をテーマとしたものである。イタリア移民のサッコとヴァンゼッティはアナキストとして無実に罪に問われ、電気椅子による死刑を宣告される。この事件はその半世紀後の一九七〇年に、ジュリアーノ・モンタルド監督の『死刑台のメロディ』として映画化に至る。だが当時の前田河の「はしがき」によれば、同事件を題材とするシンクレア・ルイスの『ボストン』(未訳)を参照し『サッコ・ヴァンゼッティ事件』を書きあげたようだ。
死刑台のメロディ

 このフォーマットは四六判上製、一三三ページ、定価五〇銭、装幀はモダニズム的な斬新さを感じさせるが、装幀者の名前はない。「記録文学叢書」はこの一冊しか見ていないけれど、おそらくそれを踏襲しているはずだ。『ジョン万次郎漂流記』は『サッコ・ヴァンゼッティ事件』の次回配本として出されたのである。

 それが問題とされたのは猪瀬直樹の『ピカレスク』(小学館、平成十二年)においてだった。猪瀬はこの井伏の「『ジョン万次郎漂流記』には重大な問題が隠蔽されていた」として、その種本の存在を挙げている。そのことにふれる前に、ジョン万次郎をラフスケッチしておく。江戸時代末期に土佐の漁師たちが遭難して漂流し、アメリカの捕鯨船に救出されるが、その中に中浜万次郎という十四歳の少年がいて、英語や数学、航海術や測量術も取得し、ペリー来航の三年前に帰国する。それから万次郎は幕府に取り立てられ、通訳として咸臨丸に乗り、再渡米し、明治維新後は帝国大学の前身の開成学校に教授として迎えられる。
ピカレスク

 猪瀬によれば、万次郎は自伝を書いてはいないが、晩年に息子の中浜東一郎が聞き書きし、記録類を集め、昭和十一年に『中浜万次郎伝』(冨山房)を著した。それと井伏作品との異同が「枚挙にいとまがない」とする。その事情は井伏が「生活のための雑文書きの延長の仕事」として引き受け、その前年刊行の『中浜万次郎伝』を参照しておらず、別のテクストによっていたからだと述べ、詳細を明らかにしていく。

 テクストとは、明治三十三年が五月に博文館刊の「少年読本」シリーズの第二十三巻で石井研堂が著した『中浜万次郎』であった。井伏の『ジョン万次郎漂流記』にある記録との食い違いは、すべて石井研堂の『中浜万次郎』に見られる食い違いと一致する。『明治事物起原』の著者として知られる石井研堂が、ジョン万次郎の評伝を書いたころは伝記的な資料が貧しかった。だから間違いが多いのは仕方がない。息子の中浜東一郎が正確な評伝を著わすのは万次郎の死より三十八年後であった。
 井伏が中浜東一郎の『中浜万次郎伝』を読まずに、石井研堂の『中浜万次郎』を種本としたのは明白であった。

明治事物起原
 そして猪瀬は石井と井伏の書き出しの比較検討から始め、次のように結論づけている、

 ほぼ前篇が文語体の語体に直して仕上がっている。分量的には七割が同一、残りの三割のうちの二割は一般の歴史書に示されている当時の幕末日本の国際環境についての概説である。シーンや会話を創作して読みやすく工夫したところは一割にも満たない。

 猪瀬は『ピカレスク』において、『ジョン万次郎漂流記』だけでなく、井伏の代表作「山椒魚」にしても、ロシアのシチェドリンの「賢明なスナムグリ」だと指摘している。猪瀬はその収録を示していないが、シチェドリンは大正時代に五冊の翻訳が出ている。

 私は石井の『中浜万次郎』もシチェドリンの「賢明なスナムグリ」も未読なので、猪瀬の問題提起にこれ以上踏みこまないが、井伏研究者からの反論は出されているのだろうか。

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら