出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話792 野上巖とクルティウス『バルザック論』

 河出書房における昭和九年と十六年の二度に及ぶ『バルザック全集』の刊行は、他に外国文学としての例を見ていないはずで、それだけバルザックが読者を得ていたことを意味しているのだろうか。それとも単なる焼き直しの金融出版と考えるべきなのか、その判断に迷うところである。
f:id:OdaMitsuo:20180515120726j:plain:h120(昭和九年版)

 しかしそれでも第二次の『バルザック全集』刊行は、確実にその落とし子めいた翻訳を送り出している。それはクルティスの『バルザック論』である。クルティウスに関しては、拙稿「クルティウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』」(『日本古書通信二〇一三年四月号所収』を書いているが、『世界文芸大辞典』の昭和十一年当時の立項を引いておこう。

 クルティウス Ernst Robert Curtius(1886~1956)ドイツの批評家、フランスの文学文化の研究家としてドイツ一流であるは勿論、その真摯な精密な攻究はフランスに於て甚だ高く買はれてゐる。マールブルク、ハイデルベルクの大学を経て、一九二九年以来ボン大学教授。著作の主なるものは『ブランテエール』(1914)、『新興フランスの文学開拓者』(1919)、『バルザック』(1923)、『新しきヨーロッパに於けるフランス』(1923)、『ジョイス』(1929)など。二三の邦訳がある。

 なお没年は付け加えたが、著作の原タイトルは省略している。

 ここに挙げられている『バルザック』が野上巖訳『バルザック論』として、昭和十七年に河出書房から刊行されている。それは第一次と比べて、第二次『バルザック全集』の見る影もない粗悪な造本と対照的で、菊判上製四五〇ページ、鮮やかな黄色と紺地の装丁からなり、それだけ見れば、大東亜戦争下の出版物とは思われない。ドイツ語の翻訳ということも作用しているのだろうか。だがページを開き、「訳者序」を読むと、いきなり戦時下にあることが示されている。
f:id:OdaMitsuo:20180517110841j:plain:h115 (『バルザック論』)

 現代日本の最もすぐれた作家の一人をして、ただ一語、「天の岩戸啓開く」と讃仰せしめた今次大東亜戦争勃発の黎明は、その日と共に人類史に曙光が齎らされ、世界史はここに新しき創造の時代を画された、との雄叫びを皇国日本の隅々にまで湧き上らせ、谺し合はせて、今は大御稜威の下、無双の忠勇武烈なる皇軍の戦果日に日に輝き、一億総進軍の力強い跫音は、先に「戦捷第一次祝賀」の勝鬨を世界に轟かしてより、愈ゝ逞しいものとなって、正規の先頭を鳴りどよもして行く。……

 本連載ではもはやお馴染みの戦時下言説ということになるか、このような言葉を伴い、ドイツ人によるフランスの作家論が刊行されたのである。しかも野上は新島繁のペンネームを有して唯物論研究会に属し、「唯物論全書」の一冊の『社会運動思想史』を著わし、戦後は神戸大学文学部教授ともなっている。

 『近代日本社会運動史人物大事典』によれば、野上は明治三十四年山口県豊浦郡生まれ、山口高校を経て、大正十五年東京帝大文学部ドイツ文学科を卒業し、翌年に日本大学予科教授となっている。しかしその後左翼文化運動に関係していたことが大学当局に発覚し、日大を免職となる。それから高円寺で古本屋の大衆書房を営みながら、昭和七年の唯物論研究会に加わった。そして十三年の唯研事件で、岡邦雄や戸坂潤たちとともに治安維持法違反で検挙され、十五年保釈出獄し、翌年から二十年まで駐日ドイツ大使館翻訳室に嘱託として勤務している。『バルザック論』の翌年に翻訳刊行されたエルンスト・クリーク『全体主義教育原理』(栗田書店)は野上の「転向」時代の産物とされる。
近代日本社会運動史人物大事典

 このような野上の個人史と併走するように、『バルザック論』も翻訳刊行されたのである。彼は「あとがき」において、昭和九年に出されたクルチウス著、長谷川玖一訳『バルザック研究』(建設社)はフランス語訳からの重訳なので、これがドイツ語原著からの最初の邦訳だと述べている。そして続けて、この翻訳の経緯と事情が語られていく。『バルザック論』の訳出が企てられたのは昭和九年の第一次『バルザック全集』と同時期で、当初は前回記した『人間戯曲総序』の訳者太宰施門が校閲し、『ゴリオ爺さん』の訳者の坂崎登、ドイツ文学者らしい吉田次郎が予定されていた。ところがたまたま『バルザック全集』の「編輯事務の一部に関与」していたことから、野上が坂崎の担当部門を翻訳することになった。それは「当時河出書房に関係のあった仲小路彰氏」などからの配慮を受けたもので、とりあえず昭和十年に完成を見た。

 しかしそれは出版の機会に恵まれず、そのままになり、「訳者等の身辺にも種々の移り変りがあった」のだが、第二次『バルザック全集』刊行に際し、河出書房からの出版の申し出を受け、「『また来る春』にめぐり合ふ倖せを得た」として、河出孝雄と「再交渉」仲介の労をとってくれた壺井繁治、野上一人の訳者名の刊行を許してくれた吉田などへの謝辞がしたためられている。なお同時期にいずれも大野俊一によって、クルティウスの『フランス文化論』(創元社)、『現代ヨーロッパに於けるフランス精神』(生活社)も翻訳されていることを記しておこう。
フランス文化論 (『フランス文化論』)

 ここには本連載626などに見られる唯物論研究会員たちの出版と翻訳の関係、それに加えてこれも同133などの仲小路彰の同様の位相が垣間見えていることになる。それらもまた戦時下出版史の謎の一端を示していよう。

 また『バルザック論』(小竹澄栄訳)がみすず書房から出されていることも記しておく。


odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら